全訳「スペイン:危機と切捨てと怒りのスパイラル」 (ルーク・ストバート、ジョエル・サンズ)

シリーズ: 『スペインの経済危機』の正体(その1)
スペイン:危機と切捨てと怒りのスパイラル 

 1990年代後半からスペインに住み、その急激な変貌と無残な崩壊の様子を外国人の目で見つめてきた私にとって、特に日本で1980年代後半の経済バブルとその崩壊を目撃した者にとって、この10年間のスペインはまさに悪魔に魅入られた国としか言いようがありませんでした。一つの国家に取り付き国民からそのあらゆる生活と幸福を奪い取り、食い散らして去っていく「ネオリベラル」の悪魔です。このシリーズが、日本人にとって何か重要な意味を持っているのかどうかは、お読みになる人それぞれでお考えいただきたいことですが、国がどのように破産していくのかの一つの実例としてご覧になっていただけば、と思います。

 このシリーズでは(その1)として、Global Research誌に転載されているSocialist Review誌(カナダ)の記事を翻訳(仮訳)してお知らせすることにしました。この記事が、スペインの「経済危機」の出発点である不動産バブルから金融・政治の不安定化、そして人々の抵抗運動、特に2011年の15M(キンセ・デ・エメ、5月15日)運動に至るまでの幅広い分野を、非常に客観的・総合的に取り上げているからです。個々の事柄について突込み不足のきらいがありますが、スペースを考えるとこれはいたしかたのないことでしょう。
 私としては、まずこの翻訳から初めて、以下の順でこの破産しつつある国家の様子をあるがままに紹介していく予定です。

2012年6月20日 バルセロナにて 童子丸開

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(以下、訳文中のリンクのほとんどは英語情報です。また(1)(2)…は訳者による脚注の番号です。)
http://www.socialistproject.ca/bullet/652.php
スペイン:危機と切捨てと怒りのスパイラル
ルーク・ストバート、ジョエル・サンズ  2012年6月
Socialist Review誌

 2011年3月、多くのガーディアンのレギュラー・コラムニストたちが、スペイン国家の危機と「耐乏生活」に対する人々の「反応」について分析した。そして若い世代の人々が「無関心」であり「従順」ですらあるとを全員が認めた。2ヶ月後、その同じ若者たち数十万人が都市の広場を占拠し100万人が国中でデモを繰り広げた。「怒れる人々」(スペイン語で「インディグナドス」)である(1)。実際にはジャーナリストたちが完全に間違っているわけではなかった。その分析が書かれた最中には限られた反対運動しかなく、スペイン国中の調査では人々は無関心だった。

 現在の世界的な経済危機の直接の原因は、先進国の世界に資産と資金のバブルが広がったことだった(2)。スペインはその極端なケースだった。2007年には(英国とフランスとドイツの合計よりも多い)100万戸もの住宅が建設途中だった。それが建設会社、および国際的な大量の投資(英国の飛行場やハイストリートの銀行の買収を含む)を行った銀行が享受する巨額の利益を増大させたのだ。うなぎのぼりの住宅の価格は消費を刺激し、EUでの仕事の半分がスペイン国家の中で創出されたものだった。

 この巨大なバブルがはじけたときに-国際的な信用の喪失と重なったわけだが、建設は文字通り一夜にして止まった。2008年12月にスペイン国中で新築された住宅はわずか1軒だけだったのだ! 不動産業者と建設業者に対する地方銀行(“カハ”「貯蓄銀行」として知られる)の何億ユーロものローンは「不良債権化」し、そして不況が大量の失業者を生み出したときに、銀行は残酷にも何十万人もの人々をその家から追い出した。そしてそれは売れもしない資産の山を残した。

財政のブラックホール

 社会労働党(PSOE)と右派の国民党(PP)の政府は、貯蓄銀行への介入に消極的であり続ける。実にそれらの政党自身によってそれらの経営が腐敗的な形で推し進められているからである。バンキア銀行(3)が先月にその莫大な額の不良債権の結果として部分的に国有化されたわけだが、その会長だったロドリゴ・ラトは、以前のPP政府の副首相を勤め地方政府の任命者だった(4)人物である。

 住宅バブル崩壊によって起きたこの財政の「ブラックホール」は、経済の残りの分野を押し下げ公的な財政を弱体化させ、スペインが支払わねばならない公的債務の利子を倍増させている。この状況は政府による過酷な緊縮政策によってはるかに悪いものとなってきている。緊縮財政はサパテロのPSOE政権の下で最初に導入されたが、それは年金支給年齢を引き上げ、また以後の政府が公共サービスの経費を借金でまかなうことが難しくなるような憲法改正をPPと共に行うものだった。昨年秋の総選挙でPSOEは主要に労働者階級の中で400万の支持を失い、手荒く退けられた。

 マリアノ・ラホイ率いるPPの勝利以来、その種の構造調整が容赦なく続いている。労働法「改正」が、解雇(長期間の失業給付金を欠く重要な「セーフティーネット」)と不当な低賃金の両方に対する(労働者の)保護を切り捨てた。今年の教育予算は22%削減され、授業料は66%値上げされた。この危機を移民外国人のせいにする下劣な試みの一部として、病院は公式な居住許可を持たない外国人の治療を拒否するように命令されている(多くの医療関係者はこの命令に従うことを拒んでいるのだが)。

 この凶暴さの背後にある一つの要因は、右派による、ナオミ・クラインが「ショック・ドクトリン」と呼んだものを適用しようとする試みである。これは、社会福祉システムを破壊しプロ・ビジネス政策を導入するために、経済危機によって起こる緊張と混乱から利益を引き出すネオリベラルの手法を意味している。ロンドンの暴動の前に、ラホイはディヴィッド・キャメロンのプログラムをモデルとして掲げた。

 同時にまた苛政に向かう欧州の事情もある。ギリシャでの悲惨なベイルアウトの後で、より大きなスペインとイタリアの経済への同様な「救済」のために、欧州中央銀行は欧州の銀行が支える1兆ユーロの基金を創設した。その最初のローンの大部分はスペインの銀行に向かいそれから政府にまた貸しされた(5)のである! こういった間接的なベイルアウトは、強制的な一連の付属物を伴ってやってくる。財政赤字(スペインの場合には5・3%)の削減である。1年間でこの赤字を3.4%に減らすという要求は、歴史に残るレベルの緊縮財政を要求するかもしれない。ラホイは金曜日ごとに新たな「改正」があるだろうと告げているのだ。

 大きな苦しみを生み出すとともに、EUとラホイは経済を不況に押しやっている。失業は増加し続け、昨年には70万の仕事が失われた。そして楽観的な公式予想でさえGDPが今年は2%落ち込むと言っている。ラホイは自分の緊縮政策が「市場を落ち着かせる」と言うのだが、スペイン国債に対する投機筋の攻撃は主要な改正が発表されるたびに起こっているのである。

 GDPに対する公的債務の割合が上昇し、いらだつ債権者の要求が利子のレベル(2007年以来倍増している)を次第に耐え難いものにするにつれ、全面的で劇的なベイルアウトが不可避に思えてくる。要するに、我々はスローモーションの列車転覆事故を目撃しているのであり、スペイン経済がギリシャの4倍のサイズであるがゆえに、これが巨大な国際的な衝撃となりうるのだ。

登場する政治的危機 経済的な不安定と耐乏生活はまた政治的な動揺をも生み出している。絶対多数を勝ち取った半年後にPPへの支持はすでに崩れつつあり、最近行われたアンダルシアの地方選挙では思いもかけない敗北を喫した。中央政府と歴史的事情を抱えるスペインの各地域との間には、中央政府が予算配分をコントロールするために直接に介入しようとするにつれて、新たな緊張関係が現れている。

 もっと悪いことに、国政を行い始めて100日に満たない新政府は労働改革に反対する強力なゼネストに直面した。すっかり信用を失ったPSOEは、耐乏生活に反対する働きかけに激しく取り掛かったにもかかわらず、歴史的な低支持率を維持しており、より左翼的な以前の共産党を基盤にした統一左翼党がめざましく台頭しているが、これも限界を持っている。

 しかし政党支持の動向はスペインで増大しつつある怒りのごく一部分の反映でしかない。よりはっきりした現れは、スペインの国王が、耐乏生活の必要性を説いた演説の後に、ボツワナでの象狩りに何万ユーロもの納税者の金を使ったことが(ある事故の後で)ばれてしまったときのものである(6)。穏健な政治指導者たちですら、このかつては人気のあった国王が退位すべきであると示唆するほど、この偽善に対する怒りは大変なものだった。この当時より大きな危機に向かって進む道を広げたことは、エル・パイス紙の論説員ジュゼップ・ラモネダによって次のように描かれた

 「まるでマルクスが正しかったかのようだ。経済基盤の混乱が政治的な上部構造の無秩序を増大させる原因となっている。」
 「こうして我々は政治的不信の中での危機の深化を見ているのだ。…(地方自治体は)消耗しつくしているいるように見える。モラル面と文化面での危機の深刻化。上層部の―国家首脳にも及ぶ―制度的な危機。世界でスペインが重要性を失ったことを示す(スペインの石油会社レプソルの国有化以後の)アルゼンチンとの外交的危機。」

 彼の記述が示すものは、深刻な紛争に引き裂かれたスペインの以前の時代(20世紀初期にスペインは最後の植民地を失い、地方と中央の争いが現れそして共和国が作られたことなど)の後に訪れた一服の時代の終わりである。経済的な不調が続くにつれて、こういった不安定さが社会的な紛争を強め拡大させるのかもしれない。

1年経った15M運動 社会的紛争は過酷な耐乏状態の一つの特徴である。重要な転換点が、昨年のインディグナドスによる15M運動の激しい爆発である。これは若者たちの仕事やその他の利益の悪化(52%が現在失業中(7)である)の返答として、そして「政治的階層」への拒絶として現れた。それは同時に、前の9月にゼネストを行ったにもかかわらず厳しい年金のカットを支持してきた主要な労働組合に対する反発によっても形作られた。

 この15M運動は動員力を維持し続け、二つの抵抗の日を持った。10月15日と今年の5月12日である。そのときには70の都市で何十万人もの人々がデモを行った。先月の抵抗の間に、多くの団体が都市の広場を再び占拠し、15日の1周年の日までそこで寝泊りした。そして数多くの「封鎖」やその他の行動が銀行とPPに対して行われた。

 昨年5月と比べてみると、活動家の数は減り沸騰するような雰囲気は消えていた。にもかかわらず、昨年までは存在していなかった活動家集団の幅広いネットワークが維持されている。そしてこの運動に対する大衆の共感も高いままである(最近の調査では68%)。

自律主義の台頭

 この新しい運動の形態と内容の主要な政治的傾向は自律主義である。大雑把に言えばアナーキズムとマルクス主義の混合であり、その戦略は、通常なら伝統的な労働者組織の中で見られることだが、「権力構造」の違いから別々に過激な闘争と組織化に照準を当てる。だがその強力な影響力の理由は、活動家の大部分が意識して「自律的」であることというよりは、むしろこの運動の考え方が、自らの生活をより大きく自立したものにするために闘いたいと願ってはいるが政治的な経験に欠ける(つまり若者の大部分が無職であるため労働組合員ではない)、そのような人々にとっての「コモンセンス」と映ることである。

 自律主義はこの運動に積極的な影響を与えてきた。たとえば救援センターは議会主義を超えた闘いと直接民主主義にとっての政治的な実践である。しかしながら、その政治的な道の多さの中で運動の進展は遅められてきた。PSOEとPPが憲法を改正した後で、その運動の大半は主要な労働組合のデモに参加することを拒否し、この歴史に残る暴挙に対する反対活動を限界付けてしまった(インディグナドスの抵抗運動への参加をメンバーに呼びかけている組合は拒否しなかったが)。

 何百もの家族を守ることに成功し法改正を推し進めてきたPAH―強制立ち退き反対委員会(8)とインディグナドスたちとの共闘でこの分裂が明らかになった。

 同様に、「中心の無い自由な空間」を最大限に要求する本来の自律主義的なこだわりが、自分自身の限界を作ってしまった。都市空間占拠に対する警察の暴力的な抑圧の増大は、空間の要求が資本主義の下で一時的に可能なだけのものであることをはっきりとさせ、また具体的な要求を優先させないことや何かを中心にした調和を図らないことが、運動の拡大を阻害してしまっている。

 しかし、こういった事柄について、また昨年来この運動が多くの政治的な試みの姿の中で成熟してきたことについて、この運動の中で大きな議論が続いている。いま明らかに、現実の状態として広場占拠は生き続け、どの地理的な空間と「社会的な課題」が社会を変革させる可能性を持つのか(我々社会主義者はそれを事務所と工場にいる労働者であると主張するのだが)についての議論を産み出している。

 具体的な要求を作ろうとする大きな意思もまたある。5月12日の抵抗運動は5つだけに基づいていたのだ。同様に、金曜日の改革に反対してPPの本部前で抗議集会を行う提案にも見られるように、闘いの中で政治家を遠ざけようとする雰囲気も薄れた。反資本主義左翼がいまやおおっぴらに運動の中で認められている。昨年のマドリッドでの泊り込みの抗議活動が選挙制度改革の要求に支配されていたのだが、今回それらは緊縮と負債についてだった。

労働組合の役割

 特に勇気付けられるのは、15Mネットワークと組織労働者との間での一致が育っていることである。巨大なCCOO(労働者委員会)やUGT(労働総同盟)に対するセクト主義は続いているのだが、活動家たちと病院や学校を守ろうとしている組織労働者たちとの間には同盟が存在している。この新しい占拠運動の中で最も目立つグループの一つが、トレードマークの色のシャツを着けた教師たちだった。

 この15M運動は(緊縮政策の過酷さと並んで)労働者の闘争に活力を与える一つの要素であり続ける。3月29日のゼネストは特に巨大であったことに加え、この日には100万人のデモと膨大な数の若者たちが過激なピケに加わった。この運動と結びついた労働者の闘志に新たな前進があったのだ。

 昨年の9月にマドリッド地区の教師たちは15Mタイプの会議の中で(組合幹部によって部分的に潰されはしたものの)激しいストライキを組織した。この記事を書いている間も、小学校、中学校そして高等教育機関の教師(及び学生たち)はこの半島中でストライキを行っている。バレンシアでは、十代の学生たちが武装警官の残酷な襲撃を受けた後で大掛かりなデモが行われ、6日間の学校ストライキが予定されている。労働組合活動家たちはUGTとCCOOが近いうちに新たなゼネストを呼びかけるのではないかと信じている。

 15M運動のようなラディカルな例に刺激され、支配階級がますます残酷に抑圧的になる中で、階級闘争とその政治運動化が拡大するにつれて、より大きな対決が起こる状況が作られようとしている。

 経済が転落し続ける中で、一つずつのネオリベラル的な改革がいっそう火に油を注ぐため、スペインが新たな「ギリシャ」となる(スペインでは左翼と労働組合はより弱いのだが)可能性はなきにしもあらずだ。過激な左翼の小規模で部分的な力は、来るべき時代のために闘いを前進させ新たな同盟を建設するために立ち上がる必要がある。

【翻訳、ここまで】
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【訳者による注釈】
(1) この「15M(キンセ・デ・エメ)運動」と「インディグナドス」については『515スペイン大衆反乱』シリーズをご参照願いたい。
第1話:バンケーロ、バンケーロ、バンケーロ」、「第2話:プエルタ・デル・ソルへ」、「第3話:広場を取り戻せ!」、「第4話:暴力反対!」、「第5話:世界に広がる「スペイン革命」」、「第6話:限界、分裂、そして広がり」、「第7話:5月15日から10月15日への「長征」」、「第8話:旅人に道は無い。歩いて道が作られる。
(2)スペインのバブル経済(1998~2007)についてはこのシリーズの(その3)で詳しく説明したいが、ここでは次のリンク先で、スペインの土地価格の変遷グラフをご覧いただきたい。
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Vivienda_n_jun2009.png?uselang=es
なお、スペインの住宅価格は2007年を頂点として下がる一方であり、2012年の上四半期には12.6%という最大幅の下落を記録した。
(3) バンキア銀行についてはこのシリーズの(その4)で触れる予定だが、バブルの不良債権を大量に抱え込んだいくつかの地方銀行をかき集めて2010年に急遽作られたスペイン第4の銀行である。大雑把なことはこちらの日本語版Wikipediaでご覧いただきたい。
(4) この部分は意味不明。ラトはPPアスナール政権下で経済大臣兼副首相を務め、2004年以後、IMFの会長となった
(5) スペインに対するEUの「救済」についてはこのシリーズの(その4)で詳しく触れるが、ラホイは喜劇的なまでにかたくなに、これを「スペイン国家への救済」と呼ばれることを拒み「銀行への融資(資金注入)」と言い換えている。
(6) この件については(その2)で詳しく説明したいが、スペイン王家の恥さらしはそのほかに、娘婿のパルマ公爵ウルダンガリンによる公金横領事件が有名。
(7) この「52%」という数字はスペインの国家統計局によるものだが、実際には、職探しを諦めている膨大な数の大学・職業学校卒業者は統計から除外されており、実態はこれよりもはるかに厳しいだろう。これについては(その5)で、一般の失業率と併せて、触れてみたい。
(8) 「PAH(Plataforma de Afectados por la Hipoteca)」については(その3)でも触れるが、失業して収入を失い銀行ローンの支払いが不可能となった人々を、抵当権を持つ銀行による追いたてから救済するためのNPO組織で、15Mメンバーを中心にして各都市に形作られている。2007年以来、スペイン中でおよそ35万件の(強制的な)住宅立ち退き措置がとられてきたとみられるが、その結果、膨大な数の新たなホームレスとストリート・チルドレンが生み出されつつある。PSOEもPPもこのような人々にそっぽを向いており、また大手の労働組合も救済への組織的な取り組みには熱心ではない。

http://doujibar.ganriki.net/webspain/Spain-a_spiral_of_crisis.html より転載。

原文は http://www.globalresearch.ca/index.php?context=va&aid=31371 )

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔eye1975:120623〕