吾れ死なば焼くな埋むな野に晒せ

著者: 石塚正英 いしづかまさひで : 社会思想家
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 平安時代の女流歌人にして「六歌仙」にも「三十六歌仙」にも含まれる小野小町は、生没年も生没地も不詳であるといわれます。けれども、平安前期に東北地方の日本海側に生まれたという節が有力です。同時代の肖像画もないので素顔はわかりません。美人であったか定かではないです。ただ、残された短歌にふれる限りで、彼女は辺境の人であることが偲ばれましょう。『古今集』におさめられている有名な句に次のものがあります。「花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに」これは通常の解釈だと、わが世の春を謳歌した美女も、春に咲く桜の花びらと同じように、時がたてば色あせ老いさらばえる、ちょうどわが身のように、となります。でも、その解釈は彼女が美人であることを前提にしているではありませんか。

 日本海側の一帯を指してまだ「裏日本」と称していた20世紀半ば、頸城野(新潟県上越地方)に生まれた私は、この短歌に裏読みをしています。彼女の辞世の句といわれるもの、およびそれと似たような気持ちで詠んだもの二つを紹介しましょう。辞世の句「あはれなりわが身の果てや浅緑つひには野辺の霞と思へば」「吾れ死なば焼くな埋むな野に晒せ痩せたる犬の腹肥やせ」辞世の句にある「あはれなり」は倒置法で記されています。よほど「あはれ」なのでしょうね。この部分と『古今集』の「わが身世にふるながめせしまに」(これも倒置法)を重ねてみると、「あはれ」は、趣がある、しみじみと感じられる、という解釈でいきたいです。ようするに、自然に即して生きることの感慨を吐露しているのでしょう。そうであればこそ、自分が死んだら、死体を野に晒して野犬の食べ物に供せよ、と詠んだのです。小野小町は、自らの人生を自然生態系の一部にきちんとおいているのです。

 この生活観・人生観は、親鸞が流された地(頸城野)や世阿弥が流された地(佐渡島)の先住民にふさわしいです。とりわけ親鸞の「悪人正機」は、のちに「裏日本」と称されることになる辺境の地で、流刑という裏読みの生きざまに刻まれ培われたのです。

 ところで、「裏」は「奥」に通じます。奥義・奥伝・奥行など、いずれも「あはれ」な佇まいを感じる。「奥」は、現代社会ではかき消されてしまった闇の世界、奥深い神秘、マレ人がやってくる沖のかなたといった割り切れなさ、いや、割り切ってはいけない曖昧ゾーンを暗示しているのです。「裏」も同様です。その「裏」は、近代日本では虐げられるものの冠詞となりました。何故でしょうか。私は、その問題に関して歴史地理的・宗教民俗学的、そして社会思想的な検討をおこなっています。その際、近現代日本ないし国民国家日本における「裏日本」の意味をも考え、21世紀における「裏日本」文化ルネッサンスを提唱したい思いなのです。「奥」や「裏」は、21世紀的衣食住コミュニケーションに不可欠の触媒的ゾーンといえるのです。