トランプ氏は勝利宣言で選挙戦での過激な「暴言」から一転して、全ての米国人の大統領になるといって、自分に反対した人に「わが偉大な国を一つにしよう」と協力を呼び掛け、新政権つくりでは悪口雑言を浴びせてきた共和党エスタブリッシュメントに協力を求めている。政策遂行となれば相手があるので、選挙戦中の発言通りにはいかず、現実的にならざるを得ない面がある。だが、國際秩序の基本にある価値観―人権擁護、自由、平等などの原理を否定するトランプ氏の人種及び民族差別、女性蔑視、排外主義といったイデオロギー(信条)は容易には変らないだろう。そういう人物が率いる政権が民主主義のリーダーである米国に登場することが世界各地の独裁あるいは強権政権、過激なナショナリズムを掲げる右翼勢力を勢いづけるのではないかと懸念される。
「分断煽った責任」
ニューヨーク・タイムズ紙によると、選挙戦中に演説会場などでトランプ支持派がかかわる衝突事件がしばしば発生しているが、トランプ氏の当選後、全米各地でそうしたトラブルが増えているという。同紙はこれをトランプ氏の選挙運動が陰に陽に人種的あるいは民族的な怒りと分断を煽ってきた結果であり、次期大統領となった今は、そうした行動を慎むよう支持者に呼びかける道義的責任があるとして、12-13日付けの社説でトランプ氏にこう要求している。
「直ちにするべきことは支持者が人種差別、女性差別、排外主義、反セム主義を撒き散らし、性的少数者(LGBT)に対して侮蔑や威嚇、攻撃を加えていることを止めさせ、トランプ氏自身がそんな考えは持っていないこと、新政権もそうした言動は容認しないと、トランプ氏の名前で支持者に伝えることだ」
「トランプ勝利」が米国内で既にこうした状況を引き起こしているとすれば、國際的にも遅かれ早かれ、好ましくない影響が広がっていくのではないか。少なくとも、トランプ政権になれば、米外交から「人権外交」の文字が消え、それを喜ぶ人たちが出るだろう。
トランプ氏の勝利は米国の主要メディアの世論調査が予測できなかった。その理由については既に多くの分析が示されている。そこで一致しているのは、グローバリゼーションの光は全く当たらず、日陰に取り残された地方の小都市や農村地帯の低学歴の白人たちの怒りと現体制に対する不信の深さと広がりをクリントン陣営もメディアも読み取れなかったことだ。加えてもう一つ、重要な指摘がある。過去の大統領選で民主党が優位を占めてきたウィスコンシン州で選挙行動の調査研究に当たってきた地元マディソン大学K.クレイマー教授によると、トランプ支持票にはこの怒りと不信に人種差別意識が組み合わさっているという(11日ワシントン・ポスト紙電子版)。
米メディアの出口調査から投票結果を見ると、➀共和党員の90%がトランプ、7%がクリントン、➁民主党員は逆に89%がクリントン、9%がトランプ、➂無党派はクリントン43%、トランプ48%、➃白人は58%がトランプ、37%がクリントン、⑤黒人は88%がクリントン、9%がトランプ、⑥ヒスパニックではクリントン65%、トランプ30%、⑦人口5万人以上の都市住民は60%がクリントン、⑧それ以下の小都市と農村の住民は56%がトランプ―となっている(米メディアの出口調査)。
この傾向は最近の大統領選挙のものとほとんど変わっていない。トランプ候補の過激発言やクリントン候補のメール問題が大きく騒がれても両党の基本的な支持票は拮抗していて、大きくはぶれていない。全米の得票数でもほぼ互角で、選挙人数で敗れたクリントンがわずか、100万票上回っている(17日現在) 。それだけに勝敗は選挙人を多く持つ激戦州のいくつかで、数%の票がどちらに行くかで決まることになる。
トランプ氏は本来民主党の地盤で高い確率でクリントン優位とされた州のうち、グローバリゼーションで地元産業が衰退、ラスト(錆)ベルトと化した中西部ウィスコンシン、オハイオ、ペンシルベニア(イリノイは大接戦でなお集計中)をそっくり奪取したことによって勝利した。ウィスコンシンの例にならえば、これらの州でもトランプ候補の人権無視発言や女性蔑視スキャンダルが票を減らすことはなく、むしろ「本音」を語るものとして支持票固めになったとみられる。
民主・共和の対立軸は「黒人差別」
民主党と共和党の分極状況を分かり易く示しているのが人権問題。民主党は人種差別反対、LGBT(性的少数者)擁護、人工中絶容認など人権擁護、特に少数者・弱者支援。共和党は人工中絶やLGBT擁護には反対。自由競争に固執、個人への国家の干渉や介入に反対。黒人など少数者差別を表立って言えないが、底辺には歴史に根差す人種差別意識が沈殿している。だが共和党は元は1863年に奴隷解放宣言をしたリンカーン大統領の党だった。南部中心の民主党が奴隷解放に反対、南北戦争が起こり、60 万人もの犠牲者を出して南部が敗れた。このあと60 年共和党支配の時代が続くが、実質的に黒人差別はそのまま続いた。
大恐慌で共和党支配が終わり、1933年政権についた民主党のルーズベルト大統領は最も苦しんでいる労働者や黒人、ユダヤ系、カトリック教徒など少数派の支援に力を入れた。これによって少数派は北部のインテリ層や労働組合とともにルーズベルト連合を形成し、長く続く民主党優位の時代を支えた。黒人は初めて政治参加した。
第2次世界大戦で黒人は白人部隊には入れず、独立部隊として数々の戦果をあげ多くの勲章をもらったが、帰国すれば元のスラム生活。公民権運動がベトナム反戦運動と一体化して高揚し、民主党ジョンソン大統領が南部白人の強い反対を抑えて黒人に白人と同じ権利を保障する公民権法を成立させた(1964-5年)。この時ジョンソンは「これで民主党は南部を失うだろうが、正義を実現しなければならない」と語っている。
デモ、都市暴動、ブラックパンサーの武力闘争の中で行われた1968年大統領選挙で「法と秩序」を訴えた共和党ニクソンが南部の民主党を切り崩して当選、ルーズベルト連合の崩壊が始まった。1980年には共和党レーガンが南部民主党の白人票をごっそり奪って圧勝。ジョンソンが予言した通りの事態だった。レーガンを支持した民主党員は「レーガン・デモクラット」と呼ばれた。共和党は南部を手に入れ、ルーズベルト連合は消滅した。南北戦争と公民権運動の敗者の怨念を背負う南部白人を取り込んで民主党から政権を奪取した共和党は、レーガン人気に乗って共和党保守派による長期支配を目指す。
注目されたのは、リベラルなルーズベルト連合の長期支配のもとで主要な新聞、テレビのほとんどがリベラル寄りになっていることに対抗して、共和党がテレビに押されて斜陽化していたラジオ局を支配、ニュース専門テレビのフォックス・ニュースを開局するなど保守派メディアを影響下におさめ、激しいリベラルメディア叩きに乗り出したことだ。
両党のホワイトハウス争奪戦は先鋭化、1992年と1996年民主党クリントン、2000年と2004年共和党ブッシュ、そして2008年民主党オバマが勝って初の黒人大統領が誕生した。
共和党は大きな衝撃を受けるとともに、オバマ再選阻止を最優先の政治目標に掲げた。政策の良し悪しではなく、「黒人大統領」は1期4年で終らせるというのだ。オバマ政権の政策は議会で徹底的な抵抗を受けてほとんどが立ち往生させられた。
オバマ大統領はケニア生れで大統領にはなれないはずだとか、実はイスラム教徒だといった「うわさ」を保守派メディアが執拗に流した。トランプ氏は定期出演のテレビ番組でケニア生まれ説を繰り返して取り上げている。この説は今でも共和党員の半分は信じているという世論調査の数字もある。共和党が黒人差別の党であることがあからさまになった。トランプ氏は突然変異ではなく、共和党が造り出したフランケンシュタインである。
「トランプ・デモクラット」
共和党はオバマ再選を阻止できなかったが、今度の選挙でオバマ後継を任じたクリントン氏の当選を阻むことに成功した。この勝利に大きく貢献したのが激戦州でトランプ支持に回った「怒れる民主党員」の票だったといわれる。その票数は出口調査では掴めないが、彼らを1980年選挙の「レーガン・デモクラット」になぞらえて「トランプ・デモクラット」と呼ぶ人もいる。「レーガン・デモクラット」の移動ほどのスケールではなかったと思われる。だが、どちらが勝つかは米国政治の行方から国際秩序のあり方まで大きな影響をおよぼす選挙だったので、「トランプ・デモクラット」は歴史に記録されるかもしれない。
トランプ候補が敗れたとすると、共和党は予備選挙でのトランプ氏指名阻止を図って無力ぶりをさらけ出した党エスタブリッシュメントとトランプ支持グループに分裂、当分は機能不全状態に陥るだろうとの見方が強かった。一方、オバマ大統領の2期8年はクリントン政権に遺産として引き継がれ、米国の政治、外交に大きな影響を残すことになる。ルーズベルト連合以来の民主党長期支配にもつながるかもしれなかった。
南北戦争から現在まで、米国政治のいくつかの重要な転換は「黒人差別問題」を軸にして起こってきた。植民地時代にさかのぼるこの人種問題はいまだに米国をほぼ真二つに分断している。米国が抱える「業」だ。今度の選挙はトランプ氏が中南米からの「不法移民」問題をことさらに浮かび上がらせる過激発言を繰り返したことによって、この裂け目を顕在化させ、さらに深めさせた。
異常な選挙の異常な結果は、米国の政治はもとより、グローバリゼーションが行き詰まった国際情勢に大きな混乱をもたらすことは間違いない。禍を福に転じさせる方策があるだろうか。 (以上)
初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
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