回想の岡山大学

著者: 松田健二 まつだけんじ : 社会評論社/ちきゅう座

糟谷孝幸や内藤秀之が青春を生きた岡山大学は、1949年、旧制第六高等学校、岡山師範大学、医学専門学校などが統合されてできた新制国立大学である。当時は法文学部、理学部、農学部、教育学部、医学部などがあった。キャンパスは医学部を除いて旧陸軍の広大な敷地にあった。敷地を貫く長い道路にはバス停が3か所もあり、サークルのBOXは軍隊の馬小屋が活用されていた。

1960年4月に倉敷青陵高校から、法文学部文科(東洋史専攻)に私は入学した。安保全学連が国会に突入した時です。医学部自治会は医学連の加盟校であり、安保ブントの影響下にあったが、キャンパスが別のためか、医学部以外の

自治会はすべて日本共産党(民青)が執行部を握っていた。文科では塩見鮮一郎(独文→河出書房編集部→作家)、池上達也(漢文→平凡社編集部)らが指導者であった。かれらの指導のもとに社研が創られ、津田道夫の新刊『現代のトロキズム―それは敵か味方か』(青木新書)をテキストに学習会が開かれた。この通称『ゲントロ』と呼ばれた本から多くの基礎知識を得た。

高校時代、新聞部に属していたが、五味川純平の『人間の条件』など小説は

はよく読んだが、マルクス等思想関係のものは、教科書的な知識しかなかった。

『ゲントロ』のおかげで、共産党以外にブントとか革共同とか呼ばれる革命組織があり、それらの指導者や理論・思想について具体的に知ることができた。梅本克己、宇野弘蔵、島成郎、塩川信明などの名前を知ったのも同書からであった。

 そして、日本共産党第8回大会(1962年)における綱領論争で、宮本綱領反対派の党員が大量に離党し、あるいは除名された。かれらは社会主義革新運動(社革)、統一社会主義者同盟(統社同)など別党を結成した。

 文科の共産党指導者たちは社革にも、統社同にも参加せず、文芸部や演劇部

の活動に専念していた。文芸部は季刊誌『サロル』を発刊し、塩見鮮一郎は『黄色い国のサクランボ』を発表し、新日本文学会の新人賞を受賞した。演劇部は『ゴドーを待ちながら』という当時の最先端の作品を上演していた。

 馬小屋を改造したBOXで歴史学研究会、新聞会、わだつみ会、セツルメント、児童文学研究会などがユニークな活動が展開していた。小田実の『なんでも見てやろう』や高橋和己の『悲の器』が話題になり、フランスのヌーベルバークの映画も時々上映されて、地方都市の岡山にも新しい思想・文化・芸術の波が押し寄せてきた。東京には全学連が3つあり、各派の活動家が時々オルグにきた。

 1960年に入学して、会員200名足らずの小さな文科自治会で大管法反対闘争を担った私を含めて執行委員の3名が、岡大を中途退学して64年と65年に上京してそれぞれ新たな道を歩み始めた。

              Ⅱ

内藤秀之は60年代後半の時代に岡山大学で青春を生きた。政治・社会運動

は、60年安保後の混迷を回復し、学生運動も三派全学連結成から全共闘運動へ。ベトナム反戦運動の高揚、全国各地で反戦青年委員会が結成される。67年の10・8羽田闘争と翌年の佐世保原潜闘争の高揚なかで、岡山大学にも全学共闘会議が結成されたと推測しています。そして68年入学の糟谷孝幸とともに岡大全共闘の部隊として1969年11月13日大阪・扇町公園での佐藤訪米阻止の闘争に参加。糟谷孝幸はデモのなかで権力に虐殺された。

それから半世紀後のコロナ禍のなかでプロゼェクトが結成され、70人超える寄稿で1969年秋の民衆の歴史的闘いは記録された。

内藤秀之は1971年から岡山県奈義町に住み、農業、酪農を営みながら日本原基地反対闘争を持続している。2008年に絵本『ピー子と子どもの北海道旅行』を社会評論社から刊行。日本原の闘いは北富士演習場めぐる忍草母の会の闘いと並んで記録すべき生活者の闘争です。そして内藤秀之の牛飼いの50年を描く長編記録映画『牛と人の詩』が間もなく完成するそうです。

「父が牛飼いになって、もうすぐ五〇年になります。牛飼いになる前、父は医学部の学生でした。父が医者でなく、牛飼いになったのは、自衛隊とたたかうためでした。」(映画の宣伝パンフのすばらしいキャチコピー)

 現代世界は文字どおり歴史的岐路に立っています。その状況のなかで、日本の政権党は独裁的傾向を強め再び全体主義の時代へ進んでいくようです。しかしかれらの決定的弱点は、自分たちの政治的行為の記録を隠蔽するため、政治の歴史的検証ができないことです。私たちは生きてきた時代の社会・政治運動の批判的検証ができます。21世紀になってからでも、当事者による負の体験を

ふくむ記録が多数刊行されています。その映像化も多数進んでいます。

 この次世代へバトンタッチするメッセージこそ全体主義への時代を阻止するわれわれの重要な武器だと、最近つくづく感じています。その意味で、『牛と人の詩』が完成したら全国上映会運動をしましょう。

 岡大入学後デモ行進の時、先輩から教わった歌は「国際学連の歌」と岡山大学生歌です。学生歌の1番の歌詞を記して、私のメッセージを閉じます。

    われらはあつまり

    はんだ山の山すそに

    こがらしがすさぶ中を

    われらの学舎を守ろう

    おお岡大われらのもの

*これは、昨年亡くなった松田健二が、生前に白川真澄に預けていた原稿です。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座  https://chikyuza.net/
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