この報告は、原則として日本語で書かれた書物(翻訳を含む)を対象とし、洋書は扱わないことにしている。しかし、「原則」に「例外」はつきもので、この報告がちょうど50回になるのを理由にして、今回は例外的に外国語で書かれた本を取り上げることにしたい。
といっても、大半は古い雑文を書き写すだけのことである。昔、東京・代々木に「ローリエ」というスナックがあった。年老いたママと、それよりももっと年を取っていたバーテンダーの二人しかいない小さなスナックであった。店の常連客が原稿を持ち寄って、「ローリエ・アネックス」という雑誌を不定期で出していた。部屋を整理していたら、私の雑文が掲載された号が出て来た。雑文の原稿も見つかった。
「ローリエ」は世紀の変わり目頃に閉店した。それと同時に「ローリエ・アネックス」も刊行を停止した。それからもう20年近くが経つ。「ローリエ・アネックス」の読者は店の常連客に限定されていた気がするから、この雑誌のことを覚えている人もほとんどいまい。それで、少し長くなるが、ここに再掲することにした。原題は「70年前の……」となっているが、これは世紀の変わり目でのことである。今ならば、「90年前の……」とすべきであろう。表現にも今では首を捻るようなものもある。しかし、今でも通じるものもあるような気がする。
「70年前の、だが古いとばかりも言えない話」
十年近くも前になるが、わけあって一九二〇年代のオーストリアの銀行のことを調べたことがある。この時代のオーストリアの銀行は、魑魅魍魎の跋扈する驚くべき世界であった。「事実は小説よりも奇なり」というが、それをつくづく実感させられた。
分離したばかりの隣国ハンガリーにはオーストリア領内への版図の拡大を狙う集団があり、この集団が社会的混乱を画策してオーストリア国内に偽札をばらまこうとしたことがある。この偽札の印刷を行ったのは他ならぬオーストリアの銀行であった。一九二〇年代の終わりに同国の第二の商業銀行、ボーデン・クレジットアンシュタルトが破綻した。この破綻の引き金の一つとなったのは、オーストリア社会民主党との武力衝突に明け暮れていた右翼武装集団への多額の資金援助であったといわれる。一九三一年にはついにオーストリア最大にして「ガリバー」的存在であった商業銀行、クレジットアンシュタルトが危機に陥った(これを契機にオーストリア発の信用恐慌がヨーロッパに拡がり、二百年続いたイギリスの金本位制も崩壊してしまう。それほどの大事件であった)。ところがその原因の一つは、政府に頼まれて渋々ではあるが、先に触れたボーデン・クレジットアンシュタルトを、その資産内容もろくろく確かめずに吸収したことにあった(なにやら日本長期信用銀行の吸収話を思い出すが、この七十年前の事件の二の舞にならないことを祈るばかりである)。しかも、この危機のさなか、銀行の支配者であったロスチャイルド家の当主は趣味の狩りに出かけていて、数日間もその行方が掴めなかった。
こうした事実を読んでいると、あまり信じがたさ、奇怪さに時間の経つのも忘れるほどであるが、歴史家(経済史家)がこの時代のことを学問的に書く段になると、とたんに無味乾燥なものとなってしまう。ここに挙げたことなど、注目されることはほとんどない。オーストリアの銀行が、あるいは破綻し、あるいは危機に陥った理由としては、オーストリア=ハンガリー二重帝国の解体に伴う民族国家の成立とそれによる経済圏の分断とか、東欧の農業恐慌の影響とかいう、いかにも尤もらしいことが、縷々説かれるだけである。
しかし、こうした説明はいかにも尤もらしいが、その実なんとも胡散臭いのである。確かに歴史家(経済史家)の挙げるようなことが大きな原因ではあったであろう。しかし、バンカーとしての最低限のモラルもないような連中が銀行の経営権を握っていたことを無視することはできない。でなければ、いくつかの銀行が何とか経営を維持していくなかで、特定の銀行が破綻する意味など解けなくなるからである。こうしたことに眼を向けない限り、真実が明らかになることは決してないであろう。
勿論これは七十年も昔の、遠い中央ヨーロッパでの話である。一九九〇年代の極東の島国での話ではない。実際、僅かな「みみっちい」犯罪を除けば、盟邦アメリカの窮状を助けるための献身的援助や、日本の銀行が世界的覇権を握りそうになったがゆえの国際的規制といった、「堂々たる」事柄が、この島国の銀行が厳しい状況になっている理由としては挙げられる。昔のオーストリアとはわけが違うのである。
と、歴史家(経済史家)は多分書くのであろう。数十年後、我々の子孫はそんな尤もらしい説明をはたしてどこまで受け容れるであろうか。七十年前のオーストリアの事件には未だに不明な部分がある。それが「尤もらしい説明」がまかり通ってきた原因にもなっている。現在のこの島国の事件についても、全てが明るみに出ない限り、ひょっとすると思いの外、「尤もらしい説明」が受け容れられるかもしれない。
何も新しいことは起きない。歴史はただ繰り返すばかりだ。そんなボヤキがカウンターの向こうから聞こえてきそうだ。小生も悪酔いしそうになってきた。
以上が「ローリエ・アネックス」に書いた雑文である。このとんでもなく面白い歴史的事実を紹介してくれたのは、Karl Ausch, „Als die Banken fielen“. である。雑誌の性格からか、上述の雑文には書名を挙げていないが、1920-30年代のオーストリアの経済をこれほど活き活きと描いた本を知らない。Ausch によれば、この時期のウィーンの「銀行家」は、大半が、いやほとんどが、詐欺師、ペテン師、いかさま師、騙り、政治ゴロといった類のとんでもない紳士達ばかりだった。彼らが右派政党(キリスト教社会党)の有力政治家と手を組んで投機に走り、これが失敗して窮地に陥るというのがお定まりのケースであった。そして、こともあろうに、このスキャンダルを隠蔽するために、政府と中央銀行が利権と融資をちらつかせて、他の有力銀行に救済的吸収合併を引き受けさせる。当然のことながらこの銀行もまたやがておかしくなる。次ぎの吸収合併が行われる。いってみれば、権力全体が反社会的な「紳士達」(なにせ「贋札」作りに協力していた銀行もあるくらいなのだから)とグルになって国民を誑かしていたようなものである。こんなに面白いことが、「経済史」になったとたんに退屈なものとなる。「経済史」を学ぶ若い人たちの不幸せに同情する。
なお管見の限りでは、この本にはまだ翻訳がない。誰か日本語に翻訳をしてくれないものか。
Karl Ausch, „Als die Banken fielen“ (Europa Verlag, Wien, 1968)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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