周回遅れの読書報告(その17)

最近、5夜にわたって、総放送時間20時間という『銀河鉄道999』のTV放送があった。放送時間中に全部を見ることはとてもできなかったが、全編を録画し、折に触れて見ている。そのなかで、『銀河鉄道999』の原作者である松本零士の宇宙への思いの原点は荒木俊馬が書いた『大宇宙の旅』だったという紹介があった。小さい頃、果てしない空の彼方に憧れるのは私自身にも経験がある。それで『大宇宙の旅』を読みたくなった。隣町の図書館まで借りに行った。検索機で探したら「児童書」のコーナーにあるという。初めて児童書の本棚を見た。しかし、児童書を探した経験がないせいか、一向に見つからない。館員に探してもらう羽目になった。「少年少女科学名著全集」というシリーズの一冊であった。

「あとがき」を読んだら確かに、小学校高学年から中学1年生くらいを対象にしたものだった。その証拠に、出てくる漢字のほとんどにルビが振ってある。しかし内容は私には随分と高度であった。最近の小学生はこんなに高度な科学書を読んでいるのか。そう思っていたら、この本が最初に書かれたのは1950年で、しばらく品切れになった後で、「少年少女科学名著全集」に収められたのが、1964年であった。それは私が「少年」だった頃と重なる。当時から天文学に興味あった少年(あるいは少女)はこの本を読んでいたのかもしれない。私はといえば、田舎の小学校で遊んでばかりいた。周囲に天文好きな同級生がいたのかもしれないが、いたとしてもそういう連中とは付き合いがなかった。

そして仮に、誰かおせっかいな大人が当時この本を私に読めと言って持ってきたとしても、私にはとても読めなかったのではないか。それは、宇宙を科学的な視点から眺めるという基本的資質が私にはないからである。荒木は「あとがき」で、「天文学は精密推理科学のひとつである」としている。「精密推理科学」というのは初めて聞く言葉であるが、そうだとしたら「精密さ」に耐えられる精神が私には欠如しているということである。

中学一年生の少年・星野宙太が光の化身「フォトン」らと宇宙を旅するという形で話は進む(『銀河鉄道999』も少年・星野哲郎がメーテルと宇宙を旅する物語であった)。連星両分星の軌道運動や主星に対する伴星の相対軌道のことなどが紹介されていて、いくつかは読者の「宿題」とされている(連星のことさえ知らなかったし、「宿題」を解こうという意欲は私には全く出てこなかった)。銀河の質量、宇宙に存在する星の概数、などの計算方法もやさしく説かれている。多少でも星空や宇宙のことに興味があれば、そして「精密推理科学」に求められる精神的強靭さがあれば、この本は素晴らしい案内書になるであろう。

そうでなければ、宇宙を知ることのむずかしさを思い知らされることになる。仮に私が「少年」の頃に本書を読んでいたら、私は夜空を見上げる興味さえ失っていたかもしれない。少年・松本零士がこの本をむさぼるように読んだのは、彼に天文学にかかるそれだけの才能・天分があったからであろう。改めて松本零士のすごさを思い知らされた。本書を読んだならば、『銀河鉄道999』を見る目も少し変わるかもしれない。

荒木俊馬『大宇宙の旅』(「少年少女科学名著全集」第2巻:国土社、1964年)

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