1960年12月号の『中央公論』に深沢七郎の小説「風流夢譚(ふうりゅうむたん)」が載った(発売は11月10日)。その衝撃的な内容から、右翼と中央公論社との間に深刻な対立が起こった。言論の自由に関する論争も起こった。世に「風流夢譚」事件という。「シャルリエブド」(仏風刺週刊紙)のムハンマド風刺画と、それに反発したテロが国際的な争点になっている今、半世紀前の「風流夢譚」事件を改めて記録しておきたい。
《「ヒューマニティに反する」と書いた「天声人語」》
作品のどこが衝撃的だったのか。当時の新聞記事の一節を紹介する。(「天声人語」、『朝日新聞』、60年12月1日。■から■まで。省略あり)
■中央公論にのっている深沢七郎氏の小説「風流夢譚」が天皇、皇后、皇太子、美智子妃などの“処刑”を、夢に託して描いているのは、皇室に対する名誉毀損、人権侵害だとして、宮内庁では法律上の検討をしているという▼読んでみるとなるほどひどいものだ。皇太子殿下や美智子妃殿下とハッキリ名前をあげて、マサカリが振り下ろされたとか、首がスッテンコロコロと金属性の音をたててころがったとか、天皇陛下や皇后陛下の“首なし胴体”などと書いている▼過去の歴史上の人物なら、たとえ皇室であっても、それほど問題にはなるまい。が、現にいま生きている実在の人物を、実名のまま、処刑の対象として、首を打ち落とされる描写までするのは、まったく人道に反するというほかない▼中央公論編集部の話によると、これは天皇制否定や革命待望の文学ではなく、残酷を描いて残酷を否定する革命恐怖の文学だという▼問題の中心点は人権である。天皇であろうが皇太子であろうが、有名人であろうが、無名の人であろうが、実在の人物をとらえてこんな風に書くのは、ヒューマニティに反する。■
《右翼の攻撃と嶋中邸の悲劇》
11月中旬から日刊紙、週刊誌、文芸誌の反応が出始めたが、内容への評価はまちまちであった。28日に「帝都日日新聞」(野依秀市)ら右翼の攻撃が始まり、宮内庁からも不快感と法的措置の検討が表明された。右翼集団は、中公本社へ乱入しての掲載陳謝・深沢の国外追放・『中央公論』廃刊などを要求したほか、団体機関誌による弾劾、日比谷公会堂で「赤色革命から国民を守る国民大会」を開催するなどの攻撃活動を展開した。中央公論社は問題の発生を公開せず、嶋中鵬二社長が電通吉田秀雄社長を介して右翼と交渉したが、結局は圧力に屈した。宮内庁に対しては謝罪し反省の意を表した。
交渉の行われていた2月1日夜に、大日本愛国党前党員小森一孝(17歳)が主人不在の嶋中邸を襲撃した。お手伝いさんが殺害され嶋中夫人が重傷を負った。これが嶋中社長への決定的な衝撃となったと考えられている。
《嶋中社長の「恐怖演説」後の沈黙》
憔悴した嶋中社長が2月7日に全社員におこなった訓示の記録が残されている。
■これから話すことは一言一句ききのがさないでほしい!今まで竹森編集長をかばって本当のことを言えなかったが、彼が退社したのできょうは自由に言う。
自分はあのような作品(「風流夢譚」)を載せるような考えの持主ではないッ。バカな評論家があの作品を評価し、皇室に対する名誉毀損か否か裁判にもちこめなどと言っているが、そんなことをしたら裁判中に右翼に攻撃されるだろう。いまは一触即発の危機にあることを、少しの掛値なしに文字通り認識して欲しいッ!万一、たった一人でも言論の自由のタテマエをふりまわして軽挙妄動する者があれば、その者によってこの建物はふっ飛び、殺人がおこなわれ、百三十人が路頭に迷うかもしれない。そういう事態であることを深く認識し、社業に専心してこの危機をのりきってほしい!。■
40分間の大演説が終わったあと、しばらくの間、異様な沈黙が会場を支配したという。中央公論社労組は、会社の非公開妥協の批判し言論の自由のために戦うことをうたう長文の決議案を完成していたが、大会に提案できなかった。このあと中央公論社は、「社告」と「お詫び」を、数回にわたり自社出版物や全国紙に掲載した。
《丸山真男の積極的発言と『思想の科学』廃棄》
政治学者丸山真男は進んでこの問題に発言した。丸山は『毎日新聞』(1961年2月18日)に「右翼テロを増長させるもの」と題して次のように書いた。一部を引用する。
■言論・表現の自由はもちろん節度をもって行使さるべきものである。しかし節度は本来それぞれの個人が内面的良心にしたがって判断する問題でもあることもまた自明の理である。(略)なぜこんな当然のことをいわなければならないのか。当然のことが当然として通用していないからである。そうではないだろうか。問題のテロ事件から今日までの経過を見るがよい。深沢氏は記者会見でみんな私が悪かったと涙を流し中央公論の編集長は遂に退社し、直接ねらわれた嶋中社長は事あらためて、「殺傷事件まで惹き起こし、世間をお騒がせした」ことを新聞広告と「中央公論」の巻頭でわびている(略)こうなると、一体だれがだれを殺傷したのか、どちらがどちらを強迫し、現実に「世間を騒」がせてきたのかわからなくなってくる。(略)こんな奇妙な光景があるだろうか。■
61年秋、中央公論社は新たな困難に直面した。「思想の科学研究会」(会長は哲学者久野収)が編集し、同社が編集事務と販売を担当していた雑誌『思想の科学』の「天皇制特集号」(1962年1月号)を、印刷後に、2冊を残し全冊廃棄処分を行ったのである。会社の要請に対して研究会は真摯な内部討議と会社との話し合いを続けた。廃棄処分容認という「苦渋の決断」は、言論の自由の更なる敗北であった。
《「風流夢譚」事件から何を引き出すべきか》
半世紀前に起きた「風流夢譚」事件は、「シャルリエブド問題」と酷似したテーマを含んでいたように思う。
第一。「風流夢譚」事件は不名誉な遺産を残した。「風流夢譚」は今では容易に読むことができない。「全集」を含めいかなる形でも市販されていないのである。上記『中央公論』を保有する図書館でしか読めないのである。昨今の政府による「言論統制」的言動と、メディアの「自主規制」は、この遺産の生命力を示している。日本政府は、欧米諸国と「言論の自由」擁護を合唱している。「どの面下げてそう言えるのか」。これが少々品のない私の印象である。
第二。「中央公論問題」は、自己完結的な国内問題であった。グローバリゼーション時代のいま「シャルリエブド問題」は、世界的な思想・外交・政治問題である。本年1月11日の、フランスのテロ反対デモの参加者は、370万人に達した。独仏両国首脳からイスラエルとパレスチナの指導者までが並んで行進した。
第三。問題は「言論の自由は無制限か」、「テロリズム反対は無条件か」、「正解はあるのか」である。答えるに容易なテーマではない。フランス世論は「シャルリエブド」紙の風刺画掲載に4割が反対し、ローマ法王は「他者の信仰をもてあそんではならない」と発言した。
管見の限り「風流夢譚」事件と「シャルリエブド問題」を結びつけた言説は極めて少ない。本稿はそれにいくらかの補強を試みたものである。
付記:執筆に際し次の二著を参考にした。
・中村智子著『「風流夢譚」事件以後 編集者の自分史』(田畑書店、1976年)
・京谷秀夫著『一九六一年冬』(晩聲社、1983年)
(2015/01/22)
初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion5142:150128〕