「無理が通れば、道理が引っ込む」状態が昂じて、「木の葉が沈んで、小石が浮く」世界へ――私は十数年のヤンゴン暮らしのなかで、軍政下で起こる政治社会事象に対し、いつもそういう印象を強く抱いていました。それはそれは不条理や腐敗が度を越していて、まるで左右逆さまの鏡面的異世界に迷い込んだようで、もしかするとおかしいのは自分の方かもしれないと、正常な感覚(コモンセンス、ボンサンス)が自信喪失に陥りかねないほどのものでした。曲がりなりにも民主国家である日本から移住してきた私にとって、法の支配が存在していない社会機構からくる不合理な社会慣行には、結局最後の最後まで慣れることはできませんでした。この異世界感覚は、本社から身分も所得も保障されて派遣され、主と従との関係空間内でのみで現地人と応対する商社マン諸氏にはそれほど深刻ではなかったのかもしれません。もし高度経済成長以前の日本社会を思い出させる庶民世界の朴訥なぬくもりがなければ、私は早々にこの国から退散していたのではないかと思います。
哲学者の表現を借りれば(久野収、鶴見俊輔「現代日本の思想」岩波新書、1956年)、この不条理な既成世界のなかで、長らく国民にとってアウンサン・スーチーおよびNLDは、暗夜に輝く、まっとうな人間的価値の道しるべとなる北極星のような存在でした。あの苛酷な弾圧下にあった2000年前後、私は毎朝自分の経営するレストランに向かう途中、店の近く黒カビで汚れた古いマンション4階のベランダに、10時過ぎになると「NLD支部」という布製のきれいとはいえない垂れ幕が懸けられる様を目にしていましたー合法化されてからは、この支部のある「ミンガラー・タウンニュン区」はNLDの牙城となりました。このことがどれほどの勇気を必要としているのか私には分かり始めていたので、尊敬の念にこうべを垂れるばかりでした。MIという軍情報部やSBという内務省特別警察は、獄以外の平場でもNLD党員に徹底したいやがらせをして、執拗に転向を迫ったのです。近所、親戚づきあいはもとより、まともな就職活動すら不可能にして、多くの党員を生活破綻と社会的孤立へと追いやったのです。
それから20年、そしていまです。圧倒的世論の後押しを受け、既成秩序に挑戦して「法の支配」※の実現を高らかに宣言して2016年に政権に就いたスーチー氏とNLDでしたが、このところの失速振りは目を覆うばかりです。この9月第一週、国内外の民主的世論から文民政権の民主度のリトマス紙と見られていた裁判で、植民地時代制定の国家機密法違反で、ロイター通信所属のミャンマー人記者二人に7年の有罪判決が下ったのです。ロヒンギャの虐殺問題を現地で調査取材をしていた記者たちは、昨年12月、突如ヤンゴンで逮捕され長期拘留されていたのです。この間裁判で検察側証人に立った警察官が爆弾証言をし、この事件は二人を罠にかけ罪に陥れるべく、警察上部からの命令で行われたでっち上げだとしたのです――その後この警察官は服務規律違反で拘留され1年の禁固刑を受けましたが、軍政時代であれば即刻処刑されていたでしょう。家族はただちに官舎を追い出されたそうですが、こういう連座制的な社会的報復のいやらしさこそミャンマー国から国としての品位を奪い取っているのです。
※スーチー政権下で「法の支配指数」は下落し、アジア太平洋地域で最下位のカンボジアに続いて最悪国の汚名を払拭できないのです。世界113カ国中100位、アジア太平洋地域15カ国中14位でした。議会、行政府、警察、軍事、司法などの深刻な腐敗は依然解消されず、むしろ悪化してきているのです―World Justice Project’s 2017-2018 report
判決直後の被告ワローン氏
抗議するジャーナリストや学生ら (写真:イラワジ紙から)
スーチー政府の弱腰も見越して、ロヒンギャの大量虐殺の蛮行が暴かれるのを怖れた国軍は、報道機関への見せしめと脅しのために二人を有罪に追い込んだのです。検事総長は退役軍人であり、司法の独立が存在しないこの国では国軍が裁判を依然容易にコントロールできることを示しました。誰あろう検察側証人である担当警察官が、この事件はでっち上げであると証言しているにもかかわらず、裁判所は鉄面皮にも有罪判決を下したのですから。スーチー政府は、司法の独立(!?)を尊重する建前から、裁判過程に政治介入を行なわない旨を明らかにしていました。国軍との軋轢や対立は避けたい―――スーチー政治の基底的通奏低音的なモチベーションです――というのが本音であり、その言い繕いのレトリックは虚偽に満ちています。巷ではスーチー氏が恩赦を発動して二人の記者を解放するのではないかとの観測もありますが、そう言う観測自体に私はミャンマー民主化運動の弱さを感じます。そこにはスーチー神話にすがって難局を打開できればという、一種受動的な退嬰的な政治意識が見え隠れしているからです。
それにしても昨年9月からのロヒンギャ大量難民化に対し、ほとんど有効な手を打てなかったスーチー政権への西側の反撥―日本は除く―は激しいものがあります。ドイツのある日刊紙は、記者に対する有罪判決をスーチー政権が許したことは、政権の「道徳的破産」を表していると断じました。8月には西側国際社会はミンアウンライン最高司令官らに渡航禁止、海外資産凍結などの個人制裁を復活させ、また国内のフェイク・ニュースやヘイト・スピーチの蔓延に重要な役割を果たしているという非難に押されフェイス・ブック社は、最高司令官のFBを遮断して使用不能にする措置をとりました。ミンアウンライン最高司令官らを「民族浄化」、ジェノサイドの嫌疑で国際刑事裁判所へ訴追せよという国際社会の声は、依然止むことはありません。
ミャンマー国内でもミャンマーの9つのジャーナリスト・ネットワークが共同声明を発表し、死文化していたに等しい植民地時代の国家機密法を適用した今回の判決は、現行憲法の枠からも逸脱するもので、言論の自由、報道の自由を圧殺する極めて反動的なものだと非難しています。各所でジャーナリストや活動家や学生による街頭での抗議行動や釈放請願の署名集めも始まっている。
スーチー政権の立ち振る舞いは、惨めというほかありません。都合が悪くなれば沈黙に逃げ込むことは常套手段となりました。アカウンタビリティ(政治的説明責任)をかざして軍政に語気鋭く迫っていたかつての姿との落差は絶望的に大きく、現実政治の厳しさという言い訳も説得力がありません。本来はスーチー氏の道徳的威信と政治的権威をもって国民を自分の下に引き寄せ、説得と教育によって政治意識を覚醒させて団結させていれば、その力は国軍を強く牽制し、国軍がロヒンギャ迫害のような勝手な振る舞いをすることへのブレーキになったでしょう。ところが事態は逆さまで、いまや民主的世論はスーチー政権にとって邪魔となっているのです。それもこれも、2012年ころ、NLD合法化にあたってスーチー氏の独断で「国民和解」の美名のもとで国軍との無原則な融和路線を取ったことに根本要因があります。この融和路線に対し、国内の民主化勢力がスーチー氏の権威と国軍への惧れから効果的な批判を行なわず、スーチー独裁を容認したことが仇になっているのです。
国軍にとって2008年憲法の枠内に民主化勢力を閉じ込め、その権力と権益をあくまで死守することが、周到に練り上げられた政治戦略だったのです。NLD合法化へと国軍が舵を切ったのも、スーチー氏が西側の制裁を中止させ、軍の権勢を隠すイチジクの葉、民主化のカモフラージュとして役立つと考えたからでした。残念ながら、宮廷政治家的才能はあっても国民運動によって下から鍛え上げられた指導者ではないスーチー氏は、見事に国軍の戦略の罠にはまりました。
2008年憲法からの脱却のための出口戦略をもたないスーチー氏とNLDは、これからますます国軍とのきずなを強める方向に動くでしょう。国民とのきずなこそ自らの政治力の源泉であったであろうに、いまやこれを顧みることなく国軍やクロニー、国際資本との提携に政治家としての活路を見出そうとしているのです。そうであってほしくはないと私も一縷の望みを残していますが、もはや一日も早く別の選択肢を彫琢すべき時に来ているのでしょう。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion7974:180908〕