(2022年11月23日)
臭気芬々のカタールから、一陣の爽やかな風。21日の対イングランド戦の試合前、イラン選手が国歌の斉唱を拒否したとして、大きな話題となっている。これは、イラン政府に対する、「ヒジャブ抗議デモ」への連帯行動なのだ。同時に、「政治問題とは切り離して、サッカーに集中しよう」という、FIFAの姿勢に対する抗議でもあろうか。
周知のとおり、イランでは、22 歳のマフサ・アミニさんの死をきっかけに、全土で大規模な政府への抗議活動が続いている。アミニさんは9月13日、ヒジャブで髪をしっかり覆っていなかったというだけの理由で風紀警察に身柄を拘束され、警棒で殴打され車両に頭を打ちつけられて、3日後の16日に亡くなった。
このあと、10代を含むイランの女性たちが、ヒジャブを着けずに外出したり衣服を燃やしたりして抗議の声をあげている。警察の暴力記録した動画の投稿が繰り返されてもいる。これに対する治安部隊の暴力的な取り締まりは凄まじく、イラン・ヒューマン・ライツによると、これまでに少なくとも378人が殺害されたという。
絵に描いたような、自由を求める国民の運動とこれを弾圧する国家権力との対立の構図。その渦中での、国旗と国歌である。国旗も国歌も、権力側のものであって、自由の象徴ではない。イランでは、この抗議の動きが広がって以降、国歌を唱わないことが政府を批判し、デモに連帯を示すための態度だと広く受け止められているという。
そのような事態でのワールドカップ。イラン代表の行動に対しては、国内外から注目が集まっていたと報じられている。注目の選手たちは、団結して一致した「国歌斉唱拒否」に踏み切った。国内で続く抗議デモに連帯を示したのだ。それゆえの爽やかな風という印象。
無邪気に国歌を斉唱できる人は、国家に従順であることに疑問をもたぬ人である。あるいは、国家に従順であることをことさらに示したい人。意識的な国歌斉唱拒否は、国家に対する不服従である。あるいは、国家に対する異議申立て。
国家の側から見れば、国歌を斉唱する者は、御しやすい歓迎すべき国民像。斉唱せざる人は歓迎すべからざる、国民の国旗国歌に対する姿勢は、権力者側からする反抗心や従順さを計るバロメータなのだ。国家への従順を拒否して自由と人権の陣営の側に就いた、イランの選手団に敬意を表したい。
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2022.11.23より許可を得て転載
http://article9.jp/wordpress/?p=20347
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