共産党はいま存亡の岐路に立っている(その72)

自公政権が〝少数与党〟になった多党化時代に共産が後退する理由、共産はなぜ80万票(2割弱)もの票を失ったのか、2025年参院選の結果から(番外編2)

2024年衆院選は、自民が単独過半数を割ると同時に、自公連立政権が過半数を割るという「地殻変動」が起こった歴史的総選挙だった。2021年衆院選と比較した議席数は、自民70議席減(261議席→191議席)、公明8議席減(32議席→24議席)、合わせて78議席減(293議席→215議席)となり、過半数の233議席を割って〝少数与党〟となった。比例得票数は、自公合わせて2702万票(47.0%)から2054万票(37.6%)へ激減し、648万票(4分の1)もの票を失ったのである。

革新勢力の後退の上に胡坐(あぐら)をかいてきた自公政権は、共産党の機関紙・赤旗の「裏金問題スクープ」をきっかけに利権体質を暴露され、国民の厳しい批判に曝された。その背景には、実質賃金が30年間にわたって上がらず、物価高の中で生活困窮が進んでいることへの国民の爆発的な怒りがあった。自公政権は与党の奢りで、その怒りに気付いていなかった。一方、「身を切る改革」を掲げて躍進した維新は、政策の実効性に疑問を持たれて41議席から38議席へ3議席後退した。

裏金問題にまみれた自公政権の批判票の受け皿として、立憲、国民、れいわの野党3党が浮上した。保守岩盤層からも「自民離れ」が起こり、新興政党に票が流れて参政党と日本保守党が各々3議席を得た。この地殻変動は、革新勢力の再結集によって引き起こされというよりも、自公政権に見切りを告げた保守支持層の「与党離れ」によるものだった。自公政権が統治能力を失うことによって、多党化時代が始まったのである。

かってない情勢が展開する中で、選挙前に立憲代表となった野田佳彦氏は、これまでの「野党共闘」に見切りをつけ、日米同盟の継続、共産との政権協力拒否、維新との協力追求など「中道シフト=中道路線」に舵を切った。裏金問題で自民から離反した「穏健保守層」を取り込み、多党化した政局に対応できる体制を整えようとしたのである。立憲はこうして、自公政権に対置する「野党第1党」として無党派層からも一定程度の支持を取り戻し、96議席から148議席へ52議席増加させた。国民とれいわは所得政策を重点に選挙戦をたたかい、国民は11議席(公示前は7議席)から28議席へ2.5倍増、れいわは3議席から9議席へ3倍増と躍進した。

不思議なことは、裏金問題をスクープした共産が10議席から8議席へ後退したことである。共産は立憲が「野党共闘」を破棄したことから、小選挙区に最大限の候補者を擁立することを決定し、前回総選挙の2倍に当たる213名を擁立した。小選挙区で多くの候補者が選挙活動を繰り広げれば、比例得票数の拡大が期待できると判断したからである。ところが案に相違して、比例得票数は逆に前回の416万票(7.2%)から336万票(6.1%)へ80万票(2割弱)もの大幅な減少となり、議席数も10議席から8議席へ2議席減となった。共産党は全国都道府県委員長会議(2024年11月15日)で中間的な選挙総括を行い、「党の政治論戦は全体として的確なものだったが、問題はその内容を多くの国民に伝えることができなかったことであり、その根本に党に自力が足りないことがある」と、いつも通りの無意味な総括をしただけだった(『前衛』2025年3月臨時増刊号)。

だが、このような通り一遍の選挙総括では、裏金問題に火をつけた共産が逆に「2割弱」もの票を失ったことの説明にはならない。そこには政治情勢が激変しているにもかかわらず、従来通りの方法でしか選挙活動を展開ができなかった共産が、無党派層や若者世代から忌避されるという事態が進んでいたのである。読売新聞と日本テレビの出口調査によると、野党への無党派層の比例投票先は、立憲25%、国民17%、れいわ11%に対して共産6%と段違いに少ない。また年代別の比例投票先は、20代は国民26%、立憲14%、れいわ11%に対して共産5%。30代は国民22%、立憲13%、れいわ12%に対して共産5%。40代は立憲17%、国民15%、れいわ12%に対して共産4%と、共産はいずれも底辺に沈んでいる。なぜ、かくも共産の投票先が少ないのか。そこには、共産の閉鎖的・権威主義的体質に対して違和感を示す無党派層や若者世代の気分がはっきりと読み取れる。

志位議長の演説に典型的にみられるように、前衛エリート然とした「上から目線」の言動や態度には「付いていけない」と感じる人たちが少なくない。「普通の人」感覚の無党派層や若者世代にとっては、革新の大義や共産主義と自由を声高に叫ぶ志位議長は、自分たちの切実な要求を置き去りにしてどこか「遠い世界」のことを論じているようにしか聞こえない。演説を聞いて理解しようとする前に「肌合いが合わない」として寄り付かない――、こんな気分が無党派層や若者世代の間では大きく広がっていた。共産が案に相違して大敗したのは、赤旗が「裏金問題スクープ」したことへの共感よりも、共産の体質に嫌気を指す気分の方がはるかに大きかったからである。

碓井氏は前著で、「人に対する評価が、その人の言葉でなく行為によって決まるように、いかに良い政策や路線を示しても、組織の実態が市民社会の文化にそぐわない場合には、政党は信用されず、したがってその支持は限られることになる」「民主集中制自体はそれなりの根拠を有する組織原則であるが、組織の疎外状態においては、それはむしろ寡頭的支配を強化し、組織の矛盾を拡大し、党のあり方と国民の意識との間に大きな乖離を生む。共産党にとって、一般市民目線に立った改革が今ほど求められている時はない」と述べている(第4章、民主集中制と組織の疎外)。

この指摘はズバリ志位氏その人に当てはまる。志位委員長は2021年総選挙の敗退で記者団からその責任を問われたとき、「政策や政治方針が間違ったときは責任を取るが、今回の総選挙はそうではないので責任を取る必要がない」と言い放った。そこには、民意として現れた選挙結果よりも党の政策や方針を上位に置く典型的な「前衛エリート意識」が露呈されており、市民意識との乖離をものともしない傲慢さが溢れている。2024年衆院選における共産の大敗は、起こるべくして起こった結果だったのである。

志位氏が共産党の最高幹部に就任してから既に四半世紀を経過している。碓井氏が指摘するように、民主集中制に基づく共産の「寡頭的支配」は、これ以上の形が考えられないまでに完成している。志位新著を本人が講師となって常任幹部会メンバー全員が学習する、中央委員会総会では〝全会一致〟で志位議長の「中間発言」を含む決議案を決定する、日本共産党創立103周年記念講演会では田村委員長が志位議長の「中間発言」を忠実に解説するなどなど、党全体がまるで志位議長にひれ伏しているかのような印象を与える。

自公政権が少数与党に転落した2024年衆院選の翌年、自公両党は参院選においても少数与党となった。自民は公示前52議席から39議席へ13議席減、公明は14議席から8議席へ6議席減、合わせて66議席から47議席へ19議席減となった。議席数は3年前の前回参院選と比較して、自民が114議席から101議席、公明が27議席から21議席、合わせて141議席から122議席となり、過半数の125議席を割った。自公両党の比例得票数が、前回参院選の2443万票(46.0%)から1801万票(30.4%)へ642万票(4分の1)もの大量得票を失ったのがその原因だった。しかし、前年の衆院選と違うのは、野党陣営にも大きな「地殻変動」が生じたことである。(つづく)

初出:「リベラル21」2025.10.17より許可を得て転載
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