国軍はスーチー国家顧問を追起訴し、無期限の長期拘留によってNLDを孤立化させ反対運動を収束に向かわせようと企図。しかし全土に広がった反軍反クーデタ運動は、単一の司令塔によって指図されるものではなく、SNSを駆使した同時多発的重層的な運動として展開されているため、NLD指導部らの拘束による効果は上がっていない。いな、むしろ火に油を注ぐごと、国軍への怒りと民主主義擁護の運動は拡大し、文字通りゼネラル・ストライキ状態へと収斂していっている。全国民的な運動へと発展しつつある情勢の急速な展開に、NLD幹部や88世代の指導者層すら驚いている。大きな社会変革運動の際にみられる、指導部の運動からの立ち遅れ現象がすでに生じているのである。かつてヤンゴンで筆者に長時間NLDの現状について話してくれた、ヤンゴン市ミンガラタウンニュン区選出のNLD議員ピュピュテイン氏(女性)が、NHKのインタビューに答えていた。今回の運動の爆発的進化は、予想しなかった、と。NLDの次世代のホープとされるこの人はとても正直な人で、歳費がNLD本部に吸い上げられるので、活動費がとても足りないとこぼしていた。彼女の地域事務所は、活動家らしき人々が出入りし活況を呈していた。
やはりいま喫緊の課題は、運動を統括しそれを政治的交渉力へ変えていく指導部の形成である。ミンコーナイン氏もメッセージを送るだけなら煽動と変わらない。長く拒否してきた、自身が指導部の一翼を形成する覚悟が今こそ必要ではなかろうか。国軍に弾圧の的を絞りやすくするという意味で、固定した指導部の形成はたしかにリスクはある。しかし市民革命を成功させるためには、NLDと88世代とZ世代を束ねる中心軸の構築は待ったなしなのである。
2007年に長井さんが凶弾に倒れた通りで、88反乱の英雄ミンコーナインは「革命は勝たなければならない」のメッセージを抗議集会に送る。ある種手ごたえを感じているのであろう。 イラワジ紙
未確認ながら国連筋情報として、地方の部隊がヤンゴンへむけ移動しているという。ヤンゴン近郊のモービーというという町は、かつて首都防衛部隊の駐屯地であった。2007年の「サフラン革命」のときも、いったん部隊はここで終結、隊列を整えてヤンゴンに突入した。今後はモービーの動向は、常時要監視である。国軍は主要都市に装甲車を配置して運動を威嚇し、公務員らの職場放棄を阻止しようと試みているが、住民の反攻によって成功していない。
装甲車の前に仏教僧侶、天安門事件を想い出す(ヤンゴン) ロイター
<瞠目に値する、住民不服従運動の新しい画期的新展開>
スーチー政権のもと、半世紀ぶりの文民統治の担い手だった公務員の怒りは激しい。筆者は1990年代の終わり、畜水産省の研究職の人たちと懇談したときのことを思い出す。「我々は国のために仕事をしたいんです。この10年まともな仕事をしていません。なんとか進んだ国から援助いただければ、あとは我々がなんとか頑張ってやりますから」とすがるように言われ、筆者はわが無力さを恥じ入ったのだ。公務とは名ばかり、半世紀以上にわたって軍人の私利私欲に奉仕させられてきた悔しさ・怒り、まさに怒髪天を衝かんばかりなのである。発展途上にあるミャンマーでは、多少なりと組織だった規律ある動きができる最大の勢力は公務員労働者なのだ。
――アウンサン将軍が創設したミャンマーの軍隊は、国軍といいながら軍部独裁下でネウィンの私兵集団と化していた。それは人民解放軍が、中国共産党の私兵的性格を有していることと根は一つかもしれない。ミャンマー国軍の残忍さも―ロヒンギャ・ジェノサイドをみよ―、国民の軍隊ではないという性格に、つまり東洋的専制に由来するものではなかろうか。詳細は不明であるが、インドから無償提供されたコロナ・ワクチンは国軍に優先的に接種が行われている由、かつては一事が万事こうだったのである。
マハ・バンドゥーラ大橋―都心へ向かう公務員の職場通勤を阻止するための道路封鎖戦術 イラワジ紙
ヤンゴンのティンガンジュン区の住民は、市民的不服従運動に参加している公務員に2月15日に仕事を再開するよう強制しようとして踏み込もうとした警察を阻止した。(Myanmar Now)
エンジニア、教師、医療専門家、税関職員、林業および鉄道労働者、国営銀行のスタッフなど、幅広い公務員の整然たる抗議行動。ヘルメットは弾圧防護のため (Myanmar Now)
伝え聞くところでは、職場を離脱する行為は職を賭けてのものだという。馘首されれば、すぐさま官舎を出なければならず、少なからずの家族がホームレスになっている。今市民たちは職を失った公務員家族の生活支援のために大々的に動いているが、資金も全く足りないそうである。日本からも来ているというが、それは在日ミャンマー人たちが拠出したものであろう。ミャンマーの運動支援のため、日本国民も大々的な支援に早急に乗り出すべきであろう。日本が官民一体で開発したヤンゴン郊外のティラワ工業団地(トヨタ、スズキ、ワコール、味の素など100社)の工場労働者も、罷業してヤンゴン市内の抗議活動に参加しているという。
<ミャンマーの若者世代がつくりだした画期的新戦術>
ネウィン社会主義、88動乱やその後の軍政を生きてきた世代は、残忍で血も涙もない圧制の恐ろしさを知っているだけにどうしてもしり込みするところがあった。彼らにためらいを捨て去るよう促したのは、1990年~2000年にかけて生まれたZジェネレーションだった。国軍式暗黒へのカウンター・カルチャー運動の色彩も帯びた彼らの運動によって大人たちも覚醒させられた。5年間のNLD治政は、こうした若者を生み出したという意味で無駄ではなかったのである。
88年の国軍の残虐行為は、旧ビルマの鎖国状態と通信手段の封鎖によって可能になったものだ。今日若者たちは、警察や軍の残虐行為を余すところなく全世界にリアルタイムで送りつけることができる。これはクーデタ軍に大いなる抑制効果をもたらす。逆に言えば、軍が全面的に通信封鎖に踏み切るときは、武力鎮圧に乗り出すときなのだ。現在は彼我の力比べが行われており、軍は自分たちに分があると見たら一挙に襲いかかるであろう。若者たちに敗北と挫折を味わってほしくない、筆者は切にそう願う。
若い人たちはヤンゴンのダウンタウンで反クーデタ演技を披露する イラワジ紙
ドローンから、北ビルマ・カチン州都ミッチーナ「独裁ノー」が道路に。下の川は、イラワジ川。全国の大都市で同様の道路ペインティングが行われているという。警察官は昼はデモ警備に、夜はペインティング消しに追われて疲労困憊しているという。全国的に警察官のデモ隊への寝返りが報告されている。これが隊単位で生じれば、まさに革命前夜であろう。 イラワジ紙
<イラワジ紙の創設者 アウンゾーが語る>
88世代の代表的な一人であり、ラジカル・リベラル紙「イラワジ」をタイ亡命中に創設し、今日まで健筆をふるってきたアウンゾーの論説2/16「ミャンマーのクーデター:将軍はどのように誤算したか」から、重要と思われる個所をピックアップしてみよう。
アウンゾーによれば、彼の周りにはクーデタの兆候をすでに総選挙前からかぎ取っていた者がいたという。また直近になると、1月29日、ネピドーの軍部最上級幹部は少数民族軍に連絡を取り、国内で前例のない事件が発生した場合、軍は平和を達成するために彼らと協力し続けたいと述べたという。さらに同じく1月29日の段階で、NLDと国軍の交渉が決裂し、クーデタが不可避の状況になっていることをアウンゾーたちは知っていた由。「1月29日、双方が突破口に到達できなかったと聞いて、同僚は私に次のように簡単にメッセージを送信した。『ゲーム・オーバー』」。しかし交渉当事者であるスーチー国家顧問は、国民にいっさいの予告も中間報告もしていない。これが正しい指導の在り方なのか。国民には青天の霹靂、寝耳に水で、2月1日、朝起きてみたら世界が10年前に戻っていたのである。おそらく後々スーチー顧問らNLD政府のこのときの対処の仕方について検証がなされるであろう。
アウンゾーは、クーデタの兆候として今から振り返れば、数週間前にめったに来たことのないロシア国防相と中国外相による二回のネピードウ訪問があったと指摘する。クーデターを起こす前の根回し、事前準備として、国軍は国内外の親しい同盟国と話し合ったに違いないというのである。そしてまったく無策無防備なかたちでスーチー顧問らは一斉拘束される。見方によっては統治者としてはまったく無責任に思われる。平和的に事を進めるということと、無防備でまさかの時の用意がないこととは同じことではない。
しかし国民の反応は早かった。これにはZ世代の貢献が大きい。88世代なら何年もかけてしかできないこと、つまりミャンマー国内外の人々に「創造的な抗議活動、スマートフォン、街頭パフォーマンスなど」を駆使して事態の急を告げ、決起と支援を呼びかけたのだ。
アウンゾーの次の中間総括に筆者はもろ手を挙げて賛同する。
「国軍の最初の過ちは、第一に大衆運動が動員する速度を過小評価したことだった。彼らはジェネレーションZの特別な強みをいささかも考慮していなかった。第二に、国軍は闘いは狭く国軍とNLDの間で行われるだろうと考えていた。 しかしミャンマーの若者は急速に姿を現し、クーデタの張本人たちへの抵抗を引き受けるためにアウンサン・スーチーの影から抜け出たのだ。 これらは日常の人々、つまり我々の隣人なのだ。 彼らは落ち着いて言う、『もし我々が今動かなければ、徐々に我々国軍の奴隷になるだろう』」。(太線筆者)
ロヒンギャ問題などで権力に距離をおくことを忘れ、スーチー顧問賛美をしてナショナリストに転落したかと我々を心配させたアウンゾーであるが、元のリベラルな線に復帰したことを喜びたい。アセアン諸国の右傾化、権威主義国家化に抗して、香港、タイの学生運動に続き、周回遅れながらがぜんトップに躍り出たミャンマー国民運動、我々は傍観者でいるべきではないのである。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion10573:210219〕