激動の臨時国会冒頭解散の一日(9月28日)が明けて。メデイアの報道は、《アベ与党》対《小池新党》対立の構図で充ち満ちている。あたかも、有権者の選択肢はこの二者しかないかのごとくだ。しかし、どちらを選んでも、改憲勢力である。どちらも働く市民の味方ではない。どちらも、平和と民主主義を目指す勢力ではない。
かたや、《アベ与党》は虎である。これまで大企業の利益をもっぱらにして勤労市民に犠牲を強いてきた凶暴な虎。自分勝手なトランプとの同盟関係の堅固を誇る危険な虎。傍若無人に密林に君臨するようになって5年に近く、今や「9条改憲」と吠えている老虎である。
こなた、《小池新党》は狼である。前門の虎から逃れようとする人々を後門で待ち構える若い狼。小池百合子の権力欲に形を与えるとまさしく狼の姿となる。「日本のこころ」の代表を原始メンバーに加えておいて、民進の護憲リベラル派の参加には牙をむいて排除しようという、その心根が既に狼である。有権者は、火を避けて水に陥る愚を犯してはならない。
目前の総選挙の争点はなによりも「憲法」。対抗軸は「改憲か護憲か」である。警戒すべきは明文改憲だけではなく、解釈改憲も、なし崩し壊憲も、である。「虎」も「狼」も改憲勢力であり、平和主義・民主主義・立憲主義・人権原理に背を向けるからこそ危険な存在なのだ。どちらを勝たせても、特定秘密保護法も戦争法も共謀罪もなくなることはない。もしかしたら、改悪される恐れすらある。
選挙の主人公は、政党でも候補者でもない。もちろんメディアでもなく、飽くまでも有権者こそが主人公である。主権者が国政の進路を決定するために、このときに有権者として立ち現れるのだ。主権者が自らを主権者として自覚する機会でもある。
その主権者は、けっして改憲も壊憲も望んではいない。平和と人権と民主主義の確立と堅持とを望んでいる。その主権者の意を体する市民と野党が、護憲勢力として結集し、共闘の条件整備の努力を積み重ねてきた。政党は、その共闘の主体としての市民をけっして裏切ってはならない。
勤労市民にとっては、虎と狼とどちらを選んでも後悔することになる。改憲指向の保守2党しか選択肢がないとすれば、大政翼賛状況に等しい。10月10日の公示までには全選挙区に主権者の選択肢として、虎でも狼でもない護憲の鳩が羽ばたくことになるだろう。
いま、目の前に繰り広げられた突然の事態に、メデイアも有権者も戸惑いを隠せない。劇場型の政治の流れに翻弄されてメディアの誤導が甚だしいが、これに惑わされてはならない。もう少し落ちつけば、虎と狼の本性が暴かれることになるだろう。まだ時間はある。一時的な暗転に目を眩まされることなく、落ちついて政策や候補者を見極めよう。とりわけ、小池百合子とはこれまで何をし、どんな発言をしてきた人物なのかを見据えよう。
そのうえで、ぜひとも、前門の虎でも後門の狼でもない、護憲の鳩をこそ選択するよう呼びかける。
(2017年9月29日)
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2017.09.29より許可を得て転載
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