先崎彰容「人新世の『資本論』に異議あり」に異議あり

 文藝春秋二月号に掲載の上記表題の論評、一読して最初目についたのは、吉本隆明を引き合いに出しての、歴史的なコンテクスト無視の、自分に都合のいい思想的布置(コンステレーション)への単純化である。氏によれば、戦後民主主義者は自分の理想を信じて正義の立場に立ち、他者を糾弾してきたが、その態度は戦前戦中の自己を絶対化するウルトラ・ナショナリストとイデオロギー的なベクトルこそ違え、その思想的な構えにおいて瓜二つというのである。そのうえで自分の信念の正しさを疑わないファナティズムと、他者との連帯を安易に語る態度を、戦後民主主義者に共通の負の属性として槍玉にあげ批判する。しかしこれは恐ろしいほどの乱暴な類型化ではないか。これでは内容の如何を問わず、確固たる信念を持つことも、他者とのきずなを求めることもタブー視されてしまう。
 戦後民主主義者の代表的思想家のひとりである鶴見俊輔によれば、戦争中超国家主義の風潮に同調していた連中にかぎって、戦後一転して民主主義者に変じて世論を煽るようなことをしたというが、さもありなんである。吉本が敵視したのも、こうした時局便乗の日和見主義者ではなかったのか。鶴見も吉本も同じような目線から、多くの知識人たちのカメレオン的な変節の様を不信の念をもって見ていたのではないか。もっともそのことによって鶴見は、自分のプラグマティズム哲学と民主主義に対する信念は揺らぐことはなかった。また先崎の括りに入らない、戦中戦後自立したリベラル知識人として筋を通した林達夫のような存在も、ごく少数であれいたのである。私はミャンマーで三浦梅園を研究した際、敗戦直後哲学者の三枝博音主宰の「鎌倉アカデミー」で、林も講師陣の中心として活躍していたと知って、強い印象を持った記憶がある。のちに戦後民主主義知識人の代表格となる丸山眞男も、戦後すぐに三島で行われた「庶民大学」に講師として通ったという。戦後民主主義啓蒙期の、知とグラスルーツとの結びつきがうかがわれる興味深いエピソードである。
 話を戻そう。鶴見と同様、丸山眞男でさえ戦後の出発点は思想的にそれほど単純ではなかったことを告白している。かの有名なデビュー論文である「超国家主義の論理と心理」(1946年5月)について、丸山はこれを書き上げることで内なる天皇制とようやく決別しえたという。この論文は、学生時代われわれがそう受けとめたような、戦後民主主義の進軍ラッパなどではなく、過去の思想を清算するための悪戦苦闘のドキュメントだったというのである(鶴見俊輔「思想とは何だろうか」所収、丸山との対談)
 戦前・戦中・戦後の日本思想史は、「転向問題」という複雑にして苦渋に満ちた問題性を抱え込んできた。「思想の科学」はじめ多くの学者知識人によってさまざまに解明されてきたが、まだ解明しつくされたわけではなく、多くの課題を残している。というか、世の流れ、集団の空気を忖度し時流に逆らわず、あるいは便乗しようとする日本人のコンフォーミズム(大勢順応)が頭をもたげつつあるかに見える昨今である。むしろいまふたたび、転向問題という日本独特の負の遺産をめぐって蓄積してきた思想的営為を、再テーマ化する必要があるのではなかろうか。転向問題は、もちろん思想的な節操の問題でありつつ、その深部に外来思想の土着化・内在化という問題性を抱え込んでいるのだと思う。 
 それはともかく、先崎の論考は、その著書が40万部以上ものベストセラーとなった、斎藤幸平「人新世の『資本論』」に対する、右派論壇からの「本格的」反撃であろう。体制派知識人としては、とにもかくにも現代社会の在り方を決定づけている資本主義体制への懐疑や不信に、世論が大挙して向かうのを防がなければならないのだ。しかしその批判の方法は、到底私を納得させるものではない。まず先崎が言うには、批評の名に値するのは、「国語の伝統に身を置きながら時代状況をえぐり出し、人間の最深部を私たちに向かって差し出してくる作品のことである」として、言外に斎藤氏の著作はそれに値しないものとの意を含む。まことにどうとでもとれる印象的主観的な批評の基準を設定して、斎藤の所論を裁断する手法である。素人ながら多少なりと社会科学的な論証の方法に馴染んできた私には、これは論点ずらしのテクニックとしか思えない。これではそもそもコミュニケーションや議論が有効となるための共通の場が成り立たない。
 具体的に説明しよう。先崎は一応枕詞として「気候変動問題それ自体は、極めて大事なことだ」とはいう。しかし斎藤の核心的問題関心は、「人を『行動』に駆り立て『連帯』の渦に巻き込もうとすることにある」と勝手に論断し、気候変動問題は自らの野心実現の道具に過ぎないというのである。したがって時代の重大(クリティカル)な問題とされる気候変動危機はじつは真の問題ではなく、斎藤にあっては自己陶酔という魔物に呑み込まれないように自己を凝視すべきであり、そうすることが核心的問題なのだと説教してみせる。グローバルの危機として、われわれに待ったなしの対策を迫る気候変動は、じつは大した問題ではない。むしろそれを利用して人々を扇動して自分を売り込み、連帯の名で徒党を組もうとするこの救いがたい人間の業、人間実存における非合理性の方がより深刻な問題であるというのである。この伝で行くと、政党も労働組合も各種協会も嘆かわしい人間の業の所産ということになる。
 気候変動に現れた現代文明の致命的かもしれない危機をどう考えるのか、危機をもたらした根本原因は、いったい奈辺にあるのか、危機克服はいかにして可能なのか等々、時代認識を共有化し危機克服の方途を探ろうとする知的試みをご破算にし、地球環境の危機を人間の超歴史的な宿業の問題にすり替える先崎の論法には、シニシズムとニヒリズムの影がちらつく。グローバルな気候変動の代わりに、次のように言い換えたら先崎の所論の向かう先がはっきりするだろう。アウシュビッツ?、ナンキン?、ヒロシマ・ナガサキ?―いやいや、それは真の問題の本質ではない!

 先崎の論考についてこれ以上関わっても生産的とは思われない。せっかくの機会なので、斎藤の所論について私なりの若干のコメントをしておこう。
 若干34歳の若き思想研究家が、グローバルな気候変動危機に際して、技術革新による資本再生と環境保護による危機脱出ではなく、資本主義の終焉を意味する「脱成長」を掲げて未来社会構想を大胆にも提示し、それに対し意外にも多くの世論が反応したのである。言い換えれば、気候変動危機に象徴的に現れた現代文明の危機に対し、それを資本主義の断末魔だと定義し、それにかわるものとして脱成長の定常化社会としてコミュニズムを歯切れよく人々に訴えたのだ。最近では共産党ですら社会主義、共産主義を表立っては口にしなくなっているのに、脱成長コミュニズム革命を提起した本書が、驚いたことに大ベストセラーになったのである。
 ある評論家が「日本株式会社の社内報」と揶揄した―68世代は「ブル新」といった―「日本経済新聞」が、わざわざその要約を載せ、識者の反応を断続的に特集したほか、様々な論壇誌や新聞が著者を対談に登場させている。いずれにせよ、破格の対応といわねばならない。以前世界的ベストセラーになったT・ピケティの著書を「二十世紀の資本」(2014年)と翻訳し、マルクスを想起させないように「資本論」という書名を避けたことと比べると、思潮の変化が明らかに見て取れる。 それだけグローバルな文明社会の危機に、なかんずく三十年にもわたって経済不振にあえぎ、依然出口を見出し得ないでいる日本の現状に、いかに多くの人々―市民や企業人―が閉塞感や焦燥感、はたまた危機意識を抱き、自分自身の生き方を含めて未来の見通しを渇望しているのかが推測できるよう。
 そこで、もうマルクスの著書から離れて何十年にもなるので厳密な議論はかなわないものの、斎藤の問題提起に感動したものとして、若干の疑問点を提示したい。

Ⅰ.晩年期のマルクスは、以前の生産力至上主義、進歩史観を完全に捨てて、脱成長派になったという立論について。十分な論証に欠けるかなり強引な結論のように思う。マルクスが遺した膨大な研究ノートについての研究が近年進んだと聞き及んでいるが、それを十分土台にした議論になっているのかどうか。   
 マルクスの思想的な大転換などというと、初期マルクスと後期マルクスの「認識論的切断」(アルチュセール学派)とか、「疎外論から物象化論へ」(広松渉)とかいう懐かしい議論を想い出す。1970年前後のこうした議論がその理論的貢献を認めたうえで、英国の歴史家ホブズボームが批判的に回顧したように、哲学的認識論の狭い領域に議論を閉じ込めることになったことは否めない。たとえて言えば、たらいの水とともに赤ん坊まで流したのではなかろうか。この場合赤ん坊とは、体制批判の意欲のことである。こんにち疎外論を認識論的な枠組みから解き放って、資本とその矛盾の内在的展開に即して、資本に対抗する主体形成の論理として復活させようとする、アメリカの独創的マルクス主義者D・ハーヴェイの試みは注目していいと思う。ハーヴェイは、生産・流通部面だけに目が行きがちの左翼の一面性を批判し、コモンズといわれる(福祉、教育、医療、住宅、電気・水道等)生活世界全体を包括した、搾取と略奪からの解放を含む疎外からの解放を唱える。
 マルクス=生産力至上主義者という見方は、戦後一躍時代の寵児となったH・アーレントらのマルクス観と軌を一にしている。アーレントは「人間の条件」という著書で、マルクスの労働中心の哲学を徹底批判している。しかしそれらはほんとうにマルクスのオリジナルな思想を相手にしていたのであろうか。戦後のマルクス像は、マルクス・レーニン主義、すなわちスターリン主義の大なり小なり影響圏のうちにあり、そのバイアスから自由ではなかった。スターリン主義とは何かということにもなるが、自分の浅学さを棚に上げて敢えていうと、結果として後進国の急速な近代化・工業化理論でしかなかった。レーニンは革命初期、社会主義とは何かと自らに問い、「ソビエトプラス電化」と答えた。レーニンのこの発言の真意は、後進的なロシアで高度の文化を必要とする社会主義をすぐさま達成できると思うな、労働者階級が直接権力を掌握しつつ、工業化に不可欠の電化を促進することが当面の課題だということであった。しかしスターリン体制に移行してからは、レーニンのリアリズムは影を潜め、強権的で急速な工業化、物的な生産力の増大が自己目的化され、社会主義として賛美されていく。スターリン批判以後も、スターリン主義の経済的核心部分は、フルシチョフの「アメリカに追いつけ追い越せ」のスローガンとなって引き継がれていく。そういうコンテクストにおいて、1957年のスプートニクの成功は、ソ連における科学技術革命の勝利の証と喧伝されたのである。
 生産力至上主義というマルクス像に異義を唱えたのは、アメリカの左翼「マンスリー・レヴュー」派であった。環境危機への理論的取り組みのなかで、彼らは「本来の」マルクス像を提起した。彼らは、「マルクスは人間が自然を支配するというプロメテウス的(極端な生産主義的)な考え方を採用していたため、生産の自然的限界や生態系の矛盾全般を認識できず、せいぜいわずかな注意しか払わなかったという偏見を左派すらもが抱いていた」(Monthly Review Nov 01, 2021”The Planetary Rift”)として、既成のマルクス像を却下した。そのうえで地球環境危機を、マルクスの「物質代謝Metabolism、Stoffwechselの亀裂」という概念を軸にして解明し、マルクスの全体像を組み立て直したのである。したがってここには、斎藤の言うような晩年期マルクスの大転換は存在しない。
 私自身の見方を言えば、最晩年に至る研究過程で環境問題について認識の深化はあったであろうが、断絶や転換と称するほどの違いはないのではないか。マルクスの最初期の作品である「経済学哲学手稿」においても、共産主義を自然主義と人間主義の統一としており、人間が一方的に自然に対して支配者としてふるまう関係にあるとはみていないからだ。したがって自然環境権、動物(福祉)権、人権のそれぞれを物質代謝という地球的規模の大いなる営みの不可欠な環としてみる今日の見方と、原理的には親和的であるといえるだろう。

Ⅱ ヴェラ・ザースリッチへの書簡の持つ意味
 斎藤は、晩年の脱成長派マルクス像を補強するために、ロシアのナロードニキ指導者ザースリッチへのマルクスの手紙を援用している。つまりマルクスは、ロシアに残る共同体(ミール)を破壊して資本主義化しなくても、コミュニズムを実現できるかもしれないと推察している。しかしソ連邦のその後の歴史は(あるいは人民中国も含めて)、マルクスの可能的見通しを裏切ることになる。つまり市民社会の形成を十分伴わない共同経済は、国家主導の抑圧的な管理社会主義に傾斜し、進歩的な意義を喪失する傾向にある。前資本主義的な社会構成体から一挙に社会主義的な構成体へといたる二段跳びには無理があり、結局前社会的構成の既成性(伝統的なエートスや社会慣習)からくる抵抗と揺り戻しにあって、望ましくない結果を招来することになった。ロシアの社会主義化が、結局社会主義のロシア化への度合いを強め、土着化の果てにとどのつまりは社会主義の本質的部分(コモンズの共有に基づく自由と平等の社会Assoziation)が脱落して、ロシアの専制的な伝統的統治の骨格のみが引き継がれることになったのである。
 しかしロシア革命において、もしレーニンの暗殺未遂事件がなく、ナロードニキの後継者であるエスエル(社会革命党)がボリシェビキによって解党される事態にならなければ、ロシアの社会主義はもう少し違った軌道を描いたかもしれない。ウクライナのキエフを拠点とし、農民層に圧倒的な影響力を持っていたエスエルが存在しなくなったことで、農民層や農村共同体を取り込んだ社会主義の柔軟な在り方が不可能になってしまった。現在のウクライナ危機を目にして、ボリシェビキ対エスエルの因縁の対決―工業化優先か農業保護か―を想い出した次第である。

Ⅲ.革命か改良か
 脱成長コモンズ革命を唱える斎藤に対しては、はやり段階を踏まずに一挙に革命を目指すところに疑問が集中する。説得力のあるお二方の意見を紹介しよう。
 まずは経済学者の宮本憲一との対談から(神戸新聞 2022年1月1日)。氏の広い意味の経済理論は、60年代から70年代にかけての革新自治体運動や反公害やまちづくり等の住民運動にとっての強力な理論的拠りどころとなった。
 氏は、現在の環境危機の解決をめぐる世界の二大潮流を次のように整理してみせる。
―――待ったなしの課題に対して現代資本主義はどう変わるのか。流れは二つ。一つはグリーン・ニューディールや、ダボス会議で提唱された株式資本主義ではない公益資本主義への転換で乗り切る方策。もう一つは体制変革で成長を超えた新しい社会主義といった道の模索だ。いずれにせよ人類史で大きな意味を持つ歴史的な局面に来ている。
 そのうえで、若き斎藤に対し、「地球環境の危機は経済学の革新を求めている。政策論を打ち出す際、現場に行き、データを集める。被害者、加害者、行政に会う。若い斎藤さんには積極的に現場で事実を見てほしい」と述べる。経済思想からウイングを広げて、理念と現実とをつなぐ媒介項である政策を具体化する方向に進むべきことをアドバイスする。革命的な目標を掲げるだけでは絵に描いた餅になる、目標実現のためにはその条件を析出すべくグラスルーツに向かえということであろう。理念的な構想は、現場からのフィードバックがあってこそ、その実現のために具体的な道筋が見えてくるといってもいいだろう。つまり革命と改良は有機的に結びついてこそ、実効性のあるものになる。

 もうひと方は、日経新聞 本年1月27日号に載ったユーグレナ社長出雲充氏の談話。株式会社ユーグレナは、藻の一種であるミドリムシ(学名:ユーグレナ)を主に活用し食品や化粧品の販売、バイオ燃料の研究等を行っているバイオテクノロジー企業の由。ユーグレナは2021年、会社の定款の事業目的を国連の持続可能な開発目標(SDGs)の17項目に完全に合わせた内容に刷新したという。出雲氏は、際限なき利益追求という今の資本主義の在り方には反対で、「利益を最優先する従来の株式会社とは違う新しい株式会社のあり方を社会に向けて発信したい」という。その意味で、斎藤の理念には共鳴するが、ただ大きく違うのは「一発逆転」を狙う考え方には疑問とのこと。SDGsは「大衆のアヘン」というが、大きい仕事も最初はスモールステップからやるしかない。そういうものの積み重ねで社会を変えたいし、変えられると思っているという。

 気候変動に代表される地球環境の危機―それに対して欧米各国の対策では危機の根本的解決につながらず、破局への歩みを止めることはできないと決起したグレタ・トゥンべリらの若者たち。斎藤の問題提起は、こうした動きに直接つながっている。しかしいつの時代でもそうであろう、改良の積み重ねなしに、革命的目標には到達できない。若さを補完する成熟が必要なのだ。十把ひとからげに資本主義というが、曲がりなりにも技術革新や産業構造の転換によって経済成長を維持し環境対策にも熱心に取り組んでいる北欧諸国と、古い産業構造から脱しえず、低成長にあえぎ、新しいエネルギー政策や環境対策も進まない日本との差は歴然としている。日本は革命どころか、改良すらおぼつかなく退却に退却を重ねている。
 資本主義の終焉を説く斎藤の著書や、水野和夫の著書「資本主義の終焉と歴史の危機」のベストセラー化は、わが国の左翼やリベラル派にも衝撃となったはずである。本当には闘わない社会民主主義、大きな物語を語ることを躊躇し、政策のスケールがだんだん狭く小さくなっていく共産党。あわせてわれわれリベラル派の歴史的社会的パースペクティブもだんだん曖昧になっていっている。与党のスキャンダル問題では、ときに野党は国会で華々しく攻勢に出ることはあっても、安全保障、国の産業政策と環境政策、地方鉄道網の解体と合わせて進む地方の衰退と農業危機などについて、大きな議論を仕掛けることはだんだんなくなっている。職場、居住区でのグラスルーツでの取り組みは無きに等しく、支持基盤の高齢化と狭小化に合わせ共産党も含め野党は議員政党化して、本当の意味での戦闘力を喪失して行っているのではないか。日本の世帯数の30%が預貯金ゼロという怖るべき貧困化の状況。そこにだけ宣伝と組織化の焦点を合わせても一大政治勢力になりうる可能性を、山本太郎一個人が示してきたのではないか、たとえその左翼ポピュリズム的政策に問題があるにしても。団塊の世代にもう少しの余力しか残ってないにしても、この際斎藤の姿にあの熱かった日々のわれわれを重ねてみようではないか。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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