原子炉過酷事態時に減圧装置=SR弁(主蒸気逃がし安全弁)は,何故,開かなかったのか(NHK『福島第一原発事故7つの謎』より) :5号機も危機一髪だった!! わからないこと山積みです

(最初に4つばかり)

1.南相馬・避難勧奨地域の会

https://sites.google.com/site/minamiswg/

 

(この件については,5/9文京区男女平等センターにおいて午後6時半より集会がありました。会場が満席になり立ち見の人も出るほどの多くの参加者が集まり,福島からの方々をはじめ,遠く広島からも,この集会の応援に駆け付けて下さいました。この集会の報告は来週にさせていただきます:田中一郎)

http://www.foejapan.org/energy/action/150416.html

 

2.原発被害者の救済を求める全国集会 in 東京

http://www.foejapan.org/energy/evt/150527.html

 

2015年5月27日(水)10:20~11:50(開場:10:10)

日比谷コンベンションホール(旧都立日比谷図書館B1F、日比谷公園内)

<デモ・請願行動> 日比谷公園発 12:05~  集合場所:西幸門

 

3.(別添PDFファイル)仏アレバ 最大6000人削減(東京 2015.5.8)

http://www.asyura2.com/15/genpatu42/msg/741.html

 

4.福島近くで大量座礁中死亡したイルカに発見された白肺・血液供給の断絶・放射能被曝に関連(ENENews) ナルト大橋

http://www.asyura2.com/15/genpatu42/msg/733.html

 

(一部抜粋)

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「日本の科学者:「私は以前にこれを見たことがない」 -福島近くで大量座礁中死亡したイルカに発見された白肺 – 組織の死につながる血液供給の断絶 -疾患は放射能被曝に関連付けられている」

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(ここから本文です)

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以前より,講談社現代新書『福島第一原発事故7つの謎』(NHKスペシャル「メルトダウン」取材班)については,その内容に注目し,福島第1原発事故の実態や原因に関して様々な問題があることを,みなさまにお伝えしておりますが,今日は,その中でも注目のSR弁(主蒸気逃がし安全弁)の機能不全についてお伝えします。今回の件についてのNHK著書の説明は,それ自体としては,私が今まで他の方々より聞いていたことと整合的ですので,ほぼその通りだろうと思われますが,しかし,その説明を導いていくこの「章」の記述の中には,私から見て納得し難い経緯・経過,そして結果,あるいは関連事項などが書かれています。以下では,それらを簡単に列記しながら,福島第1原発事故において2号機で起きていたことの,あるいは1,3号機で起きていたことの実態に迫るとともに,残された問題点を明らかにしておきたいと思います。

 

● 講談社現代新書『福島第一原発事故7つの謎』(NHKスペシャル「メルトダウン」取材班)

http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000033203896&Action_id=121&Sza_id=C0

(このメールでは,この本のことを「NHK著書」,あるいは「本書」と表現しております:田中一郎)

 

最初に,本書から少し抜粋して,説明を引用してみましょう。

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(中略)それにしても、なぜ2号機は、これほどまでの危機に陥ったのか。4章でも述べたとおり、2号機は、事故発生から4日目となる3月14日までRCICによる冷却が継続していた。運転中だった3つの原子炉のなかで最も長い時間冷却ができていたのである。電源がない状況では8時間しか稼働が保証されていないRCICが、3日間も持ちこたえたこと自体「奇跡」といってよい。しかし2号機は、1号機や3号機にくらべて時間的な余裕があったにもかかわらず、短時間のうちに、吉田が「死を覚悟する」までに状況が悪化していった。

 

2号機がメルトダウンに至った理由のひとつが4章で取り上げたベント弁の不具合である。そして、2号機を危機に陥れた、もうひとつの重大な要因が、「冷却の要」といわれる緊急時の減圧装置「SR弁」の不具合であった。この異なる2つの弁のトラブルが、吉田をはじめとする東電技術者を絶体絶命の窮地に追い込んでいく。なぜ2号機のSR弁は開かなかったのか。6章では、この謎を解明していく。

 

SR弁(Safety Relief valve)は、主蒸気逃がし安全弁ともいわれる。原子炉の圧力が異常上昇した場合、自動または中央制御室で手動により弁を開き、原子炉の水蒸気をサプレッションチェンバー(圧力抑制室)に逃がす仕組みになっている。原子炉の冷却機能が失われると、急速に炉内の圧力が上昇し、短時間で危険な状態になるので、SR弁はそれを防ぐために、原子炉の圧力を格納容器に逃がす重要な役割を担う。SR弁は、今回の事故時には原子炉を減圧できる唯一の装置であり、これが正常に機能することが原子炉を冷却する大前提であった。ところが、2号機では、この唯一の「減圧手段」であるSR弁が作動しないという、異常事態が起きたのである。取材班はSR弁のオペレーションが難航を極めた理由を探るべく、SR弁の開放に携わった東京電力の技術者たちから聞き取り調査を進めた。

 

(中略)3月14日午後1時25分、RCICが停止して以降、2号機の原子炉圧力は急激に上昇し、その後70気圧を超える状況が続いていた。消防車のポンプは9気圧程度しかないから、これではとても原子炉には水は入らない。原子炉の圧力を下げて消防注水を行わなければ、メルトダウンは時間の問題だ。

 

(中略)原子炉の圧力を一気に下げるにはSR弁の開放しかない。困難なオペレーションではあったが、ぶっつけ本番というわけではなかった。先にメルトダウンした3号機では、SR弁を開けるためのバッテリー不足に悩まされたが、最終的にSR弁の開放に成功している。2号機にはSR弁が8つ取り付けられており、どれか一つでも開けることができれば、消防車で注水できる9気圧まで炉圧を下げることができる。バッテリーの不足によって減圧操作に6時間半かかった3号機のようにならないように、準備は入念に行われた。2号機のRCICが停止する前には、SR弁を動かすために必要な12ボルトのバッテリーを10個確保し、中央制御室でそれを直列につなぎSR弁開放の準備をしていた。(以下,省略)

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(田中一郎コメント)

ここまでで,2つ,3つ,私の疑問を書きとめておきたい。

 

(1)上記は2号機の話だが,1,3号機にももちろんSR弁はある。まず,その1,3号機のSR弁はどうだったのか。3号機については,バッテリーの確保や準備に手間取ったが,最終的にはSR弁の開放に成功したようだ。であれば,まず,困難を極めた2号機と3号機のどこがどう違ったかが丁寧に説明されなければいけない。しかし,この新書にその記述はない。

 

そしてきわめつけは1号機だが,以前にも申し上げたように,1号機のSR弁は作動した形跡が全くない。作動すれば「ゴー」という大きな音がするのだが(2,3号機では大きな音がしていたことを多くの作業員が聞いたと証言しているし,同じ型の原発で被災した女川や東海第二などでも,大きな音がしていたという),そんな音を聞いた作業員はいないという。しかし,このことを指摘した国会事故調以外の,このNHK著書も,そして政府事故調も,1号機のSR弁は動いていたかのように説明をしている。全くおかしな話である。そして,1号機については,SR弁が閉まったままで圧力容器が密閉状態であるにもかかわらず,圧力容器内の圧力が2,3号機のようには上昇していないらしい。これはとりもなおさず,圧力容器につながる配管(非常用復水器(IC)系配管や再循環器p系配管)が破損し,そこから圧力容器内の放射能を含む水蒸気が漏れていた=圧力が漏れていたということではないか? だからこそ,非常用復水器(IC)が作業員によって人為的に止められてしまったのではないのか? あるいは「過渡現象記録」に残された記録に異常な数値が残っているのではないか? この最重要の問題の実態解明に,何故,国会事故調以外の調査組織は取組もうとしないのか?

 

(2)3月14日午後1時25分、RCICが停止するまでに,何故,高圧注水系(HPCI)の注水ができるよう対策をしなかったのか。3号機では,原子炉隔離時冷却系(RCIC)が止まってからは高圧注水系(HPCI)に切り替えがなされている。何故,2号機ではこれができなかったのか? 単純に高圧注水系(HPCI)の初期稼働開始の際に必要となる電源がないという,ただそれだけのことなのか。全電源喪失(SBO)となっても3号機は高圧注水系(HPCI)を稼働できていたではないか?

 

(3)関連して,2号機では,何故,原子炉隔離時冷却系(RCIC)がかくも長く,数日間にわたり稼働し続けたのか? このNHK著書にも書かれている通り,原子炉隔離時冷却系(RCIC)の想定される稼働時間は8時間程度である。それが何故,数日間も継続稼働できたのか。更に,3号機では,原子炉隔離時冷却系(RCIC)は,1日程度しか継続できていない。これを2号機のように,何故,長期間持続させたうえで,高圧注水系(HPCI)に継承していくことをしなかったのか?

 

 

更に引用を続けます。驚愕の事実=福島第1原発5号機も実は間一髪だった。

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(中略)津波が福島第一原発を襲ったとき、原子炉の運転が休止していた5、6号機は事故とは無縁だったと思われるかもしれない。しかし、取材を積み重ねていくうちに、5、6号機でも、運転中だった1号機から3号機と同様にメルトダウンの危機と向き合い、過酷な事故収束作業が行われていたことがわかってきた。特に5号機では定期検査の最終段階で、原子炉の圧力の耐性を確認する検査が行われていた。つまり原子炉の中には熱を持った核燃料が548本もある状態で、津波に襲われていたのだ。

 

津波後、暗闇となった中央制御室。運転員たちは3月11日の深夜から現場確認を行う。80気圧という高い圧力の状態となっていた原子炉に水を注ぐための高圧系の冷却装置を活かせるか、探るためだ。しかし、2号機と3号機の原子炉を一定期間冷やすことができたRCICやHPCIは悪いことに定期検査中だったため使えない。さらに5号機では原子炉や格納容器から熱を逃がすためのRHRと呼ばれる残留熱除去系も、津波によって電源盤が浸水し交流電源が全て失われたため使用できないことがわかった。

 

残る手段は、生き残った低圧系によって原子炉に水を注ぐこと。そのためには、9気圧以下に原子炉の圧力を下げる「減圧」操作が必要だった。それにはSR弁を開くしかない。5号機のオペレーションにあたった運転員は、次のように証言している。「原子炉の圧力や熱はどんどん高まっていきました。通常であれば、減圧装置であるSR弁を開けばいい。しかし、SR弁は定期検査の圧力試験のため、弁を開けるための窒素を供給するラインにあるバルブが「ロック」されていた状況でした。つまり津波当時、原子炉の圧力を逃がす手段は全くなかったのです。」

 

(中略)専門的な話をかみくだいて説明しよう。核燃料の熱によって原子炉内が高温高圧になったときに使うのが「逃がし弁」機能である。この機能を使う場合、開閉に関しては人間の操作が可能だ。すなわち、注水ができるところまで圧力を下げ、ある程度水位が回復すれば、また人間の判断でスイッチを操作し、再び閉じることができる。SR弁の「逃がし弁」機能を使うことさえできれば注水できるので、原子炉が破壊されることはない。つまり、原子炉に水を注ぐために圧力を自在にコントロールする機能、これがSR弁の持つ「逃がし弁」機能だ。

 

しかし、前述したように、SR弁には、中央制御室から人の意思で動かせる「逃がし弁」機能と異なるもう一つの顔がある。一定の圧力になると、自律的に働く「安全弁」機能である。5号機のSR弁は、原子炉が75気圧程度になると、原子炉につながる配管から流れ出る高温高圧の水蒸気がバネを自然に押し上げてSR弁を開くように設計されていた。弁が開けば、高温高圧の水蒸気はサプレッションチェンバーに流れるから、原子炉の圧力は下がり、高圧破損は免れる。一方で、原子炉の気圧が一定以下になれば、SR弁が閉じるようになっている。5号機の場合、炉圧が70気圧以下になれば、バネを押し上げることができなくなり、自然にSR弁は閉じる。原子炉内部の水蒸気の圧力を利用して自律的に原子炉の安全性を保つ。これがSR弁の「安全弁」機能である。

 

付け加えて、重要な説明をしておかなくてはならない。「逃がし弁」機能にせよ「安全弁」機能にせよ、原子炉の圧力、すなわち蒸気を原子炉の外に出すということは、水を原子炉の外に出すことを意味する。いずれの機能にせよSR弁が開けば、水位は下がっていくのだ。水を注がない限り。人為の力と白然の力を組み合わせた見事な仕組みだが、「安全弁」機能は、物理法則まかせで、人の力では制御できない。これが厄介な事態を招いた。(以下,省略)

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(田中一郎コメント)

5号機の危機は,この後,現場作業員の方々が放射線量の高い格納容器内に入り(格納容器内部はメルトダウンしていなくても,もともと線量が高い),SR弁を開けるための窒素供給ラインにある「ロック」されていたバルブを壊し,アキュムレーターと呼ばれる装置からチッソガスを供給して,かつ起動用電気は生き残っていた6号機の非常用ディーゼル発電機の電源を使ってSR弁の開放に成功している。これで低圧系による炉心注水が可能となり,5号機は冷温停止に持ち込むことができた。詳細は省略するが(本書参照),まさに間一髪だったようである。

 

私が申し上げたいのは,5号機のSR弁開放の苦労話ではない。申し上げたいのは,この5号機を東日本大震災が襲ったまさにその時,5号機では定期検査がなされており,その間にSR弁の圧力試験をしていて,原子炉の中には熱を持った核燃料が548本もある状態だったという点である。この試験中に地震や津波等によって被害を受けて全電源が停止すると(SBO),「RCICやHPCIは悪いことに定期検査中だったため使えない」「原子炉や格納容器から熱を逃がすためのRHRと呼ばれる残留熱除去系も、津波によって電源盤が浸水し交流電源が全て失われたため使用できない」「低圧系によって原子炉に水を注ぐためにSR弁を開かなければいけないが,SR弁は定期検査の圧力試験のため、弁を開けるための窒素を供給するラインにあるバルブが「ロック」されていた状況でした。つまり津波当時、原子炉の圧力を逃がす手段は全くなかったのです」というような状態で,お手上げ状態であったということだ。

 

つまり,こんなことで,こんな危機対策無防備の状態下で,定期点検中に原子炉内に危険な核燃料を入れたままSR弁の圧力試験などをしていいのかということ,言い換えれば,圧力試験をするのなら,その試験中に地震や津波が襲ってきても,十分に安全が確保できるよう,緊急時炉心冷却装置(ECSC)が動くようにしておくなり,SR弁も機能するようにしておくなり,それなりの安全対策をしておくべきではないのか,という点である。このことについては,NHK著書は何も言及していないが,日本全国にある他の沸騰水型原子炉でも,この福島第1原発5号機と同じような定期検査の仕方をしているであろうから,この5号機の危機一髪は,今のやり方を続ける限り,再び起きることだと言えるだろう。すなわち,この5号機の教訓を活かして,定期検査の仕方も抜本的に改める必要があるということを示していると言える。

 

 

更に引用を続けます。2号機危機の真相=今回のメールの中心部分です。

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(中略)SR弁は開けることができるはずだ。誰もがそう考えていた。(中略)しかし、(全部で8つある)どのSR弁も開かない。(中略)「なんで開かないんだ!?」

 

福良(作業員リーダーの方のお名前:田中一郎)が恐れていたのは2号機の原子炉に全く水が入らずに、格納容器の圧力が高まり、ベントもできない事態だった。2号機はRCIC停止後、建屋内部でずっとベントの準備が続けられていた。しかし、まだベントは実施できていなかった。

 

(中略)福良、そして吉田(当時の福島第1原発所長:田中一郎)が恐れたのは、2号機のSR弁が開かず、全く水が注げないままメルトダウン、そして格納容器破壊のシナリオになってしまった場合、1号機と3号機に水が注げなくなってしまい、さらに使用済燃料プールへの対策が滞ってしまうことだった。まさに福島第一原発の最悪のシナリオだ。そしてそこから放出された放射性物質の影響で南におよそ10キロの所にある福島第二原発もオペレーション不能になれば、それこそ東日本全体が放射能に覆われてしまう。そうした事態を想像した吉田以下、免震棟の幹部たちは、それこそ祈るような気持ちでSR弁が開くのを待った。

 

(中略)なぜSR弁は開かなかったのか。取材班は、福島第一原発2号機のSR弁の開発に深く関わった原発メーカーOBらへの取材を重ねた結果、格納容器の圧力が上昇した場合に発生する「背圧」がSR弁の作動に影響を与えた可能性があるという情報を入手した。背圧とは、格納容器内の圧力が上昇した場合に発生する、SR弁を上から押さえつける力だ。この背圧に打ち勝つためには、平常時のSR弁の開閉に必要な窒素の圧力では足りない可能性がある。

 

前述したようにSR弁を開けるための窒素は、格納容器内にあるアキュムレーターと呼ばれる窒素タンクから供給される。(中略)しかし、全電源喪失になると、放射性物質の漏えいを防ぐために,このラインについている弁が自動的に閉まり、外部からアキュムレーターに窒素を供給できるラインは使えなくなる。ただ、アキュムレーター自体に一定量の窒素が蓄えられているので、格納容器の外部から窒素の供給が断たれても、何回かはSR弁を開けるだけの窒素を供給できる。緊急事態に備えた用意周到なバックアップともいえるシステムだが、窒素の内圧が低くなるという欠点がある。それでも平常時であれば、SR弁を開くのに十分な圧力が確保できるはずだった。

 

しかし、2号機では通常のオペレーションではSR弁は開かなかった。その原因の一つとして疑われたのが、格納容器の圧力上昇によって生じる「背圧」だった。では、格納容器がどれほどの圧力になれば、背圧でSR弁が開かなくなるのか。原発で使われている弁の構造に詳しい東京海洋大学教授の刑部真弘は言う。「2号機のSR弁は、アキュムレーターの内圧が格納容器の圧力に対して4気圧以上、上回っていなければSR弁は開かなくなる設計になっています。しかもメルトダウンが進めば、原子炉から出る膨大な熱によって、その外側にある格納容器の圧力はさらに上昇し、SR弁にかかる背圧も高まる。原子炉が危機的な状況になればなるほど格納容器の圧力は高まり、安全装置であるSR弁が開きにくくなります。

 

原子炉を減圧できる「唯一」の手段であるSR弁が、非常時には機能しなくなる。恐るべき実態であった。

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(田中一郎コメント)

ここが今回の問題の中心部分である。SR弁が原子炉の過酷事態時に「背景圧力(背圧)」のために正常に機能しないことが明らかとなった。これは明らかな原子炉の重要装置の設計欠陥である。これと同じようなことが,既に申し上げている通り,原子炉内の水位を計測する水圧計でも起きていて,過酷事故時には圧力容器内の正しい水位がわからなくなることが明らかとなっている。しかし,この2つの欠陥設計・欠陥装置は,今もなお原子力規制委員会・規制庁に問題視されることなく,これから再稼働されようとしている加圧水型の原発でも,そのまま使用されることになっているのだから驚きである。冗談ではない,という話ではないか。

 

また,上記文章中にある「SR弁を開けるための窒素は、格納容器内にあるアキュムレーターと呼ばれる窒素タンクから供給される。(中略)しかし、全電源喪失になると、放射性物質の漏えいを防ぐために,このラインについている弁が自動的に閉まり、外部からアキュムレーターに窒素を供給できるラインは使えなくなる。」という,この仕組み自体も,全電源喪失(SBO)という深刻な時に,炉心の冷却や減圧ができなくなってしまう事態に陥る大きな要因の一つであり,欠陥設計そのものと言えるのではないか。フェール・セーフだとか,フール・プルーフなどと言われてきた,安全を自動的に担保する仕組みが,実は逆に事態をより深刻化させる方向に働く可能性を持っているということであるわけで,福島第1原発事故でこうした経験を経たからこそ,今一度,原発に係るすべてのフェール・セーフやフール・プルーフの自動調整機能を一から見直して見る必要がありそうである。

 

更に,上記の引用の中にある「原発銀座」での原発過酷事故の「ドミノ倒し」の話=つまり,複数の原発が近隣に立ち並ぶ福島や柏崎刈羽や福井県若狭湾などの原発乱立地帯では,1つの原発の格納容器が破壊されるような過酷事故状態となった場合には周辺環境に大量の放射能が放出され,それ以外の多数の原発は,たとえ過酷事態に至っていなくても,その放射能のために人間が近づくことができなくなり,やがて,周辺の原発全てがコントロール不能となって全滅する事態に陥ってしまうということ,について,信じがたいことだけれど,何の問題にもなっていない。特に高浜3,4号機の再稼働認可手続きの中では,若狭湾に14基もの原発・核燃料施設が立ち並んでいるのだから,最重要問題の1つとされなければならないのだが,原子力規制委員会・規制庁は,全く問題にもせず,再稼働に向けて猪突猛進しているのである。愚か極まると言わざるを得ない。福島第1原発事故の教訓が顧みられていない典型的な事例である。(もちろん原子力規制委員会・規制庁は見直しなどしておりませんし,しようともしておりません)

 

 

最後の部分です。そしてどうなったのか,謎は解明されていない。

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(中略)通常では1気圧程度しかない格納容器圧力は、14日午後11時1分、6気圧を超えていた。逃がし弁機能用のアキュムレーター(内圧が4.81~7.55気圧)では、この格納容器からの「背圧」に打ち勝つことはできない。復旧班は、逃がし弁機能用のアキュムレーターを使ってSR弁を開こうとするが、8つの弁はどれも開かない。14日から15日に日付が変わり、追い詰められた復旧班は、内圧の高い(8.34~10.3気圧)ADS機能用のアキュムレーターを使ったという。「免震棟からはADSを優先して使えという指示もなかった。ADS機能用のアキュムレーターを使ったのは、いわば「ダメもと」でした」

 

2号機の原子炉圧力は、14日午後11時25分には31気圧まで上がったが、このオペレーションが功を奏したのか、日付が変わった15日午前1時すぎからは、再び6気圧程度を推移するようになっていた。最後の最後で、現場は技術者の勘ともいえる手段で、SR弁を開けることに成功したのだ。

 

9気圧前後の消防車のポンプ圧で、十分水が入るはずの圧力だった。復旧班は、2台の消防車の燃料を数時間おきに補給しながら、2号機への注水を続けていた。しかし、その一方でベント作業は試行錯誤したものの、成功する兆しは見えなかった。午前6時10分。福島第一原発の1、2号機の中央制御室は、ドーンという異音とともに下から突き上げられるような異様な衝撃に襲われた。

 

(中略)サプレッションチェンバーの圧力計がゼロを示していた。発電班から2号機の圧力計がゼロを示したという報告を受けた吉田は、2号機の格納容器で何らかの爆発が起き、圧力計がゼロを示したものと判断した。格納容器が爆発して破損したとすれば、大量の放射性物質の漏えいは避けられない。東京電力の作業員の全面退避を迫られる最悪のシナリオが現実になったかのように思われた。しかし、2号機の格納容器の破損は部分的なものとなり、放射性物質の漏えいは限定的なものにとどまった。

 

SR弁の開放に成功して、消防注水が断続的ではあっても行われたことが功を奏し、最後の一線で踏みとどまったかのようにも思えるが、現時点では、SR弁の開放が事態の進展にどう影響したかは謎のままだ。

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(田中一郎コメント)

まず私が驚いたのは,2号機のSR弁が現場作業員の努力で開けられ,15日の午前1時には圧力容器の圧力が6気圧まで低下していたということだ。これは初耳であり,また,これまでの2号機に関する報道では伝えられていない話である。ほんとうなのか? ここまで圧力容器の圧力が下がれば,低圧系の注水でも,圧力容器内に水を入れることができる。しかし,私はSR弁が開放されたことよりも,2号機炉心がこの頃には溶融していて,その熱で圧力容器を突き破って格納容器の底に落下したのではないかとも思う。もしそうなら,圧力容器に穴が開いたのだから,作業員の努力によるSR弁の開放がなくても圧力容器内圧力は大きく低下するだろうから,低圧系注水も可能になるだろう。

 

それから,その後,2号機については最後まで格納容器ベントができず,3月15日の朝6時過ぎ,4号機建屋が水素爆発して直後に,2号機でもサプレッションチェンバー付近で大きな音がして,サプレッションチェンバー圧力がゼロになったという。サプレッションチェンバーか,あるいは格納容器に穴が開いた,ということを示唆しているのだろうけれど,これが本当かどうかは分からない。何故なら,未だに2号機のサプレッションチェンバーや格納容器のどこに穴があいているのかさえ,わからないままであるからだ。私はそんなバカな話はあり得ないと思っている。何故,2号機のサプレッションチェンバーや格納容器の破損状況を外側から調査しないのか?

 

結局,2号機の危機は,炉心メルトダウンや圧力容器,格納容器の破損状況を含めて,全く謎のベールに包まれたままであり,また,原子力規制委員会・規制庁や政府,東京電力も,その謎のベールをかぶせたままにしておこうとしているように見える。2号機が,格納容器破壊にまで至ったと言われているのに,福島第1原発全体が深刻な状態に至っていないことも含め,何故,福島第1原発が,あの程度の事故の進展で留まったのかは分からないままである。わからないままにしておけば,今後の原発の安全管理には役に立てることはできないし,再稼働すれば,同じ事態が起きたり,福島第1原発事故以上に深刻な事態に陥ることは十分にあり得るだろう。このまま,2号機の調査を放棄して,無為無策のまま,都合の悪いものは見ないようにしながら,原発再稼働に走ることは許されない。

 

それから最後に,もう一つだけ,私の疑問点を書いておく。それは1,2,3号機に共通しているが,いずれも炉心がメルトダウンしてしまっているが,それぞれ3月12日,14日,15日の爆発以降は,どういう事故対応がなされ,それはどういう効果なり,欠陥なり,危険性があったのだろうか? 1,3号機は,爆発があったとは言っても,それは格納容器ではなく原子炉建屋が破壊されたにすぎない。圧力容器はいずれも穴があいて役に立たなくなり,炉心はメルトダウンして格納容器下部に落下した状態だ。だから,格納容器が健在なら,今度は格納容器内の圧力が上がっていくから,ベントを続けないといけないことになるが,これはどうしていたのだろうか? 核燃料がその熱で格納容器も突き抜けて,穴をあけてしまったのであれば,ベントはもういらない,ということなのか。この辺のところ,つまり,格納容器ベントと溶融炉心による格納容器破壊の関係が不明のままである。

 

また,2号機の場合は,爆発によって破壊されたとされているのはサプレッションチェンバーか格納容器だが,そもそも爆発破損したのかどうかも怪しいところがあるし,格納容器が破損したのなら,そもそももう,ベントは必要なくなっているはずである。その代わりに,大量の放射能が,その穴のあいた部分から四六時中出っぱなし,ということになるのだろうけれど,それについての説明も皆無に近い。

 

つまり,3月15日以降,爆発後の「それからの福島第1原発1,2,3号機」が,どのように推移していき,東京電力や政府はどういう対策をし続けたのかが明らかにされていない。これでは,福島第1原発事故の教訓など,活かせるはずもないではないか。

 

NHK著書は,最後の資料に「提言」と称して「複数の専門家の連携による事故分析を」(注)を書いている。専門家が英知を集めて事故分析を真摯に行えというのはその通りである。しかし,今現在の原子力規制委員会・規制庁や政府の態度では,そのようなことは実現するのだろうか。特に自民党政権になってからは,原子力規制委員会や政府の審議会などは,福島第1原発事故前よりもひどくなって,原発・原子力に厳しい見方をしている科学者・技術者をすべてシャットアウトして,言ってみれば,福島第1原発事故を引き起こした原子力ムラの人間だけで,福島第1原発事故を分析しているのである。しかも,シロウトの私が見ても,それはおかしい,と思うような稚拙で,不合理で,まるで先験的にあらかじめ決めていることを強引に正当化するためだけのような調査や検討を行い,肝心なことを棚上げにしたまま,福島第1原発事故を「終わったもの」にしてしまおうとしているかのようである。NHKが,この提言を本気で主張するのであれば,それを妨げている組織や人間達に対して,厳しい告発の報道をしなければいけないのではないか。さもなくば,この提言は,自分達の立場を飾る,一種の「欺瞞の花」あるいは「エクスキューズ・アクセサリー」にすぎなくなってしまうだろう。

 

(注)この提言には,次のようなくだりがある。

「事故の当初、福島第一原発にあったすべてのモ二タリングポストは停電の影響でデータを転送できなくなり、東京電力は原子炉から西側にある正門付近に仮設のモ二タリングポストを設置して放射線量の観測を続けた。」

 

(ちなみに,原発・核燃料施設は福島第1原発事故後においても,放射能を含めて,そのモニタリング体制は極めて貧弱で,従来通り,過酷事故などの重大事故が起きた場合には,その原発・核燃料施設がどうなっているのかは,放射能の汚染状況も含めて,外部の人間には絶対にわからないように,バカバカしいまでに不作為,屁理屈,治外法権などによって,徹底して隠されている,ということを申し上げておきたい。事実,未だに福島第1原発の取材さえ,自由にはできない,不合理で不自然極まりない「規制下」「管理下」に置かれたままである。私は,この原発・核燃料施設のモニタリング体制への日本全体の=特に脱原発を担う人々の多くの「無関心」「関心の低さ」について,大きな危惧を抱くものである)


t2 長くなって申し訳ありません。今後も福島第1原発事故の実態解明と事故原因の究明に関する情報と,私の考えをお伝えしていきたいと思っております。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion5337:150510〕