10月に入ってからの「ちきゅう座」は、少々不安定である。
前回書いた三つの投稿が掲載されるのに一週間かかっている。
一気に溜まっていた「交流の広場」の原稿が集中して掲載されるので量が質を凌駕して流れてしまうのも早い。
現在は、「ちきゅう座」投稿常連は、狭い範囲に留まっている故に、混乱も大きくはないが、投稿者が、百人、千人に拡大するならこのままでは維持できないでしょうし、本来は、百人、千人単位での参加者でもまだまだ少ないとも言えるはずである事が想像される。
唯一とも言える相互通行性を持った市民運動情報総合版とも言える場所でもある「ちきゅう座」であるのだから皆で盛り上げ、育てていかねばならない。
改良の余地もまだまだありそうである。
序:ウクライナ・ゲート(現代史研究会まであと19日)
第285回現代史研究会(世界資本主義研究会との共催)のご案内
https://chikyuza.net/archives/47983
「ウクライナ・ゲート」:「ネオコン」の情報操作と野望
https://chikyuza.net/archives/47082
全体主義的民主主義について
「ウクライナ・ゲート」:ドイツの苦悩とネオコンの野望
https://chikyuza.net/archives/45941
「まさに、米帝国主義に相乗りしようとしたのである」
「ウクライナ・ゲート」:米国関与の真相
https://chikyuza.net/archives/44259
「筆者が痛感しているのは、日本の専門家と呼ばれる人々が実に「未熟な」分析家でしかないという現実である。インテリジェンスは徹底した調査の上に成り立つのであって、徹底した努力をしていない輩が多すぎるのである。筆者はこれまで、『ロシアの最新国防分析』、『ガスプロムの政治経済学』(いずれもKindle・Readerなしでも購入可)、『プーチン2.0』、『ネオKGB帝国』、『「軍事大国」ロシアの虚実』などを書いてプーチン政権を批判してきた。今回は同じような徹底した調査に基づいて欧米の帝国主義を批判したい。」
「ウクライナ・ゲート」:危機の本質
https://chikyuza.net/archives/43947
エボラ出血熱、かつてない?または、第二のペストか?
その報道を見守りながら、2014年の1年も早い。年の前半で賑わっていた報道ももう遠い過去の様に過ぎ去っていく年後半である。
しかし、普遍的に考えられなくてはならない「ネオコン」やアメリカ、そして、ロシアの現在的動向として見据えなくてはならない動きがこの中にあったのは確かなようです。
よく整理して根本を見据えなくてはならないのは当然だが、
「サロン談義」を脱したい、情報オタクにはなりたくはない。
問題の本質に迫りたい。
それには、どうしたら良いのかを考えなくてはならない。
冒頭に書いた「ちきゅう座」掲載問題と同じく、質を凌駕する量の問題、情報過多の問題がここにもありアカデミックなもの、専業的知識が、大衆的市民的に行きわたるまでに更に、大きな情報の変色としての問題点を孕んでいる事を考えあわせていかなくてはならない。
しかし、まだまだ現在進行形でもあり、流動的でもある。
再び、大衆市民は置き去りにされていく可能性があるのだが、その興味を結び付けている根本とは何かの「原点回帰」問題を少し考えあわせてみたいと以下の考察を開始しているわけなのです。
1.原点回帰~学生と市民・労働者を結びつける現代史研究会討議の拡大。第二第三の廣松渉(敬称略)を育てるにはどうしたら良いのか?
廣松氏は、東大駒場にて、哲学研究会の学生たちと歩調を合わせて、哲学シンポジュームを開催していた。
明大も良いが何とか、古巣に戻る学習会は、出来ないものだろうかと思う。
当時の哲学研究会が、現在どの様に変色しているのかは知らないが、きっと、学生たちも何か漠然としたものではなく、目標や世代を超えた喚起を求めているのではないかといつの時代でもあるのではないかと思っているのだ。
それを、断念しているのは、「悪しき社会」であり、「退廃した社会」「退廃した文化環境」と言わざるをえない。
その「資本主義社会」「超金融資本主義」の害悪と対抗する事こそが、共通の目的であるはずであり、学生にも労働者にもその問題点が、伝えられていない学習会の体系的包括性が持てていない年輪の重ね方にも問題があり、それを、妨害している社会への正攻法革命論としての宣戦布告をしていかねばならない時ではないかと僕は、考えているわけです。
時間がない上に、長文であるなら掲載される時間差もある故、様子を見ながら投稿しなくてはならないが、今後、ちきゅう座だけではなく、ツイッターやフェイスブックをも活用して、広く、学生と労働者を結び付けていく学習会の広がり、日本的知恵熱=民主主義未満状況の打開にから、「真性社会主義論」へ向かう模索を討議の俎上へと今後ともあげていきたいと考えないわけにはいかないのです。
正攻法の範囲でもこれまで、行ってこなかった故の「遅すぎた革命」「喪われた20年問題」をここにも感じている多くの同胞に呼びかける11.8現代史研究会「ウクライナ・ゲート」であって欲しいと期待しているわけなのです。
2.党派から政党政治への働きかけについて
政治的正攻法革命論としての「民主主義未満」状況から「社会主義」への道を今後も継続して投稿していく予定です。
次回へ。
今年は、丸山眞男生誕100年である。
3年後、マルクス生誕200年。
「資本主義」にとって、マルクス論理学とは、『資本論』とは、なんであったのかをもう一度徹底的に語りつくさなくてはならない。
「生きている証としての目標」を共有することから「社会主義的3ヵ年計画」を日本でも開始しなくてはならない様に感じています。
ツイッター情報
https://twitter.com/akiratakeda2001/status/523081621885296640
では、画像版をどうぞ。