共産党の再生は可能か(その1)

共産党は政党から教義集団に変質したのか、志位議長の「『資本論』がいよいよ生命力を発揮する時代がやってきた」を読んで

年末から年始にかけて、共産党の機関紙「しんぶん赤旗」を念入りに読んだ。一言で感想を記すと、共産党が「政党=政治団体」から資本論を教義とする「教義団体=イデオロギー集団」に変質しつつあるのではないか、ということだ。赤旗は年末に「『Q&A資本論』(赤本)学習の県・地区委員会の経験交流会」の志位発言を大特集し、年始には志位議長とカナダのマルクス研究者、マルチエロ・ムスト(ヨーク大学教授)との「新春対談」を全紙5面にわたる特大紙面で報じた。資本論を読めば、まるで日本政治の矛盾を一挙に解決できるかのような扱いだ。「赤本」経験交流会での志位発言を紹介しよう(赤旗12月13、17日)。

(1)日本でも『資本論』を読むムーブメントを起こすことは可能だ。『資本論』学習運動を全党の取り組みに発展させ、草の根から広げることができたら、日本は変わる。その根拠に、①「赤本」「青本」(『Q&A共産主義と自由』)の内容が若い世代や労働者に強く響き、科学的社会主義を理論的基礎とする党の「土台中の土台」である『資本論』の魅力に触れて入党する人が広がっている、②党活動全体に新鮮な活力、明るさを与え、党の質を変えつつある、③学習運動を力に労働者党員が「これこそ搾取だ」と自覚し、職場の労働条件改善の交渉に足を震わせながら立ち上がった「勇気ある闘い」が開始されている、④未来社会の魅力を受け身ではなく、共産主義の「基本原理」は「各個人の完全で自由な発展」(『資本論』)にあると、自分の言葉で攻勢的に語れるようになった、などがある。

(2)特に訴えたいことは、①この運動を党内に留めず、党外の人々に広く働きかける運動として発展させること、②国内外でのマルクスと『資本論』への注目の高まりは偶然でも一過性のものでもなく、資本主義というシステムの矛盾がいよいよ深まり、「人類はこのシステムを続けていいのか」という問いが広くわき起こり、資本主義に代わる新しい社会への模索が広がっている、ことである。

(3)今、資本主義的搾取はグローバルな規模で超富裕層の富の拡大と不平等の拡大を空前のレベルまで拡大し、この問題を根本的に解決するには『資本論』が明らかにしているように、資本主義体制そのものを変革するしかない。さらに21世紀の人類が抱える課題、自由な時間、環境、ジェンダー、教育、生産力などについて、『資本論』は驚くほど深く立ち入り、先駆的に論じている。マルクスが『資本論』に込めた革命的メッセージ、すなわち資本主義を「必然的没落」に導く原動力となるのは、資本主義による矛盾や害悪とのたたかいの中で労働者階級が成長・発展を遂げることにこそあることが、今ほど強く求められているときはない。21世紀の今こそ『資本論』の学習に取り組むべきときである。

気取った発言だが、これまで少しでも資本論をかじったことがある世代にとっては、このような見解はさほど目新しいものではない。この半世紀の間にマルクス研究が進み、新しい解釈が出てきたことは多くの人が知っているからだ。志位議長は自分がさも新発見したかのような口ぶりで話しているが、大方の読者はそれが各方面の研究成果を寄せ集めた簡易版にすぎないことを見抜いている。だが、問題はなぜ今、志位議長がことさらに『資本論』の学習運動を大声で叫ぶようになったのか、ということだろう。そこには昨年末までを「世代的継承を中軸に、質量ともに強大な党をつくる集中期間」としながら、党勢拡大がいっこうに進まない(逆に党勢後退が続いている)深刻な事態が横たわっている。

昨年12月25日に開かれた党幹部会では、「集中期間を4月末」まで延長することが決まった。「『資本論』の内容が強く響き、入党する人が広がっている」「党活動全体に新鮮な活力を与え、党の質を変えつつある」との志位発言とはウラハラに、党員拡大は5千人の目標に対して僅か1349人(4分の1)にとどまり、赤旗読者は12月1日時点で、電子版と紙の読者数の合計は、第29回党大会時比で日刊紙93.6%、日曜版91.9%と、依然として後退が続いている(赤旗12月26日)。

赤旗12月31日の「12月の党勢拡大実績」によると、入党518人、日刊紙「紙」250人減、日曜版「紙」3098人減と後退が続き、電子版も日刊紙78人増、日曜版394人増と当初の勢いが失われてきている。その結果、昨年9月から12月までの4カ月間の拡大目標と実績の差は、①入党:目標5千人に対して実績1466人(3割)、②日刊紙:目標1万人増に対して実績は「紙」1835人減、電子版562人増、計1273人減、③日曜版:目標「紙」2万7千人、電子版3万人、計5万7千人に対して、実績は「紙」9234人減、電子版8781人増、計453人減となった。

一方、赤旗訃報欄に掲載された死亡者は4カ月で633人、掲載率を4割弱とすると死亡者は1600人前後になり、これだけで入党者を超える。つまり、党員数と「紙」の機関紙は依然として後退が止まらず、電子版は思うように増えないという状況が続いているのである。この調子では、「集中期間」を4月まで延長しても同じことで、統一地方選挙は厳しい結果を迎えることになるだろう。また、年内に予想される次期総選挙ではもっと議席が減るかもしれない。

それでいながら、志位議長はこのような党勢後退の現実を直視せず、またその原因を解明することもなく、『資本論』学習運動を推進すれば世の中が変わり、あたかも党勢が回復するかのような空想的発言を続けている。このことは、彼自身がもはや党再生のリアルな展望を描けなくなり、資本論の単なる「イデオローグ」に変質したことを物語っている。資本論が資本主義変革の導きの書だとはいえ、マルクス自身が「哲学者たちは世界を様々に解釈してきただけだが、大切なのはそれを変えることだ」(フォイエルバッハ・テーゼ)と論じているように、理論を社会変革に結びつけなければ志位発言は単なる空論に終わるしかない。

そのためには「政治活動」の活発な展開が不可欠であり、中核となる「政党」が原動力にならなければならない。国民の支持を得ることができない政党では、体制変革が不可能だからである。

もう繰り返さないが、国政選挙のたびに得票数と議席数を減らし続けている共産党は、以前のように国民・有権者の確かな支持を得ている政党だとは言い難い。そのことを図らずも可視化したのが、12月18日の赤旗1面の写真だった。臨時国会閉会にあたって田村委員長が党国会議員団総会であいさつをした時の光景だ。2つのテーブルに座っている衆参両院議員は12名、幹部席の5人を入れても17人しかいない。周辺には取材記者や党関係者が数十人取り巻いていたが、肝心の議員席がガラガラで空きが目立った。また、幹部席では頭髪のなくなった志位議長の姿が写っているが、12月27日赤旗の「幹部会会議での志位議長発言」記事では、まだ頭髪の濃い50代の写真が掲載されている。党指導部の高齢化を覆い隠しようとする涙ぐましい演出とはいえ、そのことが却って事態の深刻さを際立たせているのは皮肉なことだ。

日本共産党の「宿痾」(しゅくあ)ともいうべき病根は、不破・志位「長期体制」に象徴されるように党指導部の新陳代謝が進まず、党組織の高齢化と党活動の停滞が常態化していることだろう。そのことが選挙結果に跳ね返り、国会議員が減少する根本原因となっている。拙ブログのコメントでも、党勢拡大の成果が上がらないのは、「共産党の国会での存在感がなく、国民生活の改善が図られる役割が果たされていないため、『共産党はこういう働きをしました。赤旗読んでください。入党してください』というアピールができず、対象者がいない」ことが指摘されている。

それでもなお、志位議長は上記の幹部会会議の中で、資本論学習がニューヨーク市長選勝利の原動力となり、ドイツ総選挙では左翼党(リンケ)躍進ের背景になったことを繰り返し強調し、カナダのマルクス研究者と共産主義論・未来社会論の見解が一致したとして、「日本共産党の未来社会論の探求は国際的にも通じる力をもっている」と吹聴している。だが、ドイツ総選挙とニューヨーク市長選の躍進の原動力となったのは、資本論をアピールしたからでも、共産主義の未来を論じたからでもない。両選挙の勝利を導いたのは、現在の生活困難(物価高や住宅難など)を打開するリアルでシンプルな政策の提起であり、それを我がことと捉えた若者の昼夜を分かたない精力的な選挙活動だった。そして、この若者世代の圧倒的なエネルギーを引き出したのは、今年1月1日、ニューヨーク市長に就任したゾーラン・マムダニ(34歳)やドイツ左翼党のイネス・シュベルトナー(共同代表、36歳)などの若い指導者だったのである。

大晦日の各紙は、不破哲三前議長(95歳)の死去を挙って伝えた。記事の扱いが単なる死亡記事ではなく「評伝」とあるように、ベテランの政治記者たちがその生きざまをさまざまな角度から執筆している。毎日新聞は「不破氏死去、共産党の理論的支柱、晩年まで党内影響力」、朝日新聞は「理論と茶目っ気、見つめた現実」、日経新聞は「共産党を現実路線に、理論的支柱、半世紀余り」などである。各紙はいずれも不破氏が党内切っての理論家でありながら、野党共闘を推進するために党綱領を改定し、「労働者階級の前衛政党」「社会主義革命」などの表現を無くして自衛隊、天皇制を「当面容認」することを打ち出した「現実・柔軟路線」を高く評価している。とはいえ、評伝の結びが次のような言葉で締めくくられているのは興味深い。

〇毎日新聞:(不破氏は)晩年まで党内に強い影響力を残した。別の視点から見れば、党内規律を優先する「民主集中制」(党規約3条)の下で、不破氏に対する党内の批判は封じられていた。閉鎖的な党運営は不破氏が一線を退いた後も続き、2023年には党首公選を訴える本を出版した党員が除名された。不破氏の声望と裏腹の党内の硬直が、今日の党勢低迷につながっている。

〇朝日新聞:冷戦終結後、先進諸国の多くの共産党が消えていく中で、不破氏は現実路線を進めることで日本共産党を一定の存在感を持つ政党として生き残らせた。しかし、民主集中制という特異な組織や閉鎖的な体質に手をつけることはなく、退潮傾向が続く今日の大きな課題として残されている。

翌日元旦に掲載された赤旗の「いまこそマルクス、志位議長×マルチェロ・ムスト教授 新春対談」も読んでみたが、私は志位議長の結論とも言うべき次の一節に強い違和感と疑問を抱いた。

――「各個人の完全で自由な発展を基本原理」とする社会(『資本論』)ということこそ、マルクス、エンゲルスが初期の時期から晩年まで一貫して追求し続けた未来社会の特質だと考えています。物質的な富、自由な時間、自然の富、そして人間そのものの自由で全面的な発展、そういうものの総体をマルクスは富として捉えていたのではないでしょうか。

「人間そのものの自由で全面的な発展」を実現するのが共産主義の未来社会だとすれば、そのための社会変革を目指す政党・共産党は、党組織においても党活動においても「人間そのものの自由で全面的発展」を保障しなければならない。だが党生活の実態は、「党中央委員会は『決定の徹底読了=決定の鵜呑み』を求め、もっと広く自分の頭で考えることをさせない。党員もそのやり方に慣れきって自分の頭で考えない。他の支部との交流はなく、民主集中制の害悪が浸透している」(拙ブログへのコメント)というものであり、その根底には党員・党組織間の自由な意見交流や意見交換を禁ずる「民主集中制」(党規約)の厳格な運用があることが内外で指摘されている。

志位議長が提起する資本論学習運動は、マルクスが生涯を懸けて追求した「各個人の完全で自由な発展を基本原理」を掲げながら、その実は、党勢後退の根本原因が党指導部への批判を封じた「民主集中制」と不破・志位長期体制にあることを覆い隠し、今後も最高ポストに居座り続けようとする「自己矛盾・自己欺瞞」の世界を露わにしている。党指導部と党組織が(超)高齢化している現実を変革しようとせず、国民の生活困難と生活矛盾を政治活動によって打開せず、資本論の学習運動に逃避するような政党には「再生の道」はない――これが、年末から年頭にかけての私の偽らざる感想だった(つづく)。

「リベラル21」2026.01.14より許可を得て転載
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[Opinion14620:260114]