8月29日投開票に固まろうとしている民主党代表選に、これまで「白紙」を貫いてきた前原誠司元代表・前外相が出馬する方向となった。岡田克也幹事長や仙谷由人代表代行らが擁立してきた野田佳彦財務相こそ代表選の「本命」と見られてきたが、共同通信が8月20―21日に実施した全国世論調査では前原氏を「次の民主党代表にふさわしい人物」とした有権者は28・0%と抜きん出ており、岡田、仙谷両氏が自民党側の肯定的評価を基に本命候補に担ぎ上げようとしてきた野田氏の4・8%を7倍近く、はるかに引き離した。
しかも前原氏への評価は前回調査(7月23、24日)の21・2%よりも飛躍的に伸びており、野田氏の前回2・9%→今回4・8%に比べて勢いが圧倒的だ。前原氏がこれまで出馬に消極的だったのは、旧知の在日外国人からの計25万円の政治献金受け取りが発覚、その責任を取って外相を辞任したばかりであることがブレーキになった。仮に民主党代表に選ばれ首相に選出されても野党側の攻撃材料にされ国会運営が行き詰まると懸念したからだ。
この懸念が消えたわけではないが、世論調査での前原ダントツ人気は無視し難い要因となった。民主党政権は、最も遅くとも2年後の衆院議員任期満了(2013年8月)までには衆院選を実施しなければならない。同じ時期には参院選を行う時期に相当し、民主党の主流には2013年夏の衆参ダブル選挙を当然視する空気が支配的だ。
そのためにも今回の民主党代表選で集票力の高い前原氏を代表に選び、2年後の衆院選(あるいは衆参ダブル選)での「負け」を最小限度に止めたい、というのが今回の前原出馬推進論の動機である。
▽練馬で勝った素人候補
もちろん民主党所属国会議員だけによる代表選挙は、共同通信世論調査の有権者一般を対象にした民意の動向とは、ずれているだろう。しかし、2年前の2009年夏の衆院選で民主党が圧勝し初めて選挙勝利による政権交代を実現した大きな要因は、全国300の小選挙区で多くの民主党新人候補が自民党候補に競り勝ったことである。
たとえば、東京都練馬区のある小選挙区では、元大物外交官であり首相秘書官を務めた人物の子息が興銀のエリートの地位を擲って出馬し、自民党若手候補に圧勝した。相手の自民党候補は2005年の小泉元首相による郵政民営化選挙でベテラン民主党候補に勝ち、当選後はテレビ出演も精力的にこなすなど圧倒的に優勢と見られていた。
このため子息の出馬に仰天した元外交官は、到底、子息が勝てるとは夢にも思わなかった。しかも子息と何の関係もない「練馬区」を戦いの場として「冷酷に」あてがったのが、既にスキャンダル続きで悪の代表のように見なされていた小沢一郎代表代行だったから、元外交官は子息の落選を確信していた。
ところが圧勝。全国の小選挙区で似たような選挙結果が生じた。民主党は圧勝し、政権交代が実現した。
▽振るわない前半の2年
ところが2年前の政権獲得後、民主党は予想をはるかに上回って振るわなかった。初代首相の鳩山由紀夫前首相は、沖縄普天間基地の移転問題で事前の調査や根回しをおろそかにしたまま、移転先を「国外、最低でも県外」と軽々しく打ち出し、来日したオバマ米大統領に「トラスト・ミー」とおもねるような発言をして信頼感を失った。米大統領には普天間基地を「国外や沖縄県外」に移転させる考えは全くなく、鳩山首相の「トラスト・ミー」は自民党政権当時の名護市・辺野古地区への移転を鳩山首相が必ず実現させるから「僕を信用してください」という意味に受け取った。
鳩山氏には母親からの巨額献金が長年続き、そのことを「知らなかった」というおまけまでつき、やはり政治資金スキャンダルの解明を拒み続けた小沢一郎氏とともに、2010年6月2日の抱き合い心中―ダブル辞任で終わった。
▽おっとり刀で消費税
その際に電光石火、後継代表(首相)の党内選挙に名乗りを上げたのが菅直人首相である。ところが、何を思ったのか、それまでの財務相在任中にマスターしたばかりの消費税引き上げを目玉政策に掲げた。消費税については鳩山―小沢コンビが次期衆院選まで事実上凍結すると再三再四公約していたのに、菅直人新首相は実施時期を前倒しし、税率も自民党公約にある「10%」を参考にしたいと公言した。有権者からみれば藪から棒の消費税アップ方針である。
案の定、わずか1か月後の2010年7月参院選で民主党は大敗し、参院での多数派議席を早くも失った。菅首相と当時の枝野幸男幹事長の大失敗であった。ところが野党生活の長かった民主党は、政権交代に成功したにもかかわらず、代表の任期を2年に据え置いていたから、同年9月には早くも代表選挙がめぐってきた。この代表選で菅直人氏は圧勝したものの、国会議員だけに限れば菅206―小沢200の僅差の勝利だった。
▽小沢の報復
以来1年。今度は参院での少数派というねじれ環境下に陥り、ことし2011年3・11の未曽有の大地震・巨大津波・原発大事故に直撃されて「1週間、眠れない日々」を送った。菅首相は「脱小沢色」の人事を政権基盤にしてきたおかげで、大災害後も政権維持を貫いたものの、140人の新人中心のグループを固める小沢氏はことし6月2日、菅首相への報復攻撃に出た。その前夜、71人の民主党議員を集めて翌日の内閣不信任案採決で場合によっては「賛成投票」すると脅かしたのだ。
菅首相は鳩山氏の説得もあって、採決直前の民主党代議士会で「震災対応で一定のメドがつけば若手に責任を譲りたい」との表現で退陣を表明した。一定のメドとは何か。首相自ら明言したのが二次補正、公債発行特例、再生エネルギー買い取り―の3法案の「成立」である。自民党内には成立を遅らせば菅首相が追い詰められて解散・総選挙に踏み切るかも知れないという「判断ミス」が働き、ついに3本目の退陣条件にされた再生エネルギーの成立は延長国会会期末ぎりぎりの8月26日となった。
▽大敗を回避したい
代表選は同27日告示―投開票29日―新代表の首相選出30日、という大詰めの日程も固まった。ここにきて、やはり2年後の選挙まで手をこまねいて地味な首相(野田財務相)を掲げたままでは、2009年の反動で民主党は大敗し、ポット出の新人たちは大半が落選するかもしれない。
いったんは迷っていた前原氏を掲げれば、少なくとも大敗は免れるかもしれない。迷う前原氏を出馬の方向に駆り立てたのは若手の切実な声だった。だが、無罪判決を確信する小沢一郎氏は「2―3位連合」まで視野に入れながら、前原追い落としをはかる。海江田万里、鹿野道彦氏らが2、3位に入れば決選投票で1位の前原に勝てるという理屈だが、かつての大自民党総裁選でいったん敗れた石橋湛山氏を決戦投票で総理に押し上げた奇策が、素人集団の民主党内で通用するのだろうか。(了)
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