元号は不便極まりない!

加藤哲郎一橋大学名誉教授の「元号はいらない、『平成生れ』が『大正生れ』 の悲劇を繰り返さないように! 2019年 3月 17日(サイトちきゅう座)」を拝読した。

少々文章が難しくて,小生にはよく理解できない面があるが,およそ賛成である。表現の自由があるこの日本国で,どうして元号表記しなければならないのか。

中国でできた元号。中国文化が色濃く残る元号。すでに中国はこれを廃止しているが,元寇が2度もあった。「元」が付くものに碌なものがない。小生は嫌中どころか好中であるが,この元号と元寇は頂けない。しかしどうしても「元」という字が必要なら,日本円から中国元に切り替えるべきである。

個人の好き嫌いはこの辺でよすが,なぜ西暦を使わないのであろうか。至って便利。世界で元号を使っている役所(国)は日本以外にあるのであろうか。

イスラム歴とGregory13世歴。イスラム歴は毎年ラマダン(断食月)の時期が異なる。したがってイスラエルのパレスティナ虐殺の時期もズレる。ラマダンが過ぎると虐殺回数が減る。なぜなのかはイスラエル政府右派過激派に訊いてみないと分からないが,彼らとてイスラム歴に従っていると,言わざるを得ない。

一方,米国は3月に他国を攻撃する傾向がある。グレゴリ-歴3月は軍神マルスを意味するが,ユーゴスラヴィアやリビアやイラクでも3月に攻撃が開始された。そこで今話題のべネスエラ。米軍に攻撃されるのであろうか。

ところが中南米攻撃は「月」が一定していない。3月とは限らない。なぜだろうか。それはモンロ-主義による。米国の裏庭である中南米は欧州やアフリカや中東とは異なるらしい。しかし3月であれ,6月(今年のラマダン月)であれ,前者は太陽歴であり,後者は太陰暦に依る。一方,元号は太陰暦である。日本の役所は年号に太陰暦を用い,月号に太陽暦を用いる。折衷主義であることが分かる。

明治政府は1872年11月に太陰暦を止めて太陽暦に切り替えたが,いつから太陰暦使用に切り替えたのだろうか。ついでに尺貫法からメートル法に切り替えたのは大正10年4月である(何年の開きがあるのかしら)。

貞観の仏,天平の甍など元号には味わい深い物がある。しかしそのとき世界はどんな時代であったのかを連想できない。また丑三つ時といえば赤穂浪士が討ち入った時刻よりどれくらい早いのか,遅いのかも現代日本人には判断できないであろう。受験生も大変であろう。これから100年後の受験生は年号や歴史的事件を更にいくつか暗記しなければならない。

小生は,年号であれ月日であれ,長さであれ重さであれ,「便利な単位」を利用したい。すなわち熱烈歓迎,元号廃止。