Occupation? What occupation?
占領?占領ってなに?
ウリ・アヴネリ(松元保昭訳)
2013年6月7日
●出典:haaretz.com
http://http//www.haaretz.com/opinion/occupation-what-occupation.premium-1.528245
http://www.tikkun.org/nextgen/occupation-what-occupation-uri-avnery
この記事は、イスラエルでもっとも信頼されている日刊紙 ハ・アレツに数日前に掲載されたものです。ウリ・アヴネリ
すべての個人は、彼らの望まない行為に対処が必要になる、恥ずかしさ、恐怖、罪の意識、および痛みなどを避けること ができるように、一定の拒絶する心理的機制をもっている。失敗に陥り、現実を受け入れ、またそれに対処する代わりに、彼らは簡単に拒絶の 状態に入り込んでしまう。
しかし拒絶は、拒絶した人から重い代償を引き出す。自己欺瞞に陥る心的な努力は、深刻な心の傷をも引き起こす。事実 を拒絶する人は、心の問題があることを表明していることになる。彼は治療を要する。
46年間、私たちはこの状況にあった。私たちは、最大の中心問題でないとしても、わが国民的な生活状況の最大に重要 な現象のひとつを拒絶している。それは占領である。
私たちは、部屋の中で私たちが存在を拒絶したいという、使い古した巨象の喩を使うことができる。象?象ってなに?こ こ?私たちは、あまりにそれを見たくないから、目をそむけて象の回りを忍び足で歩く。だって、それは存在しないのだから。
私たちは異なる人々を完全に支配している。これは、私たちの国民生活、私たちの政治、私たちの経済、私たちの価値 観、私たちの軍隊、私たちの法体系、私たちの文化、さらにそれ以上、あらゆる領域に影響を及ぼしている。しかし、グリーンラインと知られ ているブラックラインを越えて私たちの家からたった2,3分のドライブを、私たちは見ないし、見ようとしない。
私たちは、普段見ているこの状況にこれほど慣れるようになってしまった。しかし、この占領は、本来、異常なことであ り、一時的な状況である。
諸国家の法の下では、占領とは、ある国家が戦時期間中に他国の領域を征服するとき、ついで平和が達成されるまで占拠 し支配するときに現れると言われている。占領の一時的な状態という根拠から、国際法は、占領する国家に対して幾つかの厳しい制限条件を負 わしている。占領した地域に占領国の民間人を移動することは許されない、そこに入植地を建設することは禁止されている、土地の没収は禁じ られている、などなど。
イスラエルは、「果てしのない占領」という先例のない何かをつくり出してしまった。1967年には、イスラエルに占 領地を返還させるような圧力が何もなかったので、モシェ・ダヤンは、占領を永遠に続けるという輝かしいアイディアを発明した。もしイスラ エルが占領地を併合していたなら、占領した住民に市民権を与えることを強要されていただろう。しかし、占領の状態でこそ、征服された人々 にどんな権利もまったく与えることなしに―人権もなく、市民権もなく、もちろん国民の権利もなく―支配を維持することができた。これこそ 本当のコロンブスの卵である。
すくなくとも私の見方では、私たちは道徳的な国民である。私たちの過剰な道徳性と明らかに非道な現実とのあいだの矛 盾をどう解決したらよいのか?簡単である。拒絶すればよい。
「権力は堕落する」、とイギリスの大政治家アクトン卿が言った。「そして専制的な権力は、確実に堕落する」と。占領 は、存在する最大の絶対的権力だ。それは私たちのあらゆる美徳を堕落させた。占領を維持する軍隊を堕落させ、毎晩民間人を脅迫させられて いる兵士たちを堕落させた。暗闇で法を無視する政府組織、占領法を執行する裁判所、そして毎日、国際法を侵犯している国家全体。
この国にいったい何が起こったのかと自問するなら、私たちは単純に目を見開いて、この象を見なければならない。
「罪を認めそれを断つ人は、寛容を見出す」と、箴言は私たちに教えている。罪を犯したと認め受け入れるだけでは十分 ではない。私たちは、これまでやってきた誤った生き方を放棄しなければならない。私たちの場合、私たちの魂と威厳を救うため、占領地を捨 てなければならない。
しかし、私たちが捨てること ができる前に、最初に、私たちは「何かが間違っている」と認め受け入れなければならない。
(以上、ウリ・アヴネリの翻訳終り)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion4645:131111〕