原爆被害者慰霊の日に

著者: 松井和子 まついかずこ : 元教員/ちきゅう座会員
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戦後78年の夏、猛暑と台風の中、8月6日広島原爆平和記念式典、8月9日長崎平和祈念式典が行われた。「みなさんにとって平和とは何ですか」と問いかけた広島子ども代表の「平和の誓い」。広島・長崎両市長の平和宣言、被爆者代表の挨拶。被爆者はじめ国内外の参加者から聞かれたのは、ウクライナで続く戦争のなか開かれたG7広島サミットが前提とする「核抑止力」では核兵器のない世界の実現はできない、時間はないのだという強い思いだった。

78年前3歳半だった私の記憶には、戦争の恐さはないものの、そのひとコマが強烈に残っている。

7月9日岐阜空襲があったあの日、東濃地方の私も近所の人たちと避難した。遠くの高い空が花火のように光っていた。光が漏れないよう暗くしてある家の土間には臨月近いお腹の母がうずくまっていた。同じ町内のおじさんが、私を水槽の淵に立たせ背負ってくれた。気になっていた母は父が一緒、山の方へみんなで避難した。

翌月敗戦。9月はじめに弟が生まれた。幼稚園に入り、近所の子たちとままごとや縄跳びなど外で遊ぶことが多くなった。そんな時父は、「進駐軍が来たらすぐ隠れろ」と言った。雨が降ると母は、「濡れたらあかん。き―つけや」と言う。新聞には広島・長崎に落ちた原爆のことが出ていた。障害を抱えて生まれた赤ちゃんの写真も覚えている。8月6日8時15分は家族で西の空に向かって黙とうをすることが習わしだったし、学校の登校日にもなっていた。

 

ふるさとの街やかれ

身よりの骨うめし焼土に

今は白い花咲く

ああ許すまじ原爆を

三度許すまじ原爆を

われらの街に

 

広島・長崎に落とされた原爆。核は世界支配の道具となった。

戦後78年経ったいま、なくなるどころか恐怖は増すばかりだ。「人間がつくったものだから人間によって止めることができる」は、人間の思い上がりに聞こえる。「民主主義国家」と胸を張り世界をリードしてきたG7の国は、世界の他の国々と一緒に核兵器禁止条約に参加できないでいる。

広島の子どもたちが世界に向かって呼びかけた言葉を思いだそう。自分の言葉にしてみよう。他者と平和に暮らすこと、それが実践できてこそ「抑止」という言葉もなくなるだろう。子どもみたいだと言われても、私はそれを望んでいる。

昨年ウクライナで戦争が始まってすぐ、私は居ても立ってもいられない気持で購読していた『週刊金曜日』に投稿した。タイトルは「過ちは繰り返しません」注)。

敗戦によって生まれた日本国憲法は、「武力でもって紛争を解決しない」と明言した。それは、世界の国々、とくに侵略したアジアの国の人たちにとって、日本を信頼する貴重な証しになったはずだ。

加害者である日本国民であっても戦争による被害に苦しみ、痛みを抱え暮らしてきた。  広島・長崎の被爆者たち、沖縄の人たちの戦後はまだ終わっていない。この憲法を守りたい、平和を護りたいと日本の有権者の多くが思ってきたはずだ。

いまアジアで、世界で、日本のその信頼はどうなっているだろうか。

8月6日・9日の原爆慰霊の日は、静かに鋭く78年の歩みを考えさせてくれた。

 

注)2022年4月8日 第1372号『週刊金曜日』言葉の広場

「過ちは繰り返しません」 松井和子

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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