分析者の目と当事者の目

中野@貴州でございます。「モグラタタキ中野」が「たたかれ」ましたね。

ブルマンさんのような分析者の目からは、価値なるものは「幽霊のようなもの」で、そんな「幽霊のようなもの」の定義に時間を費やすのは確かに無駄でしょう。でも、商品世界の当事者にとっては、価値は「実在する」のではないでしょうか。それは、『裸の王様』の王国の臣民にとって例の「着物」が実在するのと同様です。

宇野派(私もその一人だと勝手に自称しています)がその無駄を繰り返しているのは、「当事者にとっては商品に価値が内在しているかのように見える」というこの魔法がいかに発生し、またなぜ当事者の心を支配しているのかを分析するためだと思います。

日常的な会話を見てみましょう。

「オレはこいつを150万で買ったんだ。本来250万の価値がある代物だぞ。かなり得したよ」―こんな会話は、分析者(あるいは刻々変動する相場を相手にするデイトレーダー)にとっては意味のないタワゴトでしょうが、でも、日常的には充分通用する会話じゃないでしょうか。

分析者の科学的な目とは別に、商品世界の当事者の目にとっては「価値は実在する」という事実は否定できるのでしょうか。