周回遅れの読書報告(その18)

ある会合で某出版人と話をしていたら、「伝説の思想家」大池文雄のことになった。大池は旧制水戸高での梅本克己の弟子で、早い時期に日本共産党を批判して党から除名された「思想家」である。彼が思想的活動を止めてもう久しい。

私が大池のことを知ったのは古い話ではない。長い間品切れになっていた小島亮『ハンガリー事件と日本』が再刊されたのは2003年5月のことあった。そして、この本で私は初めて、大池のことを知った。小島が高知聡らの協力のもとに編集した大池の著作集『奴隷の死』はすでに絶版になっていたが、運よくすぐに入手できた。そして「日中は新聞か本を読むか以外にすることがない」という奇妙な環境の中で大池の論文を読むことになった。

小島が巻末の「解説」で詳細に紹介しているように、大池の主張に対しては多くの批判がある。大括りにすることからくる危険を承知の上で敢て総括すれば、大池には「知的アナキズム」の傾向があるということである。実際、大池は次のように言う。

19世紀にはあわれな空想であった無政府主義者の問題提起も、飛躍的な技術と文化の水準のもとでの革命の展望の中へ、発展的に組み込むことを可能にしているのではないだろうか。(「なにをしてはいけないか──人間疎外をもたらす一切の制度の死滅への展望」『批評』第2号)

小島は『ハンガリー事件と日本』でこの発言を次のように理解する(p. 192-3)。

(大池は、)だからマルクスの思想的根幹に設定された階級闘争論は、大胆に修正されねばならず、独占資本下の「プロレタリア」革命のためには、アナキストの主張した「民主主義の全面開花」論を導入せねばならないと述べるのである。

小島によれば、「マルクスは否定的乗り超えを戦略化し、片やアナキストは民主主義の全面開花を目指す方途を模索した」(p. 191)のであるから、この規定に照らせば、大池の発言はアナキストの発言となんら変わらなくなる。そして大池は発達した資本主義の下でのその現実性を語ったことになる。

こうした立場から、大池はレーニンのプロレタリア独裁論を批判し、さらにはアナキストとの論争におけるマルクスの権威主義的性格をも批判する。大池を「アナキスト」だと「レッテルを貼る」のは容易である。しかし、仮に大池が「アナキスト」であったとしても、そのことだけで大池の主張を排除することはできないし、ましてや批判をしたことになどはならない。「レッテル貼り」やマルクスやレーニン(あるいはトロツキー)の名を借りた批判がいかに非生産的であるかを、これまで私はいやというほど思い知らされてきた。

暇だったからだと思うが、『奴隷の死』にはあちこちに付箋紙が貼ってある。その一つ一つにうなずきながら読んだ覚えがある。1950年代に、ハンガリー事件の直後にここまで達していた思想家が日本にいたとはこれまで全く知らなかった。大池という独創的思想家が歴史の闇の中に埋もれていくのが悲しい(彼自身はそう望んだのかもしれないが)。

小島亮編『奴隷の死 大池文雄著作集』(ぺりかん社、1988年)

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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