八月の憂鬱

毎年、八月になると暑さのせいもあり、何とも嫌な気分になります。 あの事件(私には、「事故」と断定出来得ていないので)までは、敗戦記念のために、そうなるのでした。

八月十五日前後には、戦争の悲惨さが毎度、毎度繰り返されて、その悲惨な戦争を始めた当の国の国民が揃って被害者になる不可思議な現象を眼にするために憂鬱になるのです。

でも、あの事件があってからは、何とも表現し難い陰鬱な気分と、それとは正反対の阪神タイガースのファンならではの高揚した気分とが混じるようになっているのです。

高揚した気分は、甲子園バックスクリーン三連発で始まった阪神の優勝です。 そしてファンだった最強の一番バッター・真弓選手の先頭バッター・ホームランも。 

陰鬱な気分の理由は、阪神球団社長の事件死とその事件そのものの不可解な顛末が原因です。  
阪神タイガースの優勝そのものは、決まったその時に大阪のど真ん中にある戎橋の橋周辺で友人達とともに祝いました。 騒然とした空気の中で群衆が思い思いに派手に祝っていたのを覚えています。 目前で何人もが濁った川に飛び込むのも見ました。 

ただ、今に至るまであの事件、即ち阪神球団社長が犠牲者の一人であったJALのジャンボ機が墜落した事件の真相が判明したとは、私には、とても思えないのです。 それは、事件の第一報からして不可解だったからです。  

500名以上が搭乗した旅客機が消息不明、とテレビのニュースで報道があったのでした。 この国で、です。

しかし、無線アンテナはあるものの一端搭乗すれば何処とも通信出来なかった第二次大戦時のゼロ戦ではあるまいし、高度な通信機を装備して地上からの管制も受けている旅客機が消息不明、とは、と驚きました。 それには、私の住む処が飛行場の近辺である事情もあり、幼い頃から飛行機には特に興味を持ち、専門誌も購読しながら昭和の時代より英国製のプラモデルに夢中であったこともありました。 ジャンボが行方不明になるだろうか、と。 レーダーはどうなったのか、と。 空中で爆発でもしたのだろうか、と。 爆発したのならレーダーから突然消えても可笑しくはありませんから。

JAL機墜落の原因がボーイング社の隔壁修理が不完全であったから、との疑惑のままに真相究明が不完全で終始し、刑事責任の追及がなされないままで今日に至っている事情も、全く理解不能です。 五百人以上もの犠牲者が出ている大事件なのに、その責任が追及されない、と言う不条理には天を仰ぐしかないのです。  

そして、NHKのある番組に依りますと、事件の捜査に携わった群馬県警の捜査当局の担当官も同様に天を仰いでいたらしいのです。 

「これだけたくさんの犠牲者がおられて、一捜査官として起訴にこぎつけることができなかった悔しさというのは、現在も体が熱くなるほど思い出す」と。(群馬県警 事件総括班長(当時) 山田俊秀氏)
(日航機事故30年 捜査員はどう向き合ったか NHK 特集/日航機事故/ 首都圏ネットワーク 群馬/ 2015811日)
https://www.nhk.or.jp/shutoken/miraima/articles/00241.html 

そして、本年、群馬県警が業務上過失致死傷容疑で書類送検した20人のうち、ボーイング社の4人を除く日本航空と運輸省(現・国土交通省)の16人の供述の全容が11日、明らかになった、との報道があったのでした。
(日航機事故、送検16人の供述判明=ボ社任せ、責任否定-墜落33年 時事通信 2018/08/11-18:39
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018081100369&g=soc 

一体、当時の検察が不起訴とした経緯は如何なるものであったのでしょうか。 米国内事情が如何なるものであろうとも秋霜烈日の気概を持って刑事責任を追及すべき事件であった筈なのです。  

JALジャンボ機墜落に至る原因と経緯そのものが「推定」のままで事件の全体像が不明、加えて刑事事件としての追及も出来ずに不起訴。 これでは、戦後の数多ある不可解な事件群に加わるのみ。 即ち、帝銀事件や、下山事件、等々、です。

関係機関(個人も)には、本事件に関わる捜査等の公文書保管には万全を期して頂くとともに、決して「忖度」に依る公文書毀棄を行うことの無いように願うものです。 何時の日にか天下に真相を明らかにすべき日が来るでしょうから。