周回遅れの読書報告(その25:その24の続き)小泉輝三郎と武田百合子(上)

かつて「ちきゅう座」に「周回遅れの読書報告」を、何回かの中断を挟んで20数回掲載してもらった。数年前(2014年)「その24」で休止したままになっている。休止した理由は今となっては不明であるが、どうも自身の怠慢が最大の理由ではないかと思う。そのことを胸に刻みながら、またぞろ再開したい。

休止前の最後の読書報告(「その24」)で「鈴弁事件」のことを書いた。その「鈴弁事件」のことから再開したい。実は「鈴弁事件」にかかる古本を巡る因縁話は「その24」で書いたことで終わり、のはずだった。「はずだった」と過去形で書いたのは、続きが出てきたからである。それも考えもしなかった形である。

「高齢でもう資料の整理ができない。ついては自分の書斎にある本は君が処理してほしい」──義父からそう頼まれた。それでとことこと九州まで出かけた。多くは法律関係の古い本だった。法律には全く疎いから、本は片っ端から処分することにした。処理しようとした本の中に小泉輝三郎著『大正犯罪史正談』という本があった。どういうわけか、この本のことが気になり、序文だけ読んでみた。著者は「東京地方検事局(ママ)」で検事をしていたとある。同検事局に大量に保管してあった裁判記録は戦災で焼失しまったが、著名な事件については、著者はその梗概をコピーしておいたのだという。コピーしたのは当然戦災に遭う前と言うことになる(その時代にどうやってコピーをとったのであろうか)。シーメンス事件や朴列事件など、私でも知っている著名な事件が十数件紹介されている。このなかに、「山憲事件」が入っている。これは「鈴弁事件」のことである。「鈴弁事件」という呼び名は被害者の名前に由来するが、「山憲」という名称は加害者のそれに依っている。検察では被害者ではなく加害者に着目して事件名をつけるのであろうか。もっと事件に関する記述は『信濃川ものがたり』でのそれと何も変わらない。ただ、死体の発見場所が新潟県南蒲原郡旧中之島村ではなく、対岸の三島郡旧大河津村となっていることが僅かな違いだ。

『大正犯罪史正談』の刊行時期は『縮図』からさらに十数年後である。「鈴弁事件」あるいは「山憲事件」が(少なくともその頃もまだ)シーメンス事件や朴列事件と並んで語られる程、著名な事件だったとは知らなかった。「元検事」の書いた本に興味は全くないが、「山憲事件」のことが書いてあるという理由で、『大正犯罪史正談』は処分せずに、自分の家に持ち帰ることにした。ただ、小泉はその対象として事件については細かく記しているが、自らのことについてはほとんど語っていない。だから、彼が「元検事」という以外には何も分からなかった。

(この項続く)

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〔opinion6936:170913〕