周回遅れの読書報告(その56)「ヘルマン『資本の世界史』のこと」

 ヘルマン『資本の世界史』は、そんなに期待して読んだ本ではなかったが、実にいい本であった。抜粋を作ったのだが、やたらと多くなったことも、それを物語っている。こんな風にわかりやすく書くことができるのは、著者がジャーナリストだからであろうか。本の末尾の「訳者あとがき」のなかで、本書の評価がいくつか紹介されている。そのなかにこういうものがある。

経済書はつまらないと思っている人でもおもしろく読め、金融危機は複雑すぎる人でも理解しやすい内容になっている。

この書評どおりの本である。
 二つだけ、不満というか疑問のようなものが残る。一つは、著者のヘルマンが頭が良すぎるのであろう。あらゆることが実に明解に説かれていて、現代経済史も含めて経済には未解決問題など何もないのではないかという錯覚に陥ってしまうことだ。現代経済史にはまだ解明されていない課題があるように思う。ヘルマンの叙述からはそれはうかがえない。第二は、どういう訳か、ヘルマンがソ連体制の崩壊にほとんど触れていないことだ。例外はあるが、ヘルマンは「ソ連体制の崩壊など資本主義の歴史には何の関係もない」と言いたかったのではないかとさえ思ってしまう。しかし、「格差の拡大」や経済的グローバル化のことを考えるにあたって、ソ連体制の崩壊は無視できない。
 こういう問題点はあるものの、本当に「おもしろく読め、……理解しやすい」本である。「おもしろく読め、……理解しやすい」本であることは、(現代)経済学を学ぶ人にとっては、テキスト選択に当たっての必須条件だと思うが、この本はそれをしっかりと満たしている。
 いろんなことをこの本から学んだ。とりわけ、ニンマリしながら読んだのはシルビオ・ゲゼルのことが紹介されている箇所である。このアナキストの経済学者については、不思議なほど知られていない。ヘルマンは、それを丁寧に紹介している。もっともゲゼルがアナキストであったこと、女性解放論者であったこと、自由恋愛主義者にしてその実践家であったこと、等々は「本論ではない」ということか、ほとんど触れられてはいないが、しかしゲゼルのこと、そして彼の主張した「腐敗=減価する通貨」のことをこれほどまで立ち入って紹介した経済書はあまり知らない。
 翻訳も実にこなれていて、面白くて分かり易いという評価を受けている原文の味わいをじつによく伝えている気がする。ただ、一ヶ所だけ、「誤訳」ではないかと思う箇所があった。 邦訳275頁の後半である。そこに次のような文章がある。

 実質賃金を上げるには国家が後押しをしなくてはいけません。「労働市場」をあてにしても何の役にも立ちません。労働市場というのは雇用される側が脅しうる存在なのでほんとうの市場ではないからです。被雇用者は職場を指定され、どんな賃金でも受け入れざるをえません。被雇用者が交渉力を持てるのは、国家によって最低の保護が与えられたときだけです。この考えは決して新しいものではなく、アダム・スミスもわかっていたことです。

「被雇用者は職場を指定され、どんな賃金でも受け入れざるをえません。被雇用者が交渉力を持てるのは、国家によって最低の保護が与えられたときだけです」という主張を読むと、その直前の「労働市場というのは雇用される側が脅しうる存在なので」というのは、どうにも理解し難い。「労働市場というのは雇用する側が脅しうる存在なので」とあれば、理解できるのだが(強調はともに引用者によるもの)、これでは首を捻るばかりある。
 このことを別にすれば、対等な交渉ができる場としての「労働市場」がないというヘルマンの主張には十分うなずける。いやヘルマンに言わせれば、市場を対等な交渉ができる場ととらえた場合、資本主義はそもそも市場経済とは言い難いのである。その意味では、資本主義=市場経済と思い込んできた身としては、考えさせられる本でもあった。
       ウルリケ・ヘルマン『資本の世界史』(太田出版、猪俣和夫訳、2015年)

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