みなさまへ 松元
9月13日「責任ある大人が汚染食品を食べるべきか」という対論がアップされ、その長文の文字起こしを「ぼちぼちいこか。。。」さんがブログにアップしております。小出裕章氏(京大原子炉実験所助教)と森啓太郎氏(子どもを放射能から守る全国ネットワーク)の対論に会場からの発言も加わります。
この小出さんの問題提起をめぐって、私(松元)も5人の方のさまざまな角度からの所論を5回にわたって紹介してきましたが、今回を小出さん自らの「再論」として、これで終えたいと思います。
しめくくりに「ぼちぼちいこか。。。」さんの「まとめ」も掲載されていますが、おそらく今後何十年、何百年、あるいは何万年も「放射能汚染時代」のディレンマとして論じ続けられていくだろうと思います。
※長文ですから、万一字詰まりの場合は下記のビデオと文字起こしをご覧ください。
●9月13日「責任ある大人が汚染食品を食べるべきか」小出裕章氏と森啓太郎氏の討論2011年9月17日
http://hiroakikoide.wordpress.com/
●ぼちぼちいこか。。。9月13日 【文字起こしUP】小出裕章氏と語る(映像もあり、発言が色分けになっていて読みやすいです。)
http://bochibochi-ikoka.doorblog.jp/archives/3032484.html
http://bochibochi-ikoka.doorblog.jp/archives/3032401.html
=====以下、文字起こし全文転載======
昨日行われた討論会を見ることができました。
小出先生は、3.11以降、かなり前から食品について「大人が汚染されたものを食べて、1次産業を守り、子供を守る」とおっしゃっていました。
そのことについての討論会です。
司会・進行は今井一さん、登壇者として、子供を放射能から守る全国ネットワークの森啓太郎さんです。
では、どうぞ。
【動画】
2011年9月13日小出裕章氏と語る、続・原発『安全神話』溶融
(02:16:00くらい)
<内容について>
3.11から6カ月を経てわかったこと、確信したこと。
そして、この先どうなるのか、どうすべきなのか。
震災前より一貫して原子力発電所に対し「警告」を発し続けてきた、小出裕章氏(京都大学原子炉実験所助教)。
3・11から6カ月を経て、小出氏は次のように主張する。
「農作物・畜産物等の汚染検査を厳密にした上で放射線に汚染された物は、子どもには決して食べさせず、例えば50歳以上は飲食可などとして、大人が責任をとって食べよう」
本番組では、そんな主張に疑問を持つ方と小出氏との議論を通じて、現在進行形で危機が拡大する、放射線の影響について考えます。
http://live.nicovideo.jp/watch/lv62917682?ref=top
【以下、時間のない方のために内容を起こしています。ご参考まで】
(今井氏)6時半になりました。
携帯電話なってますけど、マナーモードにしてください。それで、どうも初めまして今井です。ジャーナリストです。
小出さんの本を買ってくださった方が、セットで買ってくださっているとの情報がアマゾンで入っていますが、最近この『原発国民投票』という本を出しました。
実はこの劇場のこの第7芸術劇場のフォーラム7のプロデューサーもやっています。上の第7芸術劇場の???スピリトというほうのプロデューサーもやらせていただいています。
そこにお越しになった方いらっしゃるかもしれませんけれども、5月に小出さんに原発神話溶融というタイトルで上でやったんですが、その時お越しになってくださった方、おられますか?
おぉ、3分の1くらいおられますね。で、覚えてらっしゃると思いますけれども、終わるときに小出さんに3.11から半年の9月に一度来てくださいと言ったら、小出さんが、「土日はすべて詰まってます」
ということで、平日しか空いてないということだったので、無理を言って、今日京大の原子炉研究所での研究が終わった後でこちらに来てただきました。
今日は、小出先生、今日は「さん」で行きます。小出さん、あちこちで仙台とか福島とか、この前四国にも行かれました。もちろん大阪でもやってらっしゃいます。ここにおられる方、多分小出さんの講演聞かれた方、居ると思うんですが、聞かれた方、手を挙げていただいていいですか?
ほぼ全員でしょ?ほらね?
それで、そういうことなんで、2週間3週間ほど前に小出さんと相談して、
「いつもの小出さんの講演は多分皆さん学んでらっしゃるので、今日はどこでもやったことがないようなことをやりませんか?」と相談しました。
そしたら、小出さんは
「是非やりたいことがある。それは、放射能で汚染された食物に関して、それを即刻廃棄処分にして、東電や国から畜産業や農業をやってる方に補償をさせると。もちろん補償はいいんだけれども、即刻廃棄というのはちょっと問題じゃないか?厳密にちゃんと測定をした上で、子供には決して食べさせてはいけないけれども、例えば50歳以上だと問題がない、60歳以上だったら問題がないというものについては、廃棄をしないで大人が責任を取って食べるべきじゃないか?」
という主張をされてます。
そのことについて、結構あちこちで『異議あり』という声があるんですよね。
小出さんのファンの中にも。
それで、小出さんは
「今日はそのことをじっくりと深く話をしたい。ついては自分の対戦相手を公募してほしい」
で、公募しました。
皆さん知ってますよね。HPにも載ってましたよね。
公募して、じゃあ出なかったらどうするか、その時はしょうがないから、私がやるしかないかと思ったら、すぐに手を挙げてくださった方がいて、子供たちを放射能を守る全国ネットワークの森さんなんですけどね。今日来てくださってます。
その森さんと小出さんとのやりとりというか議論は、第2部でやらしてもらいます。
第1部は、ちょうど半年ですから、この半年を小出さんがどんなふうに総括されているのかということを、小出さんの口から直接伺いたいと思っています。
では、早速小出裕章さんに登壇していただきます。どうぞ。
<05:00頃>
(今井氏)最近僕も取材で小出さんの密着取材をしてるわけですから、あちこちの講演会場行くんですけどね、女性の方がアイドルを見るような目で…
<会場爆笑>
正直言って、辟易してますよ。気持ち悪いんです。最初はこんなことなかったんです。普通に尊敬とかそういう感じだったんですが、最近「章ちゃん!」とかね、この前も浅草でやった時に、小出さん、いつも本にサインをされたりしますよね。今日も小出さんの本がずらっと揃ってますけど、女性のほうも女性のほうで、無茶苦茶なんですよね。
「抱きしめてください、ハグしてください」
とかね。
僕それを横で見てて、
「まさかしないだろう?」
と思ってたら、するんですよ!
<爆笑>
ちょっと調子に乗ってるんじゃないか?と(笑い)やっかみです。いいじゃないですか。そういう時代が来たということで。
そんなことですので、今日は頭に、実は私昨日女川原発に行ってまして、今日飛行機でこっちに来ました。
もう皆さん、小出さんのファンだからご存じだと思いますが、小出さんは、もともと反原発じゃなくて、原子力を平和利用する夢を持って、東北大学に入って行かれたわけですが、まもなく考えを改めて、かれこれもう40年以上過ぎてるわけです。
小出さんにとって、仙台と女川、女川で鍛えられたと言ってもいいと思うんですが、その女川の小出さんが昔住んでいらしたところとか、小出さんが師と仰ぐ方に昨日お目にかかってきました。その映像をちょっとだけ頭見ていただいて、それを見ながら小出さんに思い出を語っていただこうと思っています。
<07:15頃~>
(今井氏)じゃあ早速映していただいていいですか?
電気を消してもらわないと…。
これは、小出先生マイクをどうぞ持ってください。
これは女川原発の前の海岸から撮ったところです。
もちろん小出さんが、いろいろ闘争されているときは、この原発は無かったわけです。小出さんどこが原発の建屋になるんですか?
(小出氏)これが原発の建屋です。
(今井氏)これは何なんですか?
(小出氏)これは排気塔です。
(今井氏)排気塔ね。
これは防波堤の上から撮った映像です。まったく編集してません。飛行機着いて直ぐに今これUPしましたから、最後かなりひっくり返ってますけど、許してください。
この動画は間もなく終わりますけれども…。
これは、小出さんが女川でいろいろビラなんかを撒かれた何年後にできたんですか?
(小出氏)えー、私は74年の3月までここに居ました。
女川の原発が動いたのは、確か79年だったと思います。ですから、5年後くらいですかね。
(今井氏)で、次スチール写真があるので、見ていただきたいんですが。
これが今のそうですね、女川原発。
で、次ちょっと見ていただいて。これ、ちょっとこれ、小出さんのほうから解説してください。
(小出氏)私が女川に行きはじめた時に、女川で阿部宗悦さんという人が原子力に抵抗して活動を始めていた時でした。私は宗悦さんに女川の町のことを教えてもらいながら、ずっとそこで活動を始めて、あとでまた写真を見せていただけるかもしれないですが、そこにぼろぼろの長屋を借りて、長屋に住みこんで女川の原発に抵抗しようとしていた時期があるのですが、その長屋も宗悦さんが私たちのために借りて、地元の人間だからといってようやく借りられるわけですが、借りてくれたところで私たちは、かなり何年か住みながら女川原発に抵抗していました。
ただ、女川の町は、先日の津波でまるごと無くなっていました。宗悦さんの家もまるごと無くなって、私は宗悦さんは多分命を落としたと思ったのですが、なんとか逃げてくれて、宗悦さん、生きていてくれました。今は仮設住宅に入っていて、これが今宗悦さんが住んでいる仮設住宅。
(今井氏)これは女川第一小学校の敷地内にある仮設住宅。
(小出氏)これ、今ちゃんと写真に撮ってくれているけれども、宗悦さんの仮設住宅に行くと、玄関の前にこの旗が新たに染め抜いた旗ですけれども、『原発廃炉』という旗がはためいているという、そういう状態で宗悦さんは、いまだに原発をとにかくやめさせたいという活動を続けてくれていました。
(今井氏)はい。次の写真を。
この方がそうですね。これは、実は女川の駅から徒歩2分くらいのところなんですが、もちろん駅は今トイレしか残っていません。トイレとエレベータの残骸しか。それで、そこに海から近いというふうにいったら宗悦さんは、「女川の人はこれでは海から近いとは言わない」
と、まぁ海まで本当に歩いて3分かそこらなんですけど、阿部宗悦さんと、娘さんのみきこさんですね。ここが宗悦さんのお家やったんですよね。お店をやってらしたんですよね。
(小出氏)酒屋さん。
(今井氏)酒屋さんですよね。で、このこっち側に上がっていったところの写真をちょっと出します。次の写真をちょっと。
これが実をいうと、今おっしゃったみたいに、この高さくらいまで全部水で、一日全部津波が来た後も全部残って、湖みたいになったそうです。
これくらいの高さまで。
で、次の写真を。
ここは、海岸広場と昔は呼んでいて、1970年の10月23日、原発反対の大きな集会がありまして、小出さんたちはさっき言った長屋で現地闘争本部を作って、漁民の皆さんにビラを配ったりして、コツコツと漁民の皆さんに呼びかけてらしたんですけど、ついに漁民も立ち上がって、反対集会があったんですが、これがそうなんですよね。海岸広場っていって。
次の写真をちょっと見ていただいて。
もうちょっと引くとこんなかんじで、ここが海です。実はこっち側のこっちのすぐそばに女川の駅があるんですね。ここに1000人以上の方が集まって海上デモもあって、すごい熱気で、それが小出さんの大転換になったわけですよね。
次です。
これが、さっき言った阿部宗悦さんが斡旋して、小出さんやほかの学生たちに「ここをつかえ」と言った長屋で、確か真ん中の廊下が結構広めで、左右に九軒づつでしたかね、あってね。確か四畳半か六畳くらいで。
(小出氏)二間だったと思います、昔は。
(今井氏)そこに学部ごとにいろんな方が、「今日は月曜日だからお前らが当番、水曜木曜はあなた」というふうにして、誰かが必ず常駐する形でそこでビラを作ったりして、拠点にして活動されていたわけですよね。
次の写真。これもそうです。
はい。次。
これで終わりです。
ちょっと明るくしていただいて。
<14:00頃~>
(今井氏)
今はその長屋が無くなっていますけれども、実はその長屋で現地闘争本部で、小出さん真ん中来てください、ここへ。もう使わないです。
(小出氏)私使う…
(今井氏)いや、そのあと、後でまた…
<会場笑い>
(今井氏)じゃ、椅子だけ…
(小出氏)私、今井さんとあんまり近づきたくない…
<会場爆笑>
(今井氏)実はですね、それでその、「近づきたくない」…、もうね、その女性とはハグするくせにねぇ…。
で、実は、小出さんたちは当時あそこの長屋には何もないでしょ?布団一枚で…。
(小出氏)一枚ってことなないですけど…。女性だっていたし…。
(今井氏)二枚?
(小出氏)いやいや、何枚かあって…。
(今井氏)かなり汚いやつがね。
(小出氏)そうです。
(今井氏)それで、ガリ版、今日のお客さんはほとんどガリ版って言ったらわかると思いますけど、ニコニコ動画で若い人たちがいっぱい、「ガリ版」ってどう説明したらいいですか?ガリ切り、とかガリ刷りとか。
(小出氏)今日の方、ほとんどの方はわかると思うんですけど。
(今井氏)今日でも、ニコニコ動画で若い人たちが全国で見てらっしゃるから。
(小出氏)あー、そうですか。もちろんコピーはなかったわけだし、スキャナもありませんでした。蝋を引いた紙に、鉄ペンでやすりの上で字を書いて、それをインクで投射版と私たちが呼んだもので、ビラを作るということを毎日やっていました。
(今井氏)そのビラがこれなんです。現物です。
(小出氏)<笑い>
(今井氏)びっくりしたでしょう?ほら~!
びっくりさしたろうと思ってね。これ全部あるんですよ。手に入れました、私が。これYahooのオークションに掛けたら大変なことになりますよ。
<会場笑い>
これなんですよね。
あとで皆さんにお見せしますから、どうぞ。
小出さん、これさきにどうぞ。まとめてちょっと。全部コピーとってますから。またコピーを渡します。
これね、えーと、このビラは、右見てもらったらわかると思うんですけど、『のりひび』って書いてあるでしょ?
この意味が分かる人、この中におられます?あ!手が挙がった!ちょっと言ってみてください。
(不明瞭)
あのね、『のりひび』というのは、女川の漁師さんたちがさんま獲ったりイワシ獲ったり、カキを養殖したりしてたんですけど、海苔の養殖の時に、いかだを作るんじゃなくて、当時は竹竿を突き刺して、そこで海苔の養殖をしてたんですよね。
その竹竿を突き刺したそういう状態のことを『のりひび』とこう言って、多分小出さんたちの気持ちは、
「女川町で自分たちものりひびになろうと。反原発の」
ということで書かれたと思うんですが、これ僕チラシ全部読んだんですが、なんかセクトの具体的な名前を出すと…、まあいいか、中核とか核マルのあのチラシとはちょっと一味違うんですよね。紋切型じゃないんです。中核、核マルの方、怒ったらダメですよ。
あの、一枚一枚、本当によく言葉を選んで、紋切型じゃなくて、よく考えて漁民の皆さんに訴えてらっしゃるんですよね。例えば、
「鉄塔を作ったり、道路を作ったりして漁民の皆さんに原発建設は既成事実なんだと、諦めさせようと、そんなふうに電力会社はしてるけれども、漁民の皆さん、諦めないでください」
というような内容ですよね。
だから、そんなことで小出さんたちは私が聞いたところによると、小出さん、何か女川の例の駅の前から船に乗って、原発予定地に船で行って、ビラを抱えたまま、そのビラを山道を通って十数キロの一軒一軒家に置いていったって聞いたんですけど、やられましたか?
(小出氏)もちろんです。ただ、私は行くときも歩いて行きました。
(今井氏)えぇ!!!
(小出氏)女川の町を朝早く出て、行きながら撒いていって、最後にさっき見た原発の敷地の今井さんが写真を撮ったというところに、小屋取(こやとり)という集落があって、ちょっと小さな港が。そこで最後にして、夕方になってテクテクとまた十数キロの道を歩いて帰ってきました。それは、普通は私はそうしました。
(今井氏)もうこんな時代は日本にこないでしょうね。今の学生が、その小出さん、どんな思いでやってらしたんですか?
(小出氏)今も一緒ですけれども、原子力だけは決して許せないと思いましたので、そのためには、『私ができることは、私の責任でやりたい』と、それだけです。
(今井氏)ということらしいです。
で、まあずっとそこから一直線に来てますよね。まっすぐに四十数年。
(小出氏)すいません。何の進歩もないまま…<笑い>
(今井氏)<笑い>そんなことで、改めて本当に、昨日私は歩いてではなくて、嘗て小出さんが仲間と一緒に一軒一軒ビラを配って歩いた集落を、私も昨日歩いてきたんですが、いやー、小出さんの仲間の方は、
「もう一回やれっていってもようやらん。」
って言ってましたね。
「よくあんなことやったな」
って。あと、援漁というのがありますよね。三里塚では援農というのがあったんですけれども、農業を支援するっていう。
小出さんたちの場合は、漁を支援する。漁師さんたちも最初は胡散臭い目で見るわけですよね。
「おまえら、目的は何や?」
みたいなそんな感じ<笑い>
(小出氏)役に立たないしね。学生が漁師になろうとしても、本当迷惑ばっかり。
(今井氏)カキ剥きとかやるんでしょ?
(小出氏)カキ剥きもやりましたし、のりひびを作るのもやりましたし、ワカメの目付とかいうのもやりましたし、山ほどやりましたけど、ほとんど足手まといだったと思います。
(今井氏)でも、いい話は小出さんがそういうふうにやると、だんだん漁師たちも情が移っていって、小出さんたちが女川の町から石巻を経て、仙台の自分たちのところに戻るわけです。仙台には仙台のアパートがあるんです。山屋敷っていう…。その山屋敷に帰るときに2時間半、3時間半かかるわけですけれども、漁師さんたちが、
「あんちゃん、これ持って帰れ」
って言って、いわしとかさんまを大量にビニール袋に入れて持って帰らせるわけですよ。
それで山屋敷の大家さんに渡すわけですよね。
大家さんとも会ってきましたけれども、なんか鶴瓶ちゃんのA
Studioみたいになってきましたけれども、だけどその大家さん曰く、
「小出君が時々そうやって、さんまとかいわしとかを持ってきてくれるから、今度は山屋敷というアパートの廊下に七輪を置いて、みんなで焼いて食べた」
というふうに言ってました。ちなみに当時の家賃は5500円です。
小出さんは、一回も滞納が無かったと。何年いましたか?あそこに。
(小出氏)4年半居ました。
(今井氏)そんなことです。
そこから来て、今日の小出さん活動を続けてらっしゃるんですけど、今日さっきも言ったみたいに、そんな小出青年がずっと一直線に来て、今研究者として活躍されていますけれども、小出さんの目から見て、この3.11からの半年というのを少し話をしていただこうと思います。
小出さん、その話の時もパワーポイント要りますか?わかりました。
じゃあ僕ちょっとハケます。
【その②】に続きます。
<22:20頃から>
(小出氏)皆さん改めて、こんばんは。今日はありがとうございます。なんか皆さん私の話は何度も聞いてくださっているという、さっき今井さんもそう挙手で確認してくださったようですし、今日はメインのテーマはさっき今井さんが言ってくださったように、汚染してしまったこの世界の中でどう生きるべきなのかという食べ物の話をしたいと思っています。
ただその前に今現在、福島の原発はどうなっているのかという話もしろと、今井さんからどうもそういう要求を受けたので、ちょっとだけその話をさせていただきます。
まず、後半の議論につなげるために、生き物というものの不思議さというか、私自身が「とてつもなく生き物とは不思議だ」と思っている根拠の話だけ聞いていただこうと思います。
この会場に集まってくださっている100人を超えているでしょうか、方と私も含めて、みんな違う人間だし、地球60数億人いる人間がみんな違う人間だというのは、DNAが違うからですね。
私の指の皮膚を取ってDNAの分析をする、あるいは皆さんの血液を採ってDNAの分析をしてもいいですけど、全て違う。一人一人が違うわけですね。
でも、私なら私のDNAというのは、皮膚のDNAも、血液のDNAも髪の毛のDNAもすべて私のDNAですよね。そうできているわけで。
命を支えているというのは、全てDNAに書き込まれた情報で命という存在があるということだと思います。
そのDNAというのは、あまりこまかい理論をする時間はありませんけれども、二本の糸がらせん状に縒り合わさって作られている。そのらせん状に結びつきあっている、絡み合っているDNAの一本一本は、幅は2ナノメートルという幅なんだそうです。たいへん小さな、ナノというのは10億分の1という意味で、とても目では見えない幅のもの。
そして、私の指なら指の細胞から一つの細胞を取ってきて、その中に入っているDNA、幅2ナノメートルというDNAを絡み合ったらせんをずっと引き伸ばしていくと、1.8メートルになっているんですね。
私の体の中には60兆個の細胞があるというんですけれども、60兆個の細胞の一つ一つを引き伸ばしたら、1.8メートルになるDNAがある。それが私を支えているということなんだそうです。
では例えば、ここに皆さんが普段使う裁縫の糸というものをイメージしてください。普通の糸ですね。大体より合わせっている糸になっていると思いますけれども。太さ0.2ミリという普通の糸くらい。裁縫用の糸というものが、もしDNAだったとすると、その糸、ぐちゃぐちゃに丸まっている糸をずっとほどいていくということを考えてほしいんですけれども、裁縫用の糸、どれくらいの長さにしたら、いわゆるDNAというイメージになるでしょうか?
本当は2ナノメートルで1.8メートルです。
でも、それを0.2ミリの糸と考えて引き伸ばしていったら、どのくらいの長さになるか?ということを皆さんに考えてほしいわけですが、これは、近畿地方の地図です。今私たち大阪に居ます。一体裁縫用の糸を引き伸ばしていって、DNAの長さにしようとしたらどうなるかというと、ここらへんに若狭湾の原発群があって、大阪に電気を送ってきてくれるわけですけれども、DNAというのは、このくらいの長さになります。
180キロメートル。
小さい字で申し訳ないですけれども、普通の裁縫用の糸を180㎞引き伸ばす。それは二本で縒り合わさった糸なんですけれども、ずっとこうやってほどきながら、実はもともと二本からなる一本の糸をほどきながら二本からなる日本の糸に再生するというのが、『細胞分裂』ということなんですね。
細胞分裂をしながら、もともとは私が生まれたときは父親の精子と母親の卵子が合体した万能細胞一個だったわけですが、細胞分裂を繰り返しながら、私になったわけだし、皆さんになってるわけだし、生き物というのはそういうことをやっているわけです。
「こんな長さの糸をほどきながら、同じ糸をもう一本再生していくなんてことは、人間ならできない。人間ならっていうか人工的な技術を使ってはできない」
と私は思います。
でも、それを日々やってるんです。私なら私の細胞はやってるし、子供なんていうのはもっとどんどん活発にそれをやりながら自分の体を作っていくということをやっているわけです。
「本当に不思議なものだな」と私は思います。
そういうことをやっている生き物というものに対して、放射線というものが今、被曝を加えるという現実になっているんですね。そうすると、放射線というのは、DNAならDNAを作っているひとつひとつの、私たち分子結合を破壊することをやるわけですから、放射線に被曝をしてしまえば、本当に生き物としての基本的な情報を次々と壊されていくということになる。たくさん壊されてしまえば、もちろん生きることができなくなります。皮膚自身が壊れてしまう。血液自身が壊れてしまう。生きることすらできないことになるわけですし、たくさん壊れされないとして、福島の事故が起きて、枝野さんという官房長官が居て、枝野さんの口癖は、
「ただちに影響が出るレベルではない」
と、言ったわけですね。
でも、「ただちに」出なくたって、細胞に傷がつくということ自身は当たり前に起きる。
すぐには見えなくても、その傷ついた細胞というものが、いつかまたガンになって出てきたりするということは、生物学的に言えば当たり前のこと。そのことは放射線というものを人間が知ってから100年以上経ちますが、その歴史の中で少しずつ事実を調べながら、科学的な知識を蓄えながら判ってきたことなわけです。
現在の学問の到達点というものは、こういう状況になっています。
私はここに『BEIR Ⅶ報告』と書きましたけど、これは私たち、普通「ベイル」と呼んでいます。Biological Effects on Ionizing Radioationという
んですけど、『電離放射線の生物影響』ということをずっと調べてきた米国の科学アカデミーの中にある委員会です。
その委員会が2005年に7番目の報告を出したわけです。長い研究をしてきた結論がどうだったかが書いてあります。
その結論はこうです。
『利用できる生物学的生物物理学的なデータを総合的に検討した結果、委員会は以下の結論に達した。被曝のリスクは、低線量に至るまで直線的に存在し続け、閾値はない。』
というんですね。
閾値というのは、「これ以下なら安全だ、被害が出ない」というものを私たちは閾値と呼ぶんですが、
『そんなものはない、こと放射線に被曝をするという限りは、どんなに微量であっても、ただちに影響が出ないレベルであっても、必ず危険がある』
というのが現在の学問の到達点なわけです。
ですから、私は枝野さんの言い方を聞いて、
「こういう言い方は、やっぱりサイエンスとしては正しくないし、国としては危険があるということをもっとちゃんと認めるべきだな」
とずっと思ってきました。
そういう放射線の被曝に関する知識が歴史とともに蓄えられてきたために、人々に対してどこまで被曝を我慢させるか?という値、いわゆる放射線の許容量というものは、時を経るにしたがって、どんどん低下してきました。
ここに1900年、1950年、2000年と書いてありますが、1900年というころは、実は放射線というものが発見された当初の頃です。
一番初めは1895年に、ドイツのレントゲンという物理学者が、初めてX線という放射線を発見するのですが、それ以降、放射線というものは何なのか?ということを調べる研究が始まったのでした。
皆さんご存知なのは、有名なキュリー夫妻とかが、必死で放射線って何かということを調べようとしていた時代なんですね。
その頃には、いわゆる放射線の許容量と書きましたが、どのくらいのものを人間に許容しようとしたか、或いは我慢できるかと考えたかというと、こういうところなんですね。
これは、横軸は普通の1900、1950、2000といって、皆さんが普通になじみ深いスケールで書いてありますが、縦軸は実は『対数グラフ』と私たちが呼ぶグラフでして、下からいうと10倍毎に上がっていくというそういう特殊なグラフ用紙を使っています。
そして、レントゲンやキュリー夫妻たちが研究をしていたころは、1年間にどこまで浴びていいかというと、30,000ミリシーベルト、30シーベルトというような、こんなものを浴びたら死んでしまう、一辺に浴びたら死んでしまうというくらいのものが、許容量と言われていたんですね。
こういう時代にキュリー夫妻たちも仕事をしていて、自分の実験室で仕事をして、放射能を扱っているわけです。でも放射能がどれだけ危険かわからない。自分の実験着のポケットに入れて持ち歩いているわけです。そうすると、やけどするんですね。
「やっぱりやけどするのはまずいだろう」
ということで、この頃はそういうのが、いわゆる許容量というか、そんなに浴びるのはまずいから気をつけろよという値だった。
この頃にたくさんの人がキュリー夫妻も含めて死んでいくわけです。放射線っていうのは、被曝をすると危険だということがわかってきて、20年、30年も経つと被曝の許容量というのは、100分の1くらいまで下がってくるわけです。
それでもやっぱり放射線は危険だということがずっと判ってきて、次々と下がってくるわけですが、ここにICRPと書いてありますが、これが最近皆さんも聞くと思いますが、国際放射線防護委員会という国際的な組織ができる頃なんですが、その前に原爆の被爆ということが起きるんです。1945年。
被爆ということが起きて、それから被爆者にどういう影響が出てくるかということに研究が始まって、次々とまた治験が蓄積されてくるということになったわけです。
そうすると、やはり今まで思ってきたよりも放射線は危険だということが、次々と判ってきて、どんどん許容量というのも引き下げられてくる。
そして、これは黒い丸印は普通の職業人といっている人たちの許容量なんですけれども、職業人だけでなくて、たくさんの人々が被曝をする時代というのが来てしまったわけですね。
原爆が爆発したら、たくさんの放射能が地球全体にばら撒かれるということになったわけだし、医療上のX線撮影もどんどん広がってくる。
なんか人々を守らなければいけないということに気が付き始めて、普通の人々に対する許容量というものも、設定されるようになってくる。
でも、それも次々と放射線は危険だということで、どんどん引き下げられてくる。これがこれまでの放射線影響に対する知識の蓄積史です。
言ってみればずっと下がってきた。
知れば知るほど被曝というのは危険だから、いわゆる許容量、どこまで我慢できるか?というものは下げるしかないということで、ずっと今日まできた、そういう歴史でした。
<37:40頃から>
そして、福島の事故が起きてしまいました。
これはもう皆さん、十分ご存じだろうし、私もいつもこんな写真を見てもらっていますけれども、真ん中に並んでいるのは、タービン建屋。タービンという蒸気機関を回して発電をする建屋がずっと並んでいますし、その左側に原子炉建屋というのが並んでいる。
上のほうから1号機、ボロボロですね。吹き飛んでしまっている。2号機はなんかまだ形があるように見えています。3号機ボロボロ、4号機ボロボロというように、複数の原子炉が一気に壊れてしまったということになりました。
一体この壊れた原子炉の中からどれだけの放射能が環境に出てきたのかということを、日本の政府がIAEAという国際組織に報告書を提出しました。
その報告書のデータ、それがどこまで正しいか私にはわかりません、わかりませんけれども、どういう報告をしているかというのを、ここで見ていただこうかと思います。
ちょっと小さい絵でもう少しちゃんとスライドを作ればよかったんですが、小さい字で申し訳ありません。
ここに四角があるのは判っていただけるかと思います。
この四角は、広島原爆が爆発してまき散らしたセシウム137という一番危険性の大きい放射性物質の量というものを、この四角で書きました。
では、今壊れてしまった福島第一原子力発電所の原子炉からどれだけのセシウム137が放出されたかと、日本の政府が言っているかというと、これだけです。
まず、これが1号機。
すいません、また字が小さくて見にくくて申し訳ありませんが、広島原爆の約6発、7発分というものを1号機から放出したと言っています。
次が大変なんですけど、これは2号機です。
さっき「かろうじて建物が残っていますね」と皆さんに見ていただいた、2号機が実は一番酷いと。形は残っているけれども、外の放射能を放出したのは2号機が主犯だと日本の政府は言っています。
そして3号機も何がしか放出したと言っています。
全体でどれだけかというと、これは大気中に放出した放射能なんですけれども、広島原爆が、放出した放射能の170発分。
私が言っているんじゃないですよ。
日本の政府が
『広島原爆170発分の放射能が既に出てしまいました』と言っているのです。
そして、実はそれだけでは済まないのです。
セシウムというのは、私たちのような生き物にとって、かなり被曝に寄与する放射能で、私たちが普通アルカリ金属とよぶものに属していて、『カリ』というのを皆さんご存知ですね。窒素・リン酸・カリという肥料の三大要素といって、植物を育てるのに必要なものですし、それを食べながら人間が生きているわけで、私なら私の体の中にカリはたくさんあるわけですけれども、セシウムというのはカリと同じ挙動をしますので、環境が汚れてしまうと、私の体にカリももちろん入るし、セシウムももちろん入ってしまうという元素なのですが、セシウムという元素の中には、今見ていただいた137番という番号のついたセシウムのほかに、ほかのセシウムもあるんですね。
これが今見ていただいた日本の政府が言っている原爆170発分放出したというセシウムです。それが、ベクレル数で言うと、数字は面倒くさいですので、こういう数字だと政府は言っていました。それが、広島原爆170発分に相当していたというんですね。
そのほかにセシウムで違うセシウムがあります。なんていううセシウムかというと134番という番号のついたセシウムです。これが一体どれだけ放出されたかというと、日本の政府が言っているかというと、これだけです。
137番のセシウムに比べて2割多い、134番が既に放出されたと日本の政府は言っています。ただし、137番と134番のセシウムは生物学的な毒性が少し違います。被曝の毒性が少し違う。
どのくらい違うかというと、137のほうは1ベクレル食べるごとに、ここに数字で示しているようなミリシーベルトという被曝をする。そして、134のほうは1ベクレル食べるごとにこれだけの被爆をする。片や1.3だし、片や1.9で約5割、134のほうが危険だと思われているんです。現在の学問だと。
そうすると、放出量で2割多いし、危険度で5割多いわけだから、一体このセシウム134というのは、広島原爆が放出した137というセシウムに比べると、何発分になるかというと、300発分になる。
これを合算すると、セシウムという放射性物質だけで、広島原爆470発分というものが、すでに放出されたと言っているのです。
私じゃないんですよ。
何度も確認するけれども、私がデマで言っているのではない。日本の政府がIAEAという国際機関に対して、これだけ実は福島の原発からは出てしまいましたと言っている。
そして、これはまだ収まっていないんです。今現在も出ているわけだし、ひょっとするともっともっとたくさん出てしまうんではないかということを私は危惧している、そういう状態で事故が今進行している。
【その③】に続きます。
<45:00頃~>
今までに出たセシウムでどんな汚染が生じたかということを少しずつ政府はデータを小出しにしてくるわけですけれども、比較的最近のデータが、こんなデータです。
セシウム137とセシウム134の合計で、どれだけ汚染をしたかということを色分けにしてこの地図に書きましたということです。
そして、福島原子力発電所を中心として、円がいくつも書いてありますが、一番小さい円が半径20kmです。その外側が30㎞、60㎞があって、ここは120㎞だったかな?100㎞か120㎞ですがそういう円が書いてある。
そして、今現在、政府が避難の指示を出したという地域は、ここの黄色く塗ってある地域がそうです。避難の指示を出して、住民を避難所に押し込めた。避難所に押し込められた住民たちは、お年寄りを中心として次々と命を落とすというような地域が、この黄色いところを含めた赤いところですし、ここに取り残された家畜たちは、囲われたまま命を落とすということが起きているのが、こういうところです。
ただし、この青いところ、或いは、緑いろっぽいところ、こういうところがありますけれども、こういうところというのは、日本の法律、現在ある法律を適用すると、放射線の管理区域というところに指定しなければいけません。
放射線の管理区域というのは、
私のような非常に特殊な人間=放射線業務従事者というレッテルを貼られた特殊な人間だけが入っていい。
仕事のために入っていい。
そこに入ったが最後、水を飲んではいけない。
食べ物を食べてはいけない。
寝てはいけない。
という特殊なところですが、そういう特殊なところに指定しなければいけない地域というのが、ずっとこういう範囲に広がっているのだそうです。日本政府が言っています。
福島県のほぼ東半分です。福島県はここまでですけれども、東半分以上ですね。さらに宮城県の南部、或いは北部、牡鹿半島という女川があったところですけど、こういうところ、そして茨城県の北部、栃木県の北部一帯というものは、放射線の管理区域にしなければいけないというほどの汚染を受けていると、日本の政府が言っています。
「一体どうしてこんな汚染を受けたのか?」ということを群馬大学の人がこんな地図を作ってくれました。
ここが福島の原発があるんですけれども、ある時に南西方向に風が吹いていて、その風で放射能が流された、そして南西方向に汚染を広げて、その汚染がずっと南に流れていって、茨城県、千葉県、或いは東京都の一部というところに汚染を落としたということになっています。
そして北西方向に、ある時に流れたものは、あるところで風向きが反転して、福島県の浜通りと言っている、両方山に挟まれた谷あいをずっと流れて栃木県或いは群馬県のほうに汚染を広げたというのですね。
そして、ある時に海沿いに出ていったものは、牡鹿半島をなめて、また内陸に拭き戻って宮城県の北部に汚染地域を作ったということを言っています。
そして、さっきも見ていただいたように、福島原発を中心に北西方向の一帯と、南西に伸びる一帯、こういうところが現在、強制避難をさせられています。これは、1986年に起きたチェルノブイリ原子力発電所の事故で、強制避難させられたレベルとほぼ同じですけれども、そういうところから、約10万人の人が避難させられています。琵琶湖の面積のほぼ2倍。琵琶湖ってかなり巨大な湖です。皆さんも多分よく行かれると思いますけど、そこが二つ分入ってしまうほどのところが、もう無人にしなければいけないという状態になっているわけですし、もし、さっき聞いていただいたように日本にある現在の法律を厳密に適用しようとすると、福島県全域に匹敵するくらいの土地というものを無人にして、放棄しなければいけないというくらいの汚染を受けています。
日本という国は、法治国家と言われています。
ですね?
例えば私が法律を犯せば、私は警察に捕まって刑務所に入れられる。法律を破れば処罰を受ける、そういう国だと言われている。私が法律を破ると、国家が処罰する。
でも、それなら、法律を守るのは国家の最低限に義務だと私は思います。
日本というこの国には、国家が定めた法律がたくさんあります。その一つは、一般の人々には1年間に1mSv以上の被ばくをしてはいけないし、させてはいけないという法律があるのです。
ですから、皆さんだって1mSv以上被曝をしてはいけない。もし皆さんに1mSvの被曝をさせるような人間が居たら、そいつは処罰すると言ってきた。日本の政府は。
それから、私は放射線の管理区域というところで働きますが、放射線の管理区域から出るときには、1平方メートル当たり4万ベクレルを超えて放射能に汚れたものを管理区域外に持ち出してはならないという法律もあったんです。
私は、だから放射線管理区域で仕事をして、完全管理区域からもし出ようとするなら、私の手すら、1平方メートル当たり1万ベクレルを超えて汚染していれば、私の手は外に出られない。つまり私自身が管理区域から出られない、そういう法律だったんです。
そういう法律があったんですが、今回の事故が起きて、今回の事故を起こした最大の犯罪者は、私は日本の国家だと思いますが、その国家が自分たちが定めたそういう法律を一切反故にしました。
「人々が1年間に1mSv以上被曝してもなんでもない」
と言い出したわけだし、
「1平方メートル当たり4万ベクレルを超えるような汚染があっても、そこに人々が住んでいい、子供を産んでもいい、そこで子供を育ててもいい」
というようなことを言い出している、そういう状態になってしまったわけです。
法律というものは、一切の意味を失ったという、そういう時代に3月11日からこの日本という国家が入ったわけです。
本当に私は3月11日を境にして、日本というこの国家が変わってしまったと思います。
人々が普通に生活する場所が、私がいやいや入る放射線管理区域よりも遥かに汚れているんです。今。
土地も食べ物も、がれきも、下水の汚泥も、全てが今までは放射性物質と呼ぶようなものに変わってしまっている。
皆さんは、まだ実感してないかもしれないけれども、すでに福島を中心としてそういう世界になってしまっているんです。
ですから、福島に住んでいる人たちは、大変なことだろうと私は思うし、これからは福島を中心として、今日のこれからの後半の議論の中心になるけれども、福島で取れる食べ物を含めて、そういうものが流通機構というものがあるわけですから、そこらじゅうに流通してくる。放射能で汚れた世界で私たち自身が生きるしかないという、そういう時代に入った。
そういう世界に変わったんだということを皆さんにも是非とも認識しておいてほしいと思います。
<54:15頃から>
そういう中で、福島の人たちは大変です。
どうやって考えていいのか、私自身もわかりません。今現在、放射線管理区域に指定しなければならない汚染地で、人々が住んでいる。子供を産んで、子供をそこで育てるということをやっているわけです。
始めに聞いていただいたように、被曝をするということは、あらゆる意味で危険を伴うわけですから、そこに住み続ければ健康の被害を受けます。避けられません。
なんとか私は、それを避けて逃げてほしいと思います。
でも、日本の国家は
「そんなこと勝手にしろ」
と言っているんですね。強制避難地域はちょっと違うかもしれない。避難所を用意して、そこに移させたわけだけれども、そうじゃない地域の人に関しては、
「知らないよ、自分たちで勝手にやれ」
と言っているわけで、逃げたくても逃げられない。普通の人々は。仕事も何も全部捨てて、とにかく逃げたいと思っている人は、もちろん居るわけで、逃げた人も実際に居ます。でも仕事を捨てて逃げたときには、生活が崩壊してしまいます。
仕事を捨てられないから、子供だけでも逃がそうといって、子供を逃がした家もあります。でもそうなると今度は、家族はバラバラになってしまう、家庭が崩壊してしまうことになるわけです。
避難をするときには、今度は生活が崩壊する、家庭が崩壊する。
一方では、体、物理的な生命体としては、被害を受けるわけだし、避難をしようとすれば、今度は心がつぶれてしまうという、本当にどっちにしていいかわからないという、そういう選択の前で、福島の人たちは苦しい選択を毎日強いられている、そういう状態になっています。
本当にこういう被害を生じさせて、いったいその被害の大きさってどれだけなのか?と考えると、私にはよくわからない。
まずは広大な土地が失われます。
さっき今井さんが女川の町の写真を見せてくれて、私も行って、愕然としました。
私を育ててくれた、阿部宗悦さんという人が居た家も、跡形もない…。女川の町が何もないんです。私が借りて住んでいたアパートの当たりだって、そこまでが浸水して、さっき今井さんが見せてくれた写真ではまだ家は残っていたけれども、もう本当に女川の中心街は何もないという状態になっていて、私は呆然とそこに立ち尽くして戻ってきましたけれども、
「それでも!」
と思いました。
「この町は、必ず復興するんだ」と。
人々がそこに戻ってきて、家を建てて仕事をまた組み立てて、女川の町を復興すると思いましたし、むしろ確信しました。
「しかし」
と次に思った。
「福島原発周辺で、膨大な汚染を受けてしまったところは、もう復興できない。」
一見、綺麗ですよ。普通の家が建って、津波で襲われたわけでもなんでもない、地震でつぶれたわけでもない、家が建っているけれども、放射能は目で見えない。そういう目で見えない放射能で汚れているために、もうその町、その村はすべて捨てるしかない。
復興も何もできないで、失われてしまうというそういう土地が、少なくても今現在、琵琶湖の2倍というくらいの面積であるのです。
その周辺にも放射線の管理区域にしなければいけない汚染を受けた土地があって、そこで今現在人々が住んでいる。たくさんの人が被曝を強いられているという状況。
そして、今日の後半のテーマですけれども、これから汚染した食べ物がどんどん出回ってきます。
『それをどうするのか?』
あらかじめ言っておきますけれども、私は放射能なんて決して食べたくはありません。どなたにも食べさせたくない。皆さんもそう思ってると思います。
そうなると、普通の感覚で言えば、放射能で汚れたものは要りませんというと思います。
そうなれば、福島の1次産業は崩壊します。
それに伴って、またたくさんの生活が崩壊するということになると思います。
そんな被害を一体どうやって補償するんですか?賠償するんですか?
戦争が起こって爆撃されて、破壊されたって、そこに戻ることができます。東京だって東京大空襲で焼け野原、広島だって長崎だって原爆で壊滅させられたけれど、それでも町はちゃんと復興できたんです。
しかし、今度はもう町自身が無くなってしまう。そういう被害の重さというのをどうやって考えたらいいか?
戦争だって怒らないような被害が、今現在起きているんです。
東京電力というのは、日本最大の会社です。
経済界に君臨してきた巨大な企業ですけれども、そんなものがいくら賠償しようと思ったって、賠償なんてできません。
ですから、今東京電力にどれだけの賠償責任を負わせようかといって、いろんな議論がありますけれども、私は議論をするまでもなく、「東電を倒産させろ」と思っています。
持てるモノ全てを吐き出させて、東電は倒産させるというのがいいと思います。東電の株券は紙くずになります。一番困るのは巨大銀行ですね。まあ銀行なんてどうでもいいと、まずは思う。でも、個人投資家という人たちも居て、東電の株券を持っていたんでしょうけど、そういう方々には気の毒だけれども、でもしょうがない。東電なんかを信用した責任を取って、株券タダになっても諦めてくれと、私はそこはしょうがないと思います。
でも、東電なんか、何回倒産しても贖いきれない被害が実は生じるんです。
日本の国家が倒産しても実は払い切れないくらいと実は私は思います。
ここに至ってなおかつ政治家とか経済界の人たちは、
「原子力を止めたら、電気代が高くなってしまう」
とかいうようなことを、どこまであほなのか?と私は思うけれども、そんな議論をしている人たちがいるんですね。
もうそれどころではないんだと。原子力をやってきたから、こんなことになってしまって、途方もない厄災を私たちはこれから背負っていかなければいけないということを、多くの人にちゃんと認識してほしいと私は思います。
あ、そうか。
今井さん、ここで辞めてもいいかな?
何時までやっていい?
(今井氏)どうぞ、お好きに。
(小出氏)えーっと、むしろ私は森さんと議論をするときに、その初めにでもこの後の話はしたい。どうしましょう?いいですか?それでも。はい。ではとりあえずここで切らせていただいて、後半の議論につなげたいと思います。
<01:02:00頃~>
(今井氏)じゃあ今日の対戦相手を。森さんどうぞ上がってください。
森さんも小出さんもこの後また使うんですよね。
(小出氏)私今からまたあるけど、どうしたらいいですか?
(今井氏)ちょっとそのまま座っていてください。いや、動かさなくていいです。じゃあ小出先生、とりあえず座ってください。
森さん真ん中へ来て。椅子もいらない。
(小出氏)森さん、これ(プロジェクター)使われる?
(今井氏)はい、使われます。
森啓太郎さんです。
東京から来ていただきました。今日の段取りを言いますね。皆さんお手元にプログラムがあると思うんですけど、まず、汚染された食品をどうするのか?食物をどうするのか?農作物をどうするのかについて、小出さんのほうからまず、最初5分くらい冒頭陳述というか、主張していただきます。で、それが終わったら、今度森さんのほうにしていただいて、その後、今度はパワーポイントを使わないで、椅子を並べて議論を展開すると。
では、引き続き小出さんのほうから。
【その④】に続きます。
<01:03:15頃~>
(小出氏)
では、私の議論に応じてくださるという森さんが来てくれたので、私の主張を今から述べさせていただきます。
またパワーポイント、私の分を映してください。
はい。今、福島でどういう事態になっているかということを聞いていただきましたので、そういう事態を受けて、私はどうしたらいいか?ということを、まず聞いていただこうと思います。
私の願いと書きましたが、私の願いはこうです。
『子供を被曝させない』
ということが第一です。
そしてもう一つあります。それは、
『1次産業を守る』
ということです。
この二つのことをどうしたら実現できるか?ということを考えてきて、私は、提案があって、それをこれまで発言してきたわけです。
まず、子供を被曝から守らなければならない理由というのは、かなり単純です。
一つは、子供は放射線の感受性が高いということです。
私は先ほど生き物というのは、大変不思議なものだといいましたけれども、DNAというものを複製するという、間違いなく複製するということで、生き物というものが成り立っているわけで、複製する細胞分裂を起こしている、その器官に傷をつけられてしまうと、どんどん傷が拡大していくといことになって、被害が大きくなるわけで、細胞分裂がしなくなるような大人というのは、不活発になる大人は、ほとんど危険が無くなるということになるわけです。
ですから、放射線の感受性の高い子供というものは、やはり守らなければいけないということが、私の根拠の一つです。
そして、何よりもですが、子供には原子力を選択した責任がありません。
今日、この場に居るのは、そこそこの大人の方で、選挙権も持っているわけだし、どういう政治を作るか、どういう社会を作るかと、それなりに発言権もあっただろうと思われる方々がいるわけで、そういう私を含めた大人というものが、今日の原子力をここまで許してきたわけだし、事故も許してきた。汚染も許してきた責任があると思うわけですが、子供に関しては一切そんな責任がないんです。何としても彼らに危険を負わせるということは、避けたいと私は思います。
そして、ちょっとだけ言っておきますけど、子供の放射線の感受性というのは、今から見ていただくように大変高いと私は思います。
今ここに30歳という人の放射線の感受性を帯の高さで示しました。
これはちょっと理解がなかなか難しいかもしれませんが、1万人シーベルト当たりのガン指数という、そういう評価基準です。1万人シーベルトというのは、1人が1シーベルト被曝をした人を1万人集めてくれば、合計の被曝量が1万人シーベルト、そういう意味です。
もし、一人一人が0.1シーベルトしか被曝をしていなければ、逆に人数は10万人集めてこなければいけないというそういう単位ですが、そうすると、そのうち3855人が、ガンで死にます。30歳の人であれば。
そして、これはごくごく平均的は人間の危険度というのが30歳の人です。
今日この会場はほとんど30歳以上の方が多いように見えますが、30歳の方が居れば、ごく平均な方だと思っていただければと思います。
そして、年を取るだけ生命体としての活動はどんどん衰えていくわけで、細胞分裂なんかもうしないわけですね。体が大きくならないし、むしろどんどん小さくなっていく。年を取ればとるだけ。そういうことになるわけで、放射線に対する感受性はどんどん鈍くなってきます。どんな風かというと、こんなんですね。
55歳を過ぎれば、もう平均的な人に比べて、ほぼ100分の1です。
私はすでに60歳を超えてますので、もうほとんど危険はないというくらいの感受性しかなくなっているわけですね。
逆に子供のほうに行くにしたがって、感受性はどんどん上がっていきます。
ゼロ歳の赤ん坊というのは、平均的な人に比べたら、4倍も5倍も危険だという。そして彼らには原子力に関する何の責任もないですから、何としても守りたいというのが、私の根拠です。
そうですね、これは、推進派というのは日本の政府などです。そして、Gofmanと書いたのは、私が信頼している米国のお医者さんでしたけれども、その人の放射線の危険度の評価というものをここに一つの表にしたもので、今見ていただいた縦の棒があったものは、Gofmanさんの評価に従いました。そして、今この場合には、1mSvの被曝をした人が1万人集まった場合のガン死者というのを書きました。1mSvというのは、皆さん判っていただけると思いますけれども、普通の皆さんが1年間に許されるというか、これ以上は被曝をするなよと言って決められたのが、1mSvです。
それで、そういう基準をあてはめられた人が1万人集まれば、日本が政府が言っていても、1人はガンで死ぬと。私が信頼しているGofmanさんの場合には4人が死ぬと。
1mSvでも危険が無いということではない。
「1年間に1mSvの被爆をしていれば、1万人に1人、或いは1万人に4人は死ぬよ。でも、それはこういう社会を維持するためには諦めろ」
という、そういう基準なんです。安全でも安心でも大丈夫でもない。危険はあるということは判っている。
「子供の場合には、それが4倍、或いは5倍近くになりますよ。それを諦めるしかない」
というのが法律の定めだったわけです。
次に、1次産業を私が守りたいという理由ですけれども、原子力という今私たちがどっぷり浸かってきてしまったものは、エネルギー消費社会の象徴だと私は思っています。
とにかくエネルギーを使えば豊かになれるというふうに日本の国はなってきてしまった、その象徴が私は原子力だというふうに思っています。
そして、そういうエネルギー浪費社会というのは、持続可能ではありません。絶対にいつか破綻するという、そういうものです。
資源という面からもかならずそうなるし、環境破壊という意味でも必ずそうなります。ですから、エネルギー浪費社会というのをどこかで断ち切らなければいけないと私は思っていますし、そのためには、原子力を止めるしかないし、そうなら1次産業をもっと大事にするというそういう社会に変えなければいけないと思っていますので、今日、今福島で起きたような原子力による事故が起きたときに、1次産業をより壊滅させていくというような選択は、絶対にとってはいけない!こうなったからこそ、むしろ1次産業を守らなければいけないということが、私の願いの一つです。
こういう時に国がやろうとしているのは何か?というと、
『まず基準を決めます。
例えば1㎏あたり500ベクレルという暫定基準が今、牛肉なら牛肉の暫定基準を決めます。そして、それを超えたものは排除して市場に流通させない。だから安全です。』
と言うんですね。そして、
『基準以下のものはもともと安全ですから、勝手に流通させます』
と言っているんですね。その結果、
『放射能の問題は、もう日本には何もありません。原子力はこれからもやりましょう。』
と、そういう論理の組み立てを日本の政府はしているわけです。
私はそれは正しくないと思います。
例えば1㎏あたり499ベクレルの汚染があったとすれば、それはそれで危険なんです。仮に400ベクレルだって危険だし、300ベクレルだって危険だし、100ベクレルだって危険だ。もっと言ってしまえば、10ベクレルなら10ベクレルの危険があるということなんです。
国がやっていることは、ほんっとうにインチキだと私は思います。
そういう時に、私がさっき願った子供の被曝を守る、そして1次産業を守るというためには、どういうことをすればいいかというと、まず、強制的に今避難させられている地域があるんですね。私は避難させなければいけないと思うけれども、そこの1次産業は必ず崩壊します。要するに村自身、町自身が無くなってしまうわけですから、もう何もできない、崩壊すると思います。大変残念ですけど、なるだろうと思います。
次に今現在、強制的に避難させられていないというところでも、ものすごい被曝をしていて、私はそこの人たちも逃がしたいと思っていますけれども、国はそうしない。そこでも汚染した食料が多分これからもできてくるというときに、そこで少なくともそこで踏みとどまって、生産してくれる人たちが居る限りは、その食べ物は捨ててはいけないと私は思う・・・のです。
そういうところで生産したものは、汚染されています。その汚染されたものは、誰にも食べさせたくないと私は思うし、普通の方はみんなそう思う。そういうものは東京電力に買い取らせて補償させろと言うんですね。
じゃ、東京電力は買い取った食べ物をどうするかというと、捨てるんです。
でも、東京電力に買い取らせて捨てるということを判っている食べ物というものを、農業者や酪農業者が作ることができると思いますか?皆さん。
捨てちゃうために自分がモノを作れるでしょうか?
私はそれはできないと思う。
それなら、きちっと流通させるということを、やはり受け止めるしかないということを私は思っているのです。
議論はあるだろうと覚悟しています。
私はもちろん放射能を食べたくないし、誰にも食べさせたくありません。
でも、汚染したものは東電に買い取らせろというのであれば、汚染していないものっていうのはあるのか?と逆に問いたいと私は思う。
でも、汚染していないものなんて、もう無いんです。
福島の事故が起きてしまった以上は、程度の違いがあってもすべて汚染しているんです。
500じゃない。
400かもしれない。
300かもしれない。
100かもしれない。
10かもしれない。
でも、日本中、或いは世界中、全部福島の放射能で汚れているのです。
どこかで基準を決めるなんてやり方は、日本の政府はやっているけれども、そんな基準の決め方はインチキです。すべてが危険だと思うしかないんです。
そうなれば、汚れていないものと、仮にどこかで線を引いたとしても、引いた線以下の汚染の食べ物に、私たちは向き合わなければいけない。
どんなことをしてもそうなります。
そうなったときに必要なことは、東電に汚染したものだけを買い取らせるということを求めるのではなくて、どういう食べ物がどれだけ汚染しているということを東電にそれをしっかりと測定して、みんなに知らせろと要求することのほうが、私は大切だと思います。
そして、その上で私たちが向き合うということです。
一つ目の目標を実現する、つまり子供を守るための手段というのは、これは比較的簡単です。今聞いていただいたように、東電に食品の汚染を徹底的に調べさせる、そしてその上で汚染の度合いごとに、60禁、50禁、40禁というように、仕分けをしていって、子供には汚染の低いものを与えると、それはどういうことかというと、汚染の高いものは大人が食べるということです。
何度も聞いていただいてますけれども、被曝をするということは、必ず危険があります。
安全だとか、安心だとか、大丈夫だとか、そういう言葉は決して使ってはいけません。
「どこまでの汚染なら容認できるか?」
「引き受けることができるか?」
とただただそれだけのことです。
被曝量が上がっていくのが右側です。こっちは影響が表れる危険度の確立と書いてありますけれども、要するに危険の度合いですね。そうすると、被曝が多ければ危険度も多い。被曝が少なくなってくれば、危険も下がってくるわけで、この図を作ったのは、国のほうの推進派の学者ですけれども、あるところよりもっと少ない被曝は『容認できるレベルだ』というふうなことを原子力を推進している人たちが言っているのですけれども、容認できるなんてことを私は国に決めてほしくない。
ですから、国は500ベクレルなら500ベクレルと決めて、あとはみんな容認しろと言ってくるわけですけれども、私はそんなことを国に決めてもらう筋合いはないと思います。何度も聞いていただいていますけれども、放射線の感受性は、歳ごとに違うんだし、責任の度合いも違うのです。容認できるかどうかというのは、大変個人的な判断によるだろうと私は思います。
自分に加えられる危害を容認できるか?或いは、罪のない人々にいわれのない危害を加えることを見過ごすかは、誰かに決めてもらうのではなく、一人一人が決めるべきことだと私は思います。
皆さんもこういう覚悟を決めて、これから放射能の汚染に向き合っていってほしいと思います。
蛇足ですけれども、ちょっと言っておくならば、責任の度合いに応じて汚染食品を食べろとと、私は言っているわけですから、皆さんのような大人に対してもそう言っていますし、もっと言うなら、東電の社員食堂は、猛烈な汚染食料で作ってほしいと思うし、国会議員の議員会館もそうだし、経産省の食堂も猛烈な汚染食品でこれから維持する、そういうようなことを踏まえて、汚染の分担を覚悟して生きるべきだというのが、私の主張です。
終わります。
<01:20:30頃~>
(森氏)じゃあパソコンの用意をお願いいたします。
最初ですね、自己紹介のスライドを大体3分くらいで終わらせませて、反論のほうに入りたいなと思っています。
今日は皆さん、ご来場の方は恐らく小出先生の本を何冊も読まれてらっしゃる方々かなと思ってまして、私も先生の本を何冊か読んで、「大筋いいかな」と思っているんですけれども、いくつか、「やっぱりどうしてもこれは許せないな」というところがありまして、手を挙げさせていただいた次第です。
なぜ私が反論したくなったのかということも、背景をご説明させていただいたほうが、皆さまご理解いただきやすいかな?と思いまして、簡単に自己紹介スライドを3枚だけ簡単にご説明させていただきたいと考えております。
よろしいでしょうかね?
いろんな講演会出てみたんですけど、こんなに真剣に先生のほうに眼差しを送ってらっしゃることはないので、すごいアウェーだなと思いながら、さっきいい汗をそこでかかせていただいたんです。<笑い>
<会場笑い>
大丈夫かな?
じゃあスライドが用意できるまで、自己紹介簡単に口頭でさせてください。
もともとですね、今年の2月まで普通に社会人をしておりまして、10年間インターネットの業界で、テレビみたいなものを配信してやってきたんです。
3月から起業しようかなと思ってまして、本当はアメリカの西海岸に行って企業しようかなと思っていたんですけれども、あの、社会の役に立つような仕事がしたいというので始めたものですから、『地震があったときに何もしないのはうそつきだな』と思いまして、震災以降始めたのが、こちらの、スライド1枚めくっていただいてよろしいでしょうか?
日本ユニバ震災対策チームというところで、物資支援を行ってました。3月15日から、一般の方から水であったりとか食料とかを募りまして、義捐金も集めてモノを送っていたという団体です。最初の1か月で300トンの物資を送らせていただきました。
特に福島のいわき市なんですけど、これ、本当にびっくりしたんですけれども、私立の幼稚園は、実は水の支給がなかったんです。公立のほうだけ、国であったり地方自治体のほうが水を送ってたんですけど、「これはいかんな」ということで、ボストンのレッドソックスさんから3万本のペットボトルいただいたりとか、一般の方から水をいただいて、我々のほうで送付させていただいたという形になっています。
次のスライドお願いします。
今ですね、先月から始めたんですけど、子供全国ネットというものです。子供を放射能から守る全国ネットワークというNGOになるわけですけど、やはりいわき市の幼稚園の方とか見ていて、やっぱ根本的な解決になってないなという形で、先生の本の子供の被曝率が高いということで判りましたので、全国のお父さん、お母さんの集まりの会です。
我々がやろうとしてますのが、右上にありますのが、ベクレルモニターといいまして、食料を専門に測る機械です。結構高くて、ベラルーシ製の安いものでも130万、ドイツ製とかアメリカ製になると、400万くらいするんですけど、とても各家庭で買うことが出来ない。
チェルノブイリの事故の後、このベクレルモニターが各学校に配られまして、ベラルーシのほうですね。それで、いまだに事故後25年近くたってるんですけど、未だに自分の子供に飲ませる牛乳を測って、子供に汚染していないものを分け与えている形になっています。
本来であれば、国のほうで配ればいいんですけれども、なかなか国のほうが動いてくれませんので、我々のほうで購入すると。
いくつか資金集めをやっておりまして、募金であったりとか、或いはソフトバンクさんが建てられた財団、東日本復興財団のほうに2000万申請してまして、あとはアメリカのパソコンのグラフィックボードのメーカーがあるんですけれども、そちらのほうに8000万近く申請してまして、来た義捐金でこのベクレルモニターに買って、各NGOさんだったり、お父さんお母さんの会のほうに配りたいなという形で考えております。
次のスライドお願いします。
もう一つ、実は私3日前から始めたんですけども、福島の市民計測所、放射能を測る方々から実は技術支援を、先ほどのベクレルモニターを買うときにアドバイスをいただいたんですけど、お父さんお母さんが来た時に
「じゃあ何を食べればいいのか?出口がないよ」
というご指摘をいただきまして、小さいお子さんお持ちの方とか多分イメージ付くとは思うんですが、今スーパーで売られているもの、例えば青森から静岡に関して入っているんですね。実際市民の計測所に確認してきたんですけど、例えば30ベクレルとか、40ベクレルとか10ベクレル、普通に入っています。
実際厚生労働省のほうでこれは公表してらっしゃるので、是非ウェブサイトなどでご覧いただければと思うんですけども。
500ベクレルの基準値を超えていなくても、高い数値というのは、200ベクレルとか普通にA4でWHOの基準の10ベクレルを超えるものに関しては、A4で3枚くらいになります。測ってるものだけで。
全てを測ってるわけではございませんので、そういう意味では、安全な食品を小さい子に食べさせるという意味では、直販しかないなという形で、始めるようになりました。
実際私、両親とも1次産業、農家をやってまして、ここの空間線量を測るのはすでにやってまして、土壌検査も先週終わりまして、北海道のほう、北海道一部セシウムが出た、出てないという噂があったので、心配だったので、ちゃんとした3000万の機械で測って、問題なく出てなかったということで。
3番目に関しては、野菜が取れ次第、米とか野菜が取れ次第、実際放射能が汚染されていないというものだけを、販売するものを始めることになりました。
これは簡単な自己紹介です。
<01:27:40頃~>
(森氏)ここから反論なんですけれども、1ページめくっていただいてよろしいでしょうか。
ここ、先ほどちょうど先生が説明いただいたものなんですけれども、著書のほうから取らせていただきました。
60歳以上、本の中では60歳以上の方のみ変える野菜のコーナーを作るべきというものがありました。
そこでふと思ったんです。
理論的にはきっと正しいんだろうな。先生が尊敬する博士が作った理論ですので、おそらく正しいという仮定のもとに話させていただきますと、ただ、理論的には正しいのはわかるんですが、自分の例えば大切なお父さんであったり、お母さん、或いはおばあさんに仮にリスクが低いといえども、1%のリスクであったりとか、食べて悪く、ガンになってしまう可能性があるものを食べさせることができるのか?ということです。
私のほうは、自分の親であったり、おばあさんに食べさせることはできないです。
或いはご商売されてる方いらっしゃると思います。飲食されてる方。自分のお客様、レストランの経営者をイメージしてください。自分のお客様に、
「60歳以上なんで、じゃあ例のメニューだそうか」
と、出せますでしょうか?同じお金をいただいてるんですよ。自分のお客様が、100人に1人であれ、1000人に1人であれ、自分が出したものでご飯を食べさせることができるでしょうか?というのが、第一の疑問です。
(小出氏)今答えていいですか?
もちろん出します。出すしかないのです。
ですから、今森さんちゃんと言ってくださったけれども、国が例えば決めている1㎏あたり500ベクレルという基準があって、例えばそれを年寄りに出せと私が言うとする。
でも、500ベクレル以下のものというのは、もう山ほどあるんですよ。400もあるし200もあるし、100もあるし何十なんていうのは、もうザラに全部汚れているわけです。そういうものを食べるしかないんです。私たちは。もう否応なく汚染したものを食べるしかない。すべて危険なんです。
ですから、今私たちに残されている選択は、どうやって分担するか、どうやってリスクを負うか、それだけのことでしかないんです。
危険は皆あるという、そういう中での選択ですから、こういう選択を私はするしかないと思うし、もちろん私は年寄りに出せます。
<会場ざわざわ>
(小出氏)子供に出すなんてことは到底できないわけだから、できるだけ子供にはきれいなものをあたえるし、残った汚いものは大人に出すしかないというところまで、私たちは追い詰められているということを認識しなければいけないと私は思います。
【その⑤】に続きます。
<01:30:40頃~>
(森氏)今江戸時代なら、もちろんそういったこともあると思うんですけども、極端な話、輸入もできますし、汚染の度合いも全く異なると思います。
実際、厚生労働省であったり民間団体だったりで、食品の計測をしていると、例えば北海道で一切出てなかったりとか、あるいは西のほうで比較的薄かったりという形になっているし、ここに関しては、もう少し広い視野で、日本だけではなく、ほかの視点も考えてもいいんではないでしょうか?
(小出氏)はい。そうですけれども、もう世界中が汚れているのです。日本で言えばもちろん関西だってすでに福島の放射能で汚れているし、沖縄だって汚れている。
要するに「程度の差がどれだけか?」ということでしかありませんので、輸入をしたところで、もちろん汚れているんです。
その輸入食品で例えば日本人が生きのびるという選択をするなら、じゃあ日本で取れた猛烈な汚染食品はどうするの?その分、どうするのか?
海外にその分を回せばいいのか?というようなことになるとすれば、私は決してそんなことはやってはいけないし、日本の原発で生じた汚染は、海外には決して出さずに日本で引き受けるしかない。そのためにはやはり年寄りが受けるしかないというふうに私は思います。
(森氏)私の場合は、ご老人にはやはり人道的に今まで日本を作ってくれた方々ですので、そんな汚染されたものを食べさせるっていうのは、やっぱり間違ってるんじゃないかと思います。
(小出氏)私は間違っていないと思います。
(森氏)なるほど。
(小出氏)日本を作ってきた大人は、この原子力の事故を起こしたという大人でもあるわけですから、確かに作ってきたというのは本当ですけれども、この現実を作った大人なわけですから、その責任は負ってもらいたいと思います。
(森氏)先生は、ストイックですごくかっこいいなと思うんですけども、そのストイックさを人に押し付けてはいけないなと思います。
<会場笑い>
(小出氏)失礼しました。その通りだと思います。私は、はっきりと「自分でも食べたくないし、誰にも食べさせたくない」と始めにお断りしたし、例えば私の親にだって本心を言えば食べさせたくないです。
今日この会場に来ている私より年上の方もいらっしゃるけれども、そういう方にだって本当は食べさせたくないのです。
でも、すでに『汚れている』のです!
『汚れているものを、その食料を捨てるのか、捨てないのか?捨てないとすれば、誰が食べるべきなのか?』
というその選択しか、もう無いのです。
私は捨ててはいけないと言っているわけだし、捨てないとすれば、じゃあ汚染したものは誰が食べるかといえば、やはり年寄りから選ぶしかないというのが、私の主張です。
(森氏)はい。あの、選択肢をもうひとつあるかなと思ってまして、例えばベラルーシみたいに国家予算の20%使って放射能対策を取ると。
結構皆さん、腹をくくる必要があると思うんですけれども、強制避難地域以外でも高い土壌汚染があるところに関しては、農作物を作らないという選択肢も国民にあるんではないでしょうか?
(小出氏)はい。そうすると、その地域の1次産業を失うということですよね。私はそれをしたくないと言っているのです。ここまで1次産業を崩壊させてきて、原発の事故が起きたら、更にまた農耕禁止区域をどんどん広げていくというようなことをやるべきではないと、私は思っているので、作ってくれるという農業者、酪農業者が居るのであれば…。
…できないところはあるんですよ。
大変残念だけれども、もう本当に農業も酪農業もできないという地域は膨大に生じるのです。でもその外側でなおかつ踏みとどまって、農業をやってくれる人たち、酪農業をやってくれる人たちがもし残るのであれば、その人たちは支えなければいけないと、私は思っているのです。
(森氏)あの、私も両親が農家出身なので、よくわかるんです。土地で作るなと言われた場合に、ほかのお仕事に就くことができるかというと、やっぱり違うんです。
リンゴ農家であれば、リンゴを作るのはすごくうまいですけれども、例えば、ブルーベリーを作るには、また違うスキルが必要なんです。
ただ、一つだけ言えるのは、実際にまだ休耕田というのがまだたくさんあるわけです。例えば北海道だけでも、使われていない畑であったりとか、田んぼはたくさんあるので、例えば、仮に福島だけの話をさせていただくと、もっと大きいエリアが汚染されていると思いますけれども、福島の農家の方を、例えば北海道にお呼びして支援していくというのもあるんではないでしょうか。実際に私のほうでも、今福島の方を通じて、若いご家庭で農業をやりたいという方を北海道のほうに受け入れ準備をしたいなというふうに思っています。
(小出氏)すごいいい試みだと思います。本当に福島で猛烈な汚染を受けてしまって、どんなにやりたくても、そこで農業・酪農業をやれないという人は、多分たくさん何万人もいると思いますので、そういう人たちに対して、新たな土地を準備する、新たな土地を準備してもダメかもしれないと私は思います。要するに福島の農業・酪農業をやってきた人たちは、そこの土地が自分の命だったわけだし、本当に別の土地に行って、また農業・酪農業が再建できるかというと、私は不安ではあるけれども、でもやるべきだと思うし、すごい良い提案だと思います。
どんどんやってほしいと思いますけれども、それでも、今福島の汚染地帯、猛烈な汚染地帯で強制避難させられている地点ではないところで、なおかつ、そこで自分が生きてきた土地、自分の故郷で、農業・酪農業をやりつづけたいと思う人もやはり居るだろうと私は思います。そういう人たちは、やはり私たちが支える以外にないと思いますし、もしそういうところに踏みとどまって、農業・酪農業をやってくださるという人がいるなら、私はそういう人たちが作った食べ物を、私自身は受け入れたいと思います。
(森氏)私のほうでは、やっぱりチェルノブイリの時も、やはり汚染された地域で住み続けたいというお年寄りも、未だに住んでいらっしゃるので、それは否定しません。
良いと思います。
個人の自由だと思います。
ただ、『売ってはいけない』んです。
理由は、私の農家さんとすごい近いので、よくわかるんですけど、産地偽装がこの後増えてくると思います。
作ってしまうということは、自分の家用であれば全く問題ないわけですが、仮にお米に入っていた場合、入ると思います。今までお米の偽装疑惑って何回事件で、新聞でお読みになったでしょうか?
今まででもコンプライアンス的に許されるものではありません。今、汚染された地域で作り続けるということは、そういったリスクを生むわけです。
子供も被曝してしまうリスクもあります。
なので、中途半端な政策はすべきでないと思っています。
(小出氏)それなら私は森さんに聞きたいけれども、例えばお米だったら1㎏あたりどこまでの汚れをハネるんですか?
(森氏)はい。日本の基準はやはり国際基準よりだいぶ高くなってますので、もちろん放射性物質が含んでいる、リスクがあると判っているけども、少なくても国際基準の、例えばWHOの10ベクレルくらいまでは下げてもらいたいなと思いますけど。
(小出氏)でも、じゃあ9ベクレルは安全なんですか?
(森氏)はい。えっと程度の差ですね。499ベクレルよりは安全かなと理解しています。
(小出氏)そうですね。ですから、要するに程度の差しかないわけですよ。
500でその基準を引こうと、10で基準を引こうと、どこまで行っても危険は必ず付随するんです。今、日本中が福島を中心として、程度の差はあるけれども全部汚れているんです。ですから、もともと大気圏内の核実験というものが行われて、地球上全部が放射能で汚されているのです。
ですから、先ほど森さんは、「検出できなかった」とおっしゃったけれども、検出できないなんてことは絶対ありません。私が測れば、世界中どんな食品でも必ず検出できる汚染があるのです。
ですから、どこまで受け入れるかというそういう選択しかないのです。
ですから、私は、基準を引くのではなくて、どこまで汚染しているかということキチッと測定して、後は分配するしかないというのが私の提案なんですね。基準を決めるというようなことに関しては、私は少なくとも反対です。
(森氏)理解しました。
ただ、食べさせるのは、そこはやっぱり譲りたくないですね。
<会場笑い>
(小出氏)いや、食べるしかないのです。だから、全てが汚れているのです。
(森氏)はい。
(小出氏)基準を引こうと引くまいとすべてが汚れている。そういう世界で私たちは生きるしかないのです。
ですから、後は分配の問題なんだから、どういう責任で分配をするか?ということを私はさっきから提案しているんです。
(今井氏)<笑い>すごい議論が盛り上がってますけど、小出さん、まずちょっとカメラの関係で、距離もうちょっと二人詰めてもらえません?
(小出氏)パワーポイントもう使わない?
(今井氏)はい、もう使わない、使わない。森さん、まだ使う?
(森氏)ごにょごにょ
(今井氏)この辺までちょっと…。
で、あの、今日はニコニコ動画の視聴者からもう既に質問が来てます。それはあとで二人くらい選んで、お二人にぶつけますけれども、会場、せっかく来てくださってますし、演説をしないで…
<会場笑い>
(今井氏)1分以内に、簡潔にまとめる、という約束をしてくださる人だけが、森さんに対してでも小出さんに対してでも、或いは両者に対してでもいいです。
手が挙がりました。じゃあどうぞ。
(質問者①)福島は止まることを前提に考えたらダメですよ。と、先生に聞きたい。いつ止まるかはわからないんです。
(今井氏)ちょっと座ってください。
(質問者①)その論理をね、止まるものとして考える論理に走ってると思うんです。それは無理。
(今井氏)はい。わかりました。この今二人が議論していることに、割とこう当てて、どなたか質問ありますか?では、どうぞ。
(質問者②)私は広島から来たんですけど、5月に広島の山の中で原木栽培された干しシイタケを買って、それを買うときに春に作ったシイタケだと農家のおじさんがおっしゃったので、「これはセシウムたっぷりやな。でも、セシウム入ってるから、ほな秋のじゃなかったら要らんわ」とは言えなくて、買ったんですね。このくらい。
で、今中先生が広島に講演に来てくださった時に、先生に聞いたら、
「じゃあ測ってあげる。でも出ないよ。」
とおっしゃったんです。新しいセシウムは出ない。どう考えても、私は出ないって思えなかったんですね。でも、先生は、
「広島にもヨウ素飛んできたん知ってる」
とかおっしゃるから、
「ヨウ素来てんのやったら、セシウム来てないわけないわ」
と思ってたんですけど…。
(今井氏)で、結論をちょっと…。
(質問者②)あの、結局ですね、セシウム137が14ベクレル/㎏出たんです。
これは、森さんのおっしゃっている10ベクレルを超えてますよね。だけど、でもこれは134が出てないから、大気中核実験の時の汚染だっていう話になるんで、私自身すごく理解できないし、食べていいかどうかっていうのも、食べてますけど。
<会場笑い>
(今井氏)わかりました、ちょっと他にもおられるので。繰り返しますけど、私は小出さんに同意するとか森さんに同意するということで、どなたか手を挙げてもらえませんかね?意見でも質問でもいいです。では、お母さんどうぞ。
(質問者③)えっと、小出さんとは、ときどきこのお話をしたことあるんで、きょうちょっとまとめて言いたいんですけど…
(今井氏)あー、簡潔にお願いします。
(質問者③)1億総動員で戦争が終わった時に、国民みんなに責任があるっていうのと、少し似てる気がするんですよ。私は被害者であっても加害者である。両方持っててね、加害者であったことを反省するには、それをやった人間をやっぱりちゃんと責任を取らせていくという行動なんだと思うんです。
だから、「東電に高放射線のものを置く」とは思えへんしね、東電の食堂に。「東電とか御用学者とかそういう人たちに、まず食べてほしい」というのは、私の思ってることで、高齢者が食べるということは、それは個人の選択でいいと思っていて、それが原発をさせてきた責任だというと、それで終わってしまう可能性もあるな?と。
(今井氏)わかりました。もう小出さんがしゃべりたくてうずうずしてらしゃいますので。
(小出氏)あの、そうです。ご指摘の通りで、私はだから「責任を取らせたい」というふうに言っているのです。ですから、先ほども言ったように、東電の社員食堂はすべて猛烈な汚染食品、国会議員の議員会館も、経産省の食堂も全部猛烈な汚染食品で作るべきだといっているわけで、責任の重さに応じて取らせたいと思っています。
ですから、戦争の時もそうです。
こんなところで言ってはいけないのかもしれないけど、天皇にもきちっと責任を取らせなければいけなかったと思うし、それが取らせられなかったから、こういうことになっているんだと私は思います。
きちっと責任のあるところに、責任をとらせるということをやりたいと思っています。
ただし、ひとこと言っておくなら、戦争の時も、
『一般国民はただ騙されたんだから、責任がない』
という議論には、私は組みしません。
今の日本の人たちも、原子力をここまで許してきたのは、
『ただ騙されたんだから』
というようなことは、私は認めたくないと思っていて、騙された人たちには、騙された責任があると私は思いますので、大人はそれなりの覚悟を決めてほしいと思っています。
(今井氏)反論!?じゃあ短めにね。
(質問者③)あの、騙された責任っていうのは、騙した人に、例えば原発をやめさせるという行動で、それで東電なんかは、多分お金持ってるから、もうとっくにお米なんかは、去年のもの買い込んでるやろうし、そういう金持ちだけが有利になる結果になるんですよね。
「取らせたい」って言ったって、本当に取らないじゃないですか。
戦争責任もそうですけど…。
(今井氏)ちょ、ちょっと待って。小出先生もちょっと待って。
反論したいのは判るんですけど、ちょっと待って。
あの、東京のほうから、今と同じような類似の意見というか質問が来てますので、ついでに読んでから小出さん、反論してください。
「小出さんの20禁、30禁、60禁が実現した場合には、実際にはそうした放射能汚染食品を買い求めるのは、或いは交わされることになるのは、大人の50歳以上の富裕層ではなく、貧困層やマイノリティ、年収200万円さえ手にしない母子世帯や、若年世代なのではないでしょうか?
10禁、20禁、60禁と表示したのが反作用し、同世代間においてさえ、富裕層がより汚染の少ないものを、同世代における貧困層が、より汚染の高い食品を買い求める結果を生み出すことになるのではないかと危惧します。
これは小出さんが一番嫌う、しわ寄せをする人々を生み出す、差別と再生産する事態に陥ってしまうように思うのですが、どうでしょうか?」
合わせてちょっと小出さん。
(小出氏)そうですね。おっしゃるとおりです。私はどの食べ物がどれだけ汚染しているかということを、きっちり表示して、きっちり表示してというよりは、むしろ東電に責任を取らせて、きっちり測定させて表示させろというのが、私の主張なんですね。
それをした上で、私が皆さんに求めたいのは、年寄りが食べて、子供にはきれいなものを与えようというのをやりたいというのが、私の提案なわけですけれども、それをもしやる、きっちりと汚染を測定して公表すると、私の望みとは違って、金持ちはきれいなものを買って、貧乏人が汚染の高いものを食べさせられることになるだろうと、大人も子供も関係なくそうなるだろうというのが、今のご指摘だったと思うし、多分そうなるだろうと私は危惧します。本当に危惧します。
でも、それが今の社会なんです。
今の社会にそういう矛盾があるのです。
そういう矛盾があるときに、汚染の度合いも何も皆さんに知らせないまま
「とにかく皆、もうわからないで食べろよ」
ということに、私は組みしたくないのです。
『事実がこうあるということをやっぱり知って、どういう矛盾があるのか?、どういう酷い現実なのか?ということを知ることしか。現実を乗り越えることができない』
と私は思うので、敢えて提案しているということです。
(今井氏)では、どなたでも、ほかに?
(質問者④)今、汚染のことってセシウムが中心なんですけど、例えばアルファ線とか測りにくいものってあるじゃないですか。例えばセシウム以外の核種が出たりとか、そういうのについては、どれがきれいだとか、厳密に測ったりできるのか?それから例えば森さんがおっしゃったことだと、「これは安全ですよ」とセシウムでは安全だったけど、実はアルファ線とかで危なかったと、そういうことで、現実的にどういうふうに対応できるのかな?というのが、わからないとこなんですが。
(小出氏)今私はセシウムの汚染のことの話をずっと聞いていただいたし、ご指摘くださったように、セシウム以外の汚染ももちろんあります。皆さん、多分危惧しているのはストロンチウムという放射能であったり、プルトニウムという放射能であったりすると思いますし、もちろんその汚染は必ずあります。先ほどから、私はセシウムに関しても、『どんな食べ物も汚れている』と言いました。『大気圏内の核実験が起きてから、地球上すべてが汚れている』と言いましたし、そういうレベルで言うなら、ストロンチウムの汚染もプルトニウムの汚染もあります。
ですから、大丈夫なんてこともないし、安全もなければ安心もありません。どこまで汚れているか、その程度の差しかないのです。
そして、福島の原発の事故で、生じた汚染に限っていうのであれば、すいません。あまり厳密的に正確さを求められると私は困りますけれども、ストロンチウムやプルトニウムという放射性物質はかなり放射線の毒性という意味では高いんですけれども、でも、汚染の度合いがセシウムに比べるとかなり低いので、私たちが注目すべき汚染はセシウムだと私は思います。
とにかくセシウムに注目する。その代りストロンチウムやプルトニウムの危険も忘れてはいけない。そういう向き合い方が今の時点ではいいのではないかと思います。
(今井氏)じゃ、今さっき手上がった方。
(質問者⑤)世界中どこでも汚染されてしまって、汚染されていない食物はないということなんですけれども、福島の土地の汚染や農作物の汚染に比べたら、私はまだマシじゃないかと思うんですね。福島の農家の人たちは、自分たちの作った農作物が汚染されていることも判っているし、もう漁業のほうも海が汚染されていることも判って、再開。もう本人たちが一番よくわかってるんですね。
で、農作物を作っても、やはり家族には食べさせない、自分たちは食べない。お米も毎年自分たちのお米を食べていたけど、今年はモノを買う。売るけれど、自分たちは食べないという、そういうことも私はいろんなところで見聞きしたりしてるんですね。
本当にその福島農家の人たちは、それで、その農作物を基準値を上げて流通させてもらって、お金が入ってきて、本当にうれしいのかな?と思うんですよ。
自分の作ったものが、それを誰かに買ってもらって、それを食べた人たちが被曝してガンになっていく、そういうのが本当にいいのか…。
(今井氏)わかりました。小出さん、ついでに、今の話に関連すると、おととい、仙台でぶんぶんカフェという放射能のお母さんたちの勉強会の時に、宮城県の農家の方を招かれたんですね。その農家の方から小出さんに言ってほしいっていって、農家個々人意見が違うにせよ、
「自分たちは、今汚染された土壌でいろんな作物を作ることをもう辞めたい。宮城の土地を離れて(非常に福島に近いところなんですよね)今の土地を離れて、代替地を用意してほしい。何県でもいいから、山形でも岩手でもいいから、そこで農業を続けたいと。作ることのほうを選択したい。そこに残るよりも。」
「もう一つ絶対言ってほしいのは、自分たちがものすごく被曝しているということを判ってほしい。その土を耕した時にどんどん吸い込んでいって、作ったものについての危険度は言われているけど、作っている本人たちが非常に危険に冒されているということを判ってほしい。だから代替地を用意してほしい」
というようなことを言っていました。
(小出氏)だからそうなんですよ。汚染は、ものすごい汚染地帯から、比較的汚染の少ないところまで『連続的に』分布しているんです。だから、自分たちの作っているものが、汚染している。それで隣の人は汚染していないということではないんです。
あるところは500、次のところは499、次のところは490かもしれないけど、どこかで自分のとこだけが汚染しているなんてことは、もう無いんです。
自分のところが汚染していると思うなら、それは隣も汚染しているし、離れたところも汚染している、そういう汚染の仕方なんですね。
でも、少しでも汚染の少ないところに行きたいというのは、もちろんそうだろうし、その方々が被曝をしているわけですから、私はそうしたいと思います。
ですから、福島の猛烈な汚染地帯で、農業を続けるということは、危険を背負うわけですから、そういう方が、さっき森さんが提案したように、北海道にきて農業をしつづけたいというなら、もちろんそうすべきだと思います。
でも、それでもなおかつやっぱり「自分はここで生きたい」と思う農業者・酪農業者も居るだろうから、そういう人のものに関しては、私たちが支えるしかない、そういう提案を私はしているんです。
(今井氏)と、いう小出さんの主張に対して、もし意義があれば?
(質問者⑥)やっぱり、作るっていうことは、その場でものすっごいわかるんです。そのそこで作られる気持ちは。でも、それは、原発の汚染っていうことの意識をどこまでその方は意識されるんかな?という不安が、ちょっと最近感じているので、向こうの方から来られていて話を聞くと。
(小出氏)すいませんが、私はすべて汚染していると言っているんですよ。はい。
ですから、あるところで農業をやる方に対して、その疑問をもし抱かれるんだとしたら、そのちょっと離れたところで、もう少し汚染の少ない方に対しても、その疑問を抱かれますか?
「そんなところで農業をしていいのか?」と。
もしそれでも抱くのだとしたら、そこからもう少し離れて、もう少し汚染の少ない方にもそう思われるんでしょうか?
どこかで線を引くんですか?それとも?
(質問者⑥)そんなんじゃなくて、やっぱり原発は危険なものだということを判ってもらいたい。
(小出氏)皆判ってますよ、もう。
(質問者⑥)判ってないような気がするんですけど。あまりにも安全神話で洗脳されてて。
(小出氏)多分今福島県でかなりの汚染をしているところで、農業をやり続けようとしている方々は、自分で被曝をしているんですよね。その被曝もやはり、多分私は深刻に思ってるだろうと思います。もちろん、だからそれでもね、「安全だと思いたい」という気持ちはあるだろうけれども、それでも、危険がないなんていうふうには思ってないだろうし、原発に関してもかなりの思いはありながら、それでもやっぱり農業をやりたいと思っているんではないかな?と思います。それは私の推論ですので、ここで議論をしても仕方がないかもしれません。
【その⑥】に続きます。
(質問者⑦)すいません。手短に。
おとといまで福島県の5か所くらいを回ってコンサート等々をやってきました、芸人でございます。さっきの話を聞いていて、本当に矛盾を感じたのは、こっちからこっちへ飯館のほうに行った時もそうですけど、車で走って、こっちは作ってはダメといわれて、こっちは作っているんです。
「どこで線引くねん!?」
と本当に思いました。
それと、僕が聞きたいのは、私は今回ちょっと小心者なので、安物の計器を持っていきました。馬場製作所が作ったRAD、19800円の。それ「ピッピッ」てパルスしたら、それで計測するんですけど、向こうに行ったときに、飯館の泥縄というところで、偶然文科省の奴らが来てて、僕の計器は全然ダメ、とにかく「ピッピッ」言うんですけど、全然わかんないんです。で、文科省の奴が測ってたら、奴ってすいません。14.6マイクロシーベルト。で、怖くなって逃げました。
でね、僕聞きたいことは、そんなことで、僕の計器はもうたぶんダメだったと思うんですけど、関西で測るとものすごく反応するんですよ。だから、福島原発の放射能廃棄物じゃなくて、関西は、実はかなり前から汚染されてるんじゃないでしょうか。そういうデータ無いですか?
(小出氏)それは誤解です。はい。
もともと地球というこの惑星というのは、ものすごい地域差があるというそういう惑星です。例えば地震だって、日本人には当たり前だけれども、地球上はほとんど地震なんか無いですよ。地震があるのは太平洋、ぐるっと囲んでいるところ、あるいヒマラヤから地中海に抜けるところ、ほかは地震なんか無いというそういう惑星だし、地球上の大地のでき方というのも全部違っていて、日本列島の中でも、自然の放射性物質の濃度というのがものすごい違っていて、関東、或いは福島のあたりと、関西とを比べると、もともと関西は高いんです。それは、なぜかというと、関東地方は関東ロームというものでほとんど覆われているんですけど、関東ロームは、天然の放射性物質の含有量が低い。関西というのは六甲山もそうですけど、花崗岩というものでできていて、花崗岩というのは、もともとウラン・トリウムという放射性物質を大量に含んでいるというそういう岩なんです。
ですから、そういうところにいけば、お持ちになってる測定器が、バリバリと音を立てるというのは、もともと当たり前のことであって、ですから、福島の原発事故で放射能で関東地方が汚れてしまいました。被曝はいやだからといって、関西に逃げてきたりすると、余計自然の放射線で被曝をするという可能性も、実はあるんです。そういうものです。
(今井氏)いいですか。今の質問が悪いって言ってるんじゃなくて、いい質問なんですけど、今日はそういう議論じゃないので、せっかく議論がいい方向に向かってたので、ちょっともとに戻したいんですけど。今日のテーマで意見なり質問を出してください。
(質問者⑧)放射線治療に関連する者なんですけど、日々自然の放射線でもガン細胞って数千個できます。それは免疫力がくってくれているから、大丈夫なことになっているわけですよね。これから多分、水産物に猛烈に汚染も出てくると思うんです。この間家内と福島のものをおいしく食べました。
それで、免疫力ってすごく大事だと思うんですけれど、ですからあんまり食べるものを怖がるよりも、たばこの方がもっともっと酷いと思うんですけど、そうすると、一つ、そのこれからの水産物の濃縮汚染というのは、もっと酷くなって、それでも60禁も食べるべきかというあたり、一つよろしくお願いいたします。
(小出氏)水産物は多分これから、どんどん汚染が地域的に広がっていくと私は思います。
これは、どうなんだろう。あまり私も正しくないかもしれないけど、海というのは、昔から言っているように、海は広いな大きいなと、言っているように、かなり希釈効果があるだろうと思います。ですから、例えば、魚なんていうのは、回遊性の魚がたくさんいるわけですから、そういうものも広い海を泳ぎながら、かなり汚染を広げながら広がっていく。
だから、猛烈な、例えば陸で取れるような、キノコに猛烈な汚染が濃縮するとか、そういう形の汚染ではなくて、かなり広範に薄い汚染という形で出てくるんだろうと、海産物に関しては。
ただ、定住生物は別ですよ。例えばうにであるとか、アワビであるとか、或いは、海藻なんていうのは猛烈なものが出てくると思いますけれども、いわゆる魚というのは、薄い汚染が広範囲に出てくるだろうと思うし、それはやはり日本のような海洋国家は受け入れるしかないと思います。
その場合も、私の原則は、60禁、50金の原則をあてはめるべきだと思っています。
そして、躊躇するのは、海藻。私が躊躇するのは海藻なんですけれども、階層は多分猛烈な汚染の海藻というのが、きっと今でもあると思います。
それはデータがなかなか公表されていないので、判らないんまま私たち食べてるかもしれないと思いますけれども、ものすごい濃度になって、キノコと匹敵するような濃度になっている海藻があるだろうと、私は思っていますし、正直言えば、福島県産の海藻とかいうのを食べて本当にいいのかな?というか、私自身が食べたいと思っているんですよ?私は。私は責任のある人間だと思っているから、食べたいと思うけれども、やはり放射能があらゆる意味で危険だということを、私は十分知っている人間ですので、躊躇するというのは、正直な気持ちです。
(今井氏)森さん、ちょっと待ってね。
あの、すいません。もう終了時間15分過ぎてるんです。それで、実は東京都から、遠いところから来られてるからおられるので、新幹線の時間もあるので、もう終わらないと新幹線が間に合わないんですね。
で、森さんに今簡潔の答えてもらってあと一人だけで、ちょっと終わらせてもらいます。ごめんなさい。いろいろな事情があるので。
(森氏)魚の件なんですけども、海藻と。たんぽぽ社というチェルノブイリの後ずっと食品を測ってこられた方がいらして、魚と海藻を測っています。
宝島のほうで発表ありましたので、また見ていただければと思うんですけれども、ブリとかでも、20ベクレルとか出てますし、意外と三陸のワカメは多分海流の関係だと思うんですけど、何回か測ってらっしゃるんですが、三陸のワカメは今のところ出てないとおっしゃっています。
(小出氏)私は三陸のワカメですでに検出しています。
(森氏)あー、そうですか!なるほど…。
参りましたね…。
<会場笑い>
(今井氏)参りましたって!<笑い>
じゃあ手が挙がってますから、一番最初に手を挙げた人から、ごめんなさい、許してください。簡潔にお願いします。
(質問者⑨)被曝量の容認のレベルの、容認できるレベルという話がありましたけど、お二人のお話を判断するのに、これだけ聞かせていただきたいんですけれど、1950年から1960年にかけて、世界中のあちこちで核実験がありましたよね。それで、先生は今地球全体が汚れているとおっしゃいました。この時に、どれだけの放射線が出てるのかというのは、当時数値として出ておりませんでしたけど、先ほどおっしゃったように、広島原爆と福島のを何倍ということで、あらわされましたが、その昔の核実験の、それはどれくらいの福島と比較したらどれくらいのものになるのでしょうか?
(小出氏)大気圏内の核実験というのが1950年代から60年代に大量に行われて、大気中に放射能をまき散らしたんですね。でもご存じだと思いますが、大気圏内の核実験というのは、米国の場合だったらネバダが中心だったわけだし、或いはビキニのあたりでやったりした。ソ連だったら、カラチンスクでやったり、中国だったら六合であったり、要するに北半球の温帯というところでほとんどやっているんです。そうすると地球の大気循環というのは、北半球なら北半球で回っている、南半球なら南半球で回っているし、温帯なら温帯でかなり回っているわけですね。ですから、汚染というのは北半球の温帯を中心にした汚染を受けた。南半球は比較的綺麗だったし、北半球でも北極のほうとか赤道の湿地帯はそんなに汚染を受けなかった。そういう意味でいうと、累積で、何十年物累積で1平方メートルあたり、多分1000ベクレルだと、そういうオーダーだったと思います。
長い時間をかけてですよ。
チェルノブイリの時は、日本に降ってきたのは、確か1平方メートル当たり100ベクレルくらいだったと思います。ですから、大気圏内核実験の汚染に比べれば、何十分の1かというレベルで、チェルノブイリの時は済んだんです。
それでも、日本中のたくさんの食べ物は汚れたという状況だった。
でも今は、さっきもちょっと聞いていただいたけれど、福島の周辺だと、1平方メートル当たり、何万、或いは何十万という、そういうレベルですでに汚れているとそういうことです。
(質問者⑨)それが今も続いているということですね。
(小出氏)これから何十年も続くのです。
(今井氏)じゃあもうこれで終わりますけど、ニコニコ動画からの質問もちょっと触れたんですけど、小出さんと森さん、最後に30秒づつくらい短く食に対しての全量検査はこれ、ニコ動からの質問です。
「食品に対する全量検査は現実的なことなのでしょうか?もしそれが可能だとすれば、今これを実施しないのはどのような理由からでしょうか?」
(小出氏)えー、全量検査は不可能だと思いますけれども、私は東電なんかつぶしてもいいので、東電には、東電の責任でやらせるべきだと思います。
汚染食品を買い取らせるために金を使わせるのではなく、どれだけ汚れているかということを調べるために、東電に金を使わせるということを私は求めたいし、倒産するまでそれをやらせたいと思います。
(今井氏)わかりました。時間が来ました。ごめんなさい。新幹線でこれから東京へ帰られる方、今すぐ退出したほうが…。
じゃああの、小出さんと森さん、ちょっと立っていただいて、どうもありがとうございました。ちょっと握手!
<会場拍手>
じゃあそんなことでどうもありがとうございました。
【以上】
最後まで読んでいただいてありがとうございました。
Bochibochiの考えをここに書かせていただきます。
何度も申し上げてきましたが、Bochibochiが考えていることは、基本的に以下の通りです。
・国策として、子どもたちを即刻疎開させること。
・福島に人の住めない地域があることを認め、謝罪し、その地域の住民に補償を約束すること。
・その場所で焼却灰や汚泥などの汚染されたものを国が管理すること。
・食品の線量測定体制を早急に確立し、全ての食品に汚染数値を記載するようにすること。
【参考記事】
・7月23日 【追記あり】完全に間違った優先順位
・7月24日 福島県・長野県:汚泥・がれき処理に限界近づく【非人道的な状態】
・ 8月12日 食品安全委員会にパブリックコメントを送りました【生涯100mSvの件】
Bochibochiは、小出先生のおっしゃることもわかるし、森さんのおっしゃることも、とてもよく判りました。
思想的には、両者ともに大人として責任を取りたいという気持ち、よく判ります。
けれど、こうなってしまった以上、今までの生活ができなくなることの覚悟が必要です。
そもそも、この討論会をオンラインで配信し、公開でやっている意味を考えてください。
まだ汚染を受け入れる準備ができていない人が多いのではないでしょうか。
やっぱりこの配信も、 Bochibochiの目には『問題提起』として映ります。
もし、今政府が体制を整えて、食品全部にベクレル表示をしたとします。
そこで、あなたはそのベクレル表示がついた食品を買うことができますか?その準備ができていますか?
多くの方は、それを目の当たりにして「嫌だ、食べたくない!」と思われるのではないでしょうか。
小出先生はそうなったときに、それを拒否せず、できるだけ多くの大人に受け入れてほしいと願っていらっしゃるのではないでしょうか。
でも、Bochibochiは、それを人に強制することではないと思っています。
ですから、先生の主張は、「自分がその時どうするのか?」という問いかけとして受け取っています。(ちなみにBochibochiは、ある程度食べると思います。)
小出先生は、あまりに1次産業に対する思い入れがあるため、その1次産業の人々を守るために、大人全員が程度に応じた責任として、そういう食品を拒否せず受け入れていく準備が必要だと言っていらっしゃるように思います。Bochibochiもそう思います。まだ準備ができていない…。
小出先生は、『程度問題』として森さんの努力を切り捨てようとしました。
それは違うと思います。
人間として、危険なものを進んで選ぶ人は少ないし、その程度を減らすために努力をするのは、『人間の本能』だと思います。ですから、その点においては、小出先生の主張はかなり極論すぎると感じています。
1次産業の方々のためにも、政府や東電は、少しでも被曝量を下げるための努力は惜しまないでほしいと考えます。
そこでどうしても、高濃度汚染地域で1次産業をされている方々にしわ寄せが行ってしまい、今までの生活ができないことを目の当たりにさせられてしまいます。
Bochibochiもずっと5000ベクレルの田畑で農作業をされている農家の方の被曝を気にしてきました。(9月7日 農水相:除染実験結果を今月後半に
発表へ・・・【除染をするなら・・・】)そんなところで作業をするなど、本当にあってはいけないことだと思ってきました。
政府の補償が中途半端であり、方針をはっきりと示さないために、農家の方々には、そのすべてを押し付けてしまっています。
だからこそ、やっぱりどこかで必ず線引きをしなければいけません。
できれば、それは今後の日本を考えると、より厳しいところで線引きするしかないと思っています。受け皿として、森さんがおっしゃっていたような代替地を用意できるなら、政府はどんどん進めてほしいですし、そこでの生活がうまくいくようなフォローアップもしていくべきだと思います。
小出先生は、1次産業の方の生活をできるだけ変えたくないとおっしゃっています。
そこに矛盾を感じます。
私たちも生活を変えるし、ある程度の汚染食品は受け入れる。
高濃度汚染地域の方々には、本当に申し訳ないけれども、その土地を離れていただいて、
「国の用意した代替地で続けるのか、農業をやめるか」
その選択をしてもらい、どちらを選んだとしても、そのためのバックアップを国としてやっていく。
国民はその費用のために納税する。
そういう形をイメージしています。
被曝の危険性や、測られる数値そのものの信ぴょう性、大人としての責任や、貧富の差。
全てが複合的に絡み合って、Bochibochiもまだ頭が整理できていません。状況が変わったり、いろんな方の意見を聞いて、また私自身の意見も変わっていくかもしれません。
第一優先の子供たちを守るため、食品の検査は必須事項です。
一刻もはやく実現させ、子供たちを守ると同時に、私たちがどう受け入れていくか、問われています。
失礼します。
(以上、転載終わり)