野田佳彦首相は10月28日、衆参両院の本会議で就任後2度目の所信表明演説を行い、TPPの交渉参加についてこう述べた。「引き続きしっかりと議論し、できるだけ早期に結論を出す」と。いかにも官僚答弁という印象だが、首相のハラはすでに交渉参加に決まっている。
TPP参加は何をもたらすか。日本の「国のかたち」を<壊す>のか、それとも<新たに築いていく>のか。望ましい選択は<新たに築いていく>路線である。これはTPP依存型の成長戦略は間違っているという認識に立って、国内需要重視、地域自立型経済、反グローバル化を選択する路線である。(2011年10月29日掲載)
▽ 毎日新聞「記者の目」に学ぶこと
毎日新聞(10月27日付)「記者の目」(筆者は東京地方部・位川一郎記者)が目下、日本の政治・経済最大のテーマとなっている環太平洋パートナーシップ協定(TPP=Trans Pacific Partnership Agreemen。環太平洋経済連携協定ともいう)参加問題について読み応えのある正論を述べている。その主見出しは「輸出依存 もう見直す時だ」で、このほか「TPP交渉参加は本当に必要か」「農業、医療などリスクが大きい」「内需重視し地域自立型に」などの見出しが並んでいる。TPP問題を学ぶ上で有益な「目」を提供している。
以下、その大要を紹介する。
政府は「アジア太平洋の成長を取り込む」として参加を決めたいようだ。しかしこれ以上海外に依存した成長を目指す戦略は間違っている。国民の大多数にとって、TPPのリスクは大きく、メリットはわずかだろう。野田首相が参加を思いとどまることを願う。
*農業、医療などリスクが大きい
慎重派は多くのリスク、問題点を挙げている。
・関税撤廃で打撃を受ける農業
・「混合診療」の全面解禁や株式会社の参入による公的医療保険の縮小
・遺伝子組み換え作物の表示、残留農薬などの食品基準の緩和
・公共事業の発注ルールや日本郵政の簡易保険への影響など
影響を受けるのは日本だけではない。TPP加盟国は、ビジネスの「障壁」を除くために国内規制の緩和を求められる。推進論者は「アジア太平洋のルールづくりに日本がかかわるべきだ」と声をそろえるが、誰のためのルールなのかと問いたい。
そもそも輸出や海外進出に依存した経済成長はもはや国民を幸福にしないのではないか。輸出主導で景気が回復した03~07年度の間に、企業の経常利益は48%増え、株主への配当金は94%増えた(財務省の法人企業統計)。しかし同じ期間に労働者の賃金は0.3%下がった(厚生労働省の毎月勤労統計)。輸出企業が、新興国などの安い製品と競争するために人件費をカットしたからだ。
経済連携を広げ、輸出と対外投資を増やしても、利益を得るのは輸出企業とその株主だけで、賃金と雇用は増えない構造といえる。
*内需重視し地域自立型に
中長期的な政策の方向としては、国内の需要に注目することの方が重要だろう。供給過剰(需要不足)の日本経済だが、環境、自然エネルギー、福祉、食などのように供給が足りない分野はまだ多い。むやみに海外へ販路を求める前に、国内で必要な製品、サービスが十分に提供され、雇用も確保される経済が望ましい。同時に税などによる所得再配分で格差を是正すれば、中間層の厚味が戻り、個人消費が増え、景気回復の力にもなる。
特にグローバル化の対極にある「地域」の役割はもっと評価されていい。原発やショッピングセンターに象徴される外部からの大規模投資は、あちこちで地域の自立を損ない、コミュニティーを破壊し、人と人との絆など国内総生産(GDP)の数字に表れない便益が失われた。もう一度、地場の企業や自治体などが主役になって、身近なニーズに応える自立経済を築いてほしい。その際、経済評論家の内橋活人氏が提唱する「FEC自給圏」、つまり食料(Food)、エネルギー(Energy)、福祉(Care)の自給という考え方が指針になるだろう。
貿易には資源を浪費し地球に悪影響を与えるというマイナス面があることも、忘れてはならない。食品の遠距離輸送が大量の化石燃料を消費することを示す「フードマイレージ」が知られているが、同じ問題はあらゆる物品に存在する。消費者は生産地が遠いほど、そこで起きる資源・環境問題を実感しにくい。安く輸入すればそれでハッピーなのか、改めて考えるべきだ。
「鎖国」の勧めを述べているのではない。日本はすでに国は開かれ、海外からの果実も十分得ている。言いたいのは、もっと自国の足元を見つめようということだ。
▽ <感想> 「新しい国のかたち」(1) ― 王道としての内需主導型
TPP参加問題をめぐる目下の布陣は、反対派と推進派が相対立しており、21世紀版「関ヶ原の決戦」ともいえる天下分け目の戦いを思わせる雰囲気となってきた。どういう「国のかたち」を創っていくのか、言い換えれば<壊す>のか、それとも<新たに築いていく>のかをめぐる決戦ともいえる。
上述の「記者の目」の主張からキーワードを引き出せば、「輸出・海外投資依存時代の終わり」「内需主導型経済への転換」「賃金・雇用の保障」「反グローバル化」「地域自立型」「コミュニティーの再生」「人と人との絆の復活」 ― などを挙げることができる。これらのキーワードからも推察できるように「記者の目」は、「国のかたち」を<壊す>のではなく、<新たに築いていく>視点に立ち、その旗幟(きし)鮮明である。その旗印には大書された「国民の幸せ」という文字を心眼で読み取ることさえできる。しかしそこへ至る道程は決して平坦とはいえない。
「内需主導型経済」は経済のあり方として王道であり、そのすすめ自体は珍しいわけではないが、「輸出・海外投資依存時代の終わり」という認識と抱き合わせで、「内需主導型経済への転換」を力説しているところが新鮮である。「賃金・雇用の保障」のためにも「内需主導型経済への転換」は大前提であり、しかも特に大企業は巨額の内部留保を吐き出す必要がある。これこそが「世のため人のため国のため」、すなわち企業の21世紀版社会的責任の実践であり、企業を今後存続させるのに不可欠の要件でもあるだろう。
▽ <感想> 「新しい国のかたち」(2) ― 反グローバル化と地域自立型
ここで「反グローバル化」について説明しておきたい。このグローバル化の時代になぜ反グローバル化なのかという疑問が生じるに違いない。上述の「記者の目」は末尾で<「鎖国」の勧めではない>とわざわざ断っている。その配慮に着目したい。
グローバル化には二つの意味が混在している。
一つは企業や投資家が世界を股にかけて私利追求に余念がない行動を指している。進出先の現地の低賃金などがグローバル化の誘因であり、私利追求に支障が生じると、躊躇なく引き揚げるのが彼らの身勝手な習性である。これは企業や富裕層などのグローバル化である。もう一つは一人ひとりの市民レベルの自由な海外への旅行・移動であり、国境を越える国際化=国際交流とも呼ばれる行動である。
反グローバル化は、前者の私利追求を第一とするグローバル化を抑制することを意味する。一方、後者の国際交流は尊重されるべきであり、今後一層盛んになることが望ましい。「目」が<「鎖国」の勧めではない>というのは、後者の国際交流を重視していると理解したい。
内需主導型経済の柱の一つが地域自立型経済の建設である。現下の課題は地域経済の疲弊をどう打開していくかである。「記者の目」は次のように指摘している。
グローバル化の対極にある「地域」の役割はもっと評価されていい。原発やショッピングセンターに象徴される外部からの大規模投資は、あちこちで地域の自立を損ない、コミュニティーを破壊し、人と人との絆など国内総生産(GDP)の数字に表れない便益が失われた。もう一度、地場の企業や自治体などが主役になって、身近なニーズに応える自立経済を築いてほしい、と。
ここでは「地域の自立」「コミュニティーの再生」「人と人との絆の復活」を視野に収めている点を評価したい。特に「人と人との絆」のような「GDPの数字に表れない便益」の重要性に触れていることに着目したい。私(安原)はかねてからGDP(お金で入手できる市場的、貨幣的価値)のほかに非GDP(マーケットでお金を出しても購入できない非市場的、非貨幣的価値)の重要性を提唱してきた。ここで挙げられている「絆」などはその一例である。この「絆」のような心の通い合いをもっと大切にしなければ、それこそ日常の暮らしに潤いや精神的ゆとりが期待できない。
こう見ると、まさに21世紀版「決戦」の時といえる。私自身はむろん「国のかたち」を<壊す>陣営ではなく、<新たに築いていく>陣営の一員であることを自任している。
初出:安原和雄のブログ「仏教経済塾」(11年10月29日掲載)より許可を得て転載
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〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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