善意が善意で終わらない

著者: 藤澤豊 ふじさわ ゆたか : ビジネス傭兵
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もしかしたら、何かできること、お役にたてることもあるかもしれない。「グローバリゼーションに対抗する。。。」とまで銘打った草の根活動の集まりに行けば何かあるのではないか、きっかけだけでもと期待半分、期待しすぎてはという抑えた気持ち半分で出かけた。
そこには、地に足の着いた活動を何年も一緒にしてきた人たちのいくつもの小社会があった。会場に入った最初の印象は予想通り、場違い。そして会場を後にするときも場違いのままで変らなかった。比べては失礼なのだが、馴染みの客しかいない飲み屋に迷い込んだようなバツの悪さがあった。時間をかけて出来上がった人たちの集まり、共有された知識に共通の話題。意図してのことではないのだろうが、初めての者には敷居が高い。参加の手引書など用意されているわけでもないし、案内書があったとしても具体的なことまで書かれてはいない。分からないながらも何回か行動を共にして段々わかってきて敷居を感じなくなるのだろう。

おじゃましたのが、定期的に開かれる活動報告会だったこともあり、予定された通りのスケジュールで関係者からの報告が続いた。環境問題から少子高齢化、ワーキングプアーからシルバー雇用に障害者雇用、過疎化と地域社会の活性化など、今の日本が背負っている社会問題に何らかのかたちで改善しようと活動してきた方々の報告をお聞きした。報告される活動の多くが地方の地場を基盤としたものだった。独特の言い回しやら固有名詞で聞き取れないこともあったが、活動自体はフツーの人々の身の丈のものだった。手の届くところの話で分かりやすい。
行政や上部団体の支援に基づく活動ではなく、善意の人たちが自分たちでできることをやってゆこうとする姿勢に感動したといえば聞こえがいいが。はじめて聞くことが多く、戸惑いの方が大きかった。いくらやっても具体的な効果がみえない政治的な活動や議論に関わっているより、まず自分たち出来ることから始めよう。できることをしながら改善して実績を積み重ねてゆけば、賛同して似たような手法で改善をと思う人たちもでてくるはず、という巷の素朴な善意の人たちの姿勢があった。

お聞きした限りでは、善意に基づいた実に立派な活動だと思う。社会の成り立ちの根幹のところは、あのような人たちの日常があって始めて生まれるものだと思う。安易な批判は慎まなければならないし、し得る立場にいるわけでもない。地に足の着いた活動をしてきた方々の善意を前に何もしていない後ろめたさを感じさせられた。
ただ、報告をお聞きして、感服したいのだがしきれない。想像していた通り納得しきれなかった。地道なボランティア活動の報告を聞いて立派だなと思う一方で、それを継続して何が変えられるのだろう、掲げた「グローバリゼーションに対抗する。。。」が果たして視野に入ってくるときがくるのだろうか。疑いより、きっこないという確信に近いものがある。
具体的に何もしないでいるよりは、あるいは政治的なデモに参加したりということより、身近なところからできることから始めようという考えを全否定するつもりは毛頭ないのだが、その草の根活動、いくらやっても草の根活動は草の根活動。それ以上にはなりえないだろうという気がしてならない。

過疎化の進んだ田舎に行って有機農法で野菜を栽培して産直販売。。。なんとか生活してゆければ、社会にこういう過疎化対策と自然保護と健康的な食生活もありうると証明できるだろう。確かにその通りなのだが、それで日本の農業が、自然が、健康的な生活に続いてグローバリゼーションに対抗した市民の活動や生活がとまで言われると、ちょっと話が違うのではないかと思う。
善意の人たちが集まったとして、一地方においてすら社会を変えてゆく実体を伴った理念や社会常識が形成できるとも思えない。ましてや相手は地球規模の環境問題と経済社会問題。拠って立つところが違いすぎて、よくて大海に一滴の真水のような気がする。

善意の人たちが善意の人たちで、お互いに存在を認め合い、定期的な報告会をオープンにして社会にその貢献を訴えたとして、残るのは可能性として二つでしかないような気がする。一つは、自分たちは問題意識のない、あるいは少ない人たちとは違って、また口先だけで実際には何もしない人たちとは違って、自分たちでできることから社会問題の解決を目指して活動を継続しているという自己満足(失礼?)。中には達観してしまって、できることをあるがままにしているだけで自分の精神生活の糧としている方もいらっしゃるだろう。そのような方なら、わざわざ報告会でもないだろうという気もする。
もう一つは、善意の人たちの善意の活動が社会問題で利益を得ている人や組織によって都合のいいツールとして使われ、市井の人たちの視線を問題の本質から逸らす危険性。
参加したところで、社会にほとんど何の影響も与えることのないところで、疎外感を味わった挙句に政治的に利用され、社会問題を隠蔽するために使われかねないことを思うと、いまさらそこで自己満足でもという気にもなれない。

Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion6213:160812〕