アメリカの原子力空母エンタープライズが佐世保に入港したのは1968年1月19日のことであった。原子力空母の初めての日本寄港であった。当時、事情があって九州にいた私もこの日のことを鮮明に覚えている。その頃のことか、その後のことか、「赤い靴」の替え歌が流行っていた。
「赤い旗、振っていた男の子、行っちゃった。/佐世保の港から、お巡りさんに連れられて行っちゃった……」
その替え歌だけは記憶に残っている。あれからもう、半世紀が経過した。毎日新聞(西部本社版)は2017年12月31日付けの紙面で、寄港の翌月から佐世保で始まった、平和を求める月1回のデモが2018年1月で600回を迎えると、報じた。奇しくも2017年の年末から新年にかけて、また九州にいた私は、「あれから、もう半世紀か」と、思わずため息をついた。600回という回数は、10年間、一月(ひとつき)も休むことなく続けられてきた結果である。息の長さに驚くばかりである。この報告はまだ僅か53回である。たったそれだけでも、少々マンネリ感があるのに、600回とは、気の遠くなるような話である。
53回でマンネリ感を覚えるとした。最初から質の高い書評とはとても言えなかったが、最近はすっかり惰性に流れているように感じる。「継続することに意味がある」といわれるが、惰性のまま継続することに意味があるとは思えない。区切りを設けることを考えてもいいのではないか。そんな思いも一方にはある。と同時に、「まだたった53回じゃないか。もう少し続けてから、どうするかを考えたほうがいい」という気もする。こうなると、どうしても「先延ばし」してしまう悪い癖が出る。
しかし、何も報告しないというのもいい気はしない。小さな書棚の片隅に写真や絵画関係の本を集めた一画があり、そこに毎日新聞社発行の『20世紀の記憶 1968』という写真集があった。最後の方には詳細な事件記録もつけられている。出版されたのは1998年であるから、対象となった「1968年」の30年後、いまから20年前である。昔に一度目を通したはずなのだが、きれいに全部忘れている。懐かしさの余り、ずいぶんと長い時間、立って読んだ(「立ち読み」と言いたいところだが、すでに購入した本を「立ち読み」というのも妙だ)。この年には本当にいろいろなことが起きた。1月の反エンプラ闘争に始まって、ヴェトナム戦争の激化(テト攻勢)、パリの5月革命、九州大学への米軍機の墜落、プラハへのソ連軍の侵攻、アメリカ・コロンビア大学での闘争、新宿でのデモに対する騒乱罪の適用、等々、数えあげればきりがない。そして暗殺や暗殺未遂も。こんなことを忘れてはならないのだが、時の流れはすべてのことに次々に薄いベールをかけ、いつの間にかそれをすっぽりと覆い隠してしまう。
巻末につけられた60頁を超える長い長い年表から当時の様子がうかがえる。中には自分が現場かその近くにいたはずの事件もある。しかし、その多くがもう記憶のかなたに消え去っている。すべてを覚えていられるはずがないのは確かだが、前述したように、忘れてはならない事件もあるのである。そのことを『20世紀の記憶 1968』は読むものに呼びかけている。この本を読み返したのは、ずいぶん久しぶりのことだ。もう帯の色も変色している。
もっとも、こんな写真集を入手しようとしてもあまり意味はない。そこで何かが語られているわけではないのだから。記憶を呼び起こすためだけにあるような写真集である。したがって、当時の記憶が最初からない若い人たちにとっては、ほとんど意味のない本と言える。そう考えると、この報告自体も一体どういう意味があるのか、疑問に思えてくる。
『20世紀の記憶 1968』(毎日新聞社、1998年)
著者から
昨年の9月の〈その25〉から再開して7ヶ月が経過した。なんとか週一回のペースで連載を続けてきたが、「しばらく考えてみたい」という気もする。偶然ではあるが、来月は身辺も忙しいので、とりあえず一ヶ月ほど休載したい。ご了解を願いたい。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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