(2011/10/26)
福島第一原発事故を受けて、事故処理費用を含めた原子力発電コストの試算が行われたという報道から紹介します。
(大分合同新聞2011年10年26日朝刊より引用開始)
原発事故の費用初試算
発電コストに上乗せ 損害過小との批判も
国の原子力委員会の「原子力発電・核燃料サイクル技術等検討小委員会」が25日に合意した原発事故のコスト1㌗時当たり0・1~1円は、これまで他の電源と経済性を比較するコスト試算の際に含んでいなかった事故の損害費用を初めて求めたもので、従来計算していたコストに上乗せとなる。
東京電力福島第1原発事故を参考に損害費用を試算したが、現段階では除染費用は一部しか含んでいないなど、損害が過小評価だとの批判もある。
発電コストは通常、発電所の建設費、燃料費、運転維持費などを足した総費用を、出力と稼働時間を掛け合わせた発電総量で割り、1㌗時当たりの単価を求める。第1原発事故をきっかけに、総費用の一部に事故コストを加える必要があるとの意見が強まった。
今回の試算では、第1原発事故の事例から出力120万㌗の原発の事故を想定。事故対応や賠償に必要な費用を約3兆9千億円と見積もり、この原発を40年間、稼働率60~80%で運転した場含の総発電量で割った。
事故の発生頻度は、500年に1回の場合と10万年に1回の割合で試算した。
このコストは、特定の原発の発電コストではなく、日本での一般的な原発の発電コストとして扱われる。
(引用終わり)
この報道は、原子力委員会による次のレポートの内容について報道したものです。
原子力発電所の 事故リスクコスト試算 – 原子力委員会 (クリックすると資料がでます―編集部)
まず第一に、福島第一原発事故の処理費用3兆8878億円という数字の算定が出鱈目です。試算では事故処理費用は大部分が賠償費用になっていますが、関東~東北の広大な範囲に広がる放射性物質汚染地帯の除染を含めた原状回復のための費用や、今後数十年以上にわたって発症が懸念される住民の晩発的な健康被害に対する健康診断や治療費等々、全く考慮されていないようです。原子力資料情報室の試算でも僅か48兆円とされていますが妥当な値かどうか・・・。
現実的にはいくら多額の金を投入しても、環境を原発事故以前の状態に100%戻すことは不可能です。その意味で事故処理費用は、どこまで誠実に被害を補償し、原状復帰作業を行うかという都合によっていくらでも変化する可能性があります。少なくとも東電は放射性物質を広域に放出したことが原因となって起こっている全ての事象にたいする対応、具体的には除染作業、放射線測定に係る全ての費用、健康診断・放射線障害治療にかかる費用等々を民法709条に従って全額支払わなければなりません。
まず行うべきは、この事故によってどれだけの影響が及んでいるのかを徹底的に洗い出すことであり、その復旧作業を如何に行うかという技術的検討であり、妥当あるいは可能な範囲で事故処理を行う場合に対して最終的にその費用を算出することです。現状では、事故処理方法は技術的に全く目処が立っていない状況であり、このような段階で費用を算定することなど不可能です。原子力委員会の試算は費用算定の段階で既に全くお話にもなりません。
次に発生確率の根拠の問題です。IAEAの原発操業時間10万年に一度の過酷事故の発生という確率は、全く机上の空論にすぎず、このような値で試算する意味はありません。
500年に一度という確率は次のように算定されています。まず、日本の原子力発電所が運転を開始して以降の各原子炉(既に廃炉になったものも含む)毎についての稼働時間を合計して総稼動時間を算定します。具体的に総稼働時間は1494年です。これを1494稼動年と表すことにします。
その中で、今回福島第一原子力発電所において3基の原子炉が過酷事故を起こしました。よってその発生確率は
3炉÷1494稼動年≒0.002(炉/稼動年)≒1/500(炉/稼動年)
つまり、500稼動年について1炉が事故を起こすというのです。
註)原子炉過酷事故の発生確率について
今回試算された原子炉過酷事故の発生確率1/500(炉/稼動年)の意味は、日本の原子力発電所の原子炉という母集団の各原子炉の稼働時間の合計500年に1炉が過酷事故を起こすことを意味します。仮に、日本に50炉あり、平均稼働率60%で稼動した場合、1年間の稼働時間は
1×60%(稼動年/炉・年)×50炉=30(稼動年/年)
なので、日本では500稼動年÷30(稼動年/年)≒16.7年に1回の過酷事故が発生することを意味します。これは、過酷事故の平均的な発生確率としてはあまりにも高すぎるように思います。
この確率にはまったく意味が無いと考えます。統計が意味を持つのは、母集団を形成する各要素の個性が例えば正規分布するような場合です。原子力発電所のように個別設計のシステムで、建設年次が異なり、立地条件が異なり、炉形もメーカーも異なり、周辺設備も異なり・・・、炉毎の個性があまりにも異質な原子炉の集団をまとめて一つの母集団とすることには問題が多すぎます。
また、稀にしか起こらない事象について母集団の数をできるだけ多くしてやれば、発生確率は限りなく小さくすることが出来ます。
厳密に考えれば、事故を起こした福島第一原発の3基の原子炉もそれぞれユニークな原子炉ですから、例えば1号機については、1970年に稼動開始し、平均稼働率を60%とすれば、総稼働時間は(2011年-1970年)×60%≒24.6年です。故に、結果論として福島第一原発1号機の過酷事故の発生確率は概ね25年に一度だったと言う外ありません。
原子炉の個性を捨象して形式的に確率論を用いて原子炉一般の平均的な過酷事故の発生確率や、単位電力販売量あたりの事故処理費用の期待値を求めたところで現実には何の意味もありません。また、確率論的な現象把握が私達の日常生活において意味を持つのは、私たちが日常的にかなり頻繁に経験する事柄についてだけです。稀にしか起こらない事象に対する確率論的な現象把握は、生身の人間にとってはほとんど意味がありません。原子炉の過酷事故の発生確率は500年に一度だと言ったところで、一度事故に遭遇すれば、それが全てなのです。
原発の過酷事故に対する十分な対応を行うために原子力発電所を操業しようとする事業者は、原発の過酷事故が発生した場合に、必要な事故処理費用を支払うための資金を準備した上でなければ原子炉を操業してはならないとすべきです。おそらくある程度まともな事故処理を行えば、その資金は1炉当たり100兆円のオーダーかそれ以上になると考えられます。「そんな資金は準備できない、非現実的だ!」というならば、それは原子力発電というあまりにも事故リスクの高い発電システムを商業用発電システムとして採用することそのものが「非現実的」であることを示しているのです。
「『環境問題』を考える」http://www.env01.net/index02.htmより転載。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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