国民に元号使用の義務はない。官公署への協力の義務もない。

仲間内の雑談で、元号が話題となった。私の親しい友人たちは、元号拒否派が圧倒的だ。裁判所に提出の書類でも西暦を使用しているという。

私の場合、最初から西暦使用に徹していたわけではない。はじめは無自覚に元号を使用していたが、弁護士経験10年目のあたりで西暦使用に切り替えた。以来35年以上にわたって、訴状も、答弁書も、準備書面も、弁論要旨も、すべて西暦表記で一貫している。

元号表記一色の世界でのこと、はじめは目立った。たった一度だけの経験だが、担当の裁判官から、クレームを付けられたことがある。「自分は、昭和になじんでいる。西暦だと前後関係が分かりにくい。昭和を使っていただけないか」というのだ。

「私は西暦に深くなじんで、昭和だと前後関係が分からなくなる。また、信条として元号拒否にこだわってもいる。このまま、西暦使用を通させていただきたい」と言ったところ、裁判官は実に面白くなさそうではあったが、それ以上は何も言わなかった。

仲間の一人は、事務員さんが持参した西暦表記の書面を、裁判所から「和暦に直してください」と突き返されたことがあるという。抗議をして受領させ、以来トラブルはないそうだが、はて。法的な強制力はないことが明瞭なのに、どうして事実上の押しつけがまかり通っているのか、ひとしきりの議論となった。役所や銀行の窓口では、元号使用の強制を拒否して西暦貫徹を実践しようと盛り上がった。

元号使用に、法的拘束力のないことは明らかである法が国民に元号使用を強制するには、国会における立法が必要であるところ、そのような法律はない。

元号法という法律はあるが、国民に元号使用の義務を課するものではない。

「元号法」 (1979年法律第43号)
1 元号は、政令で定める。
2 元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める。
附 則
1 この法律は、公布の日から施行する。
2 昭和の元号は、本則第1項の規定に基づき定められたものとする。

以上が全文。国民の義務とも、権利の制約とも、まったく無縁の法律。国民は、法によって元号使用を強制される立場にはない。国民に対する元号使用の強制は一切ないという触れこみがあっての元号法の法案上程であり、成立であった。いささかでも、元号使用強制の色彩が見えたら、元号法が国会を通ったはずはない。

元号・西暦のどちらを使ってもよいとなれば、圧倒的に便利なのは西暦であって、元号はどうしても分が悪い。何しろ、地域限定・通用期間限定の欠陥紀年法だからである。ところが、不便な元号が、廃れることなくいまだに生き残っている。官公署がこの不便な代物を使うからだ。そして国民に使わせるからだ。

問題は、官公署が当然のごとく、公文書を元号表記で書き、国民が官公署に提出する書類にも、元号表示を要求していることである。このことに関して、以下のとおりの興味深い第108回通常国会参議院でのやり取りの記録が残されている。

「公的機関における元号の使用に関する質問主意書」の提出者は、日本社会党の野田哲議院。これへの1987年4月10日付けの答弁書は、中曽根康弘首相時代の政府によるもの。

広島県の県立学校54校で、西暦表記の卒業証書授与があった。これを咎められた校長が県教委から処分を受けたという。質問は、この件に関連して、一般論としての「公的機関における元号使用の義務の有無と強制力について」を質問している。

ハイライトとなる部分について抜粋して、質問と回答を紹介してみたい。

 本年3月30日、広島県教育委員会は、卒業証書の発行年月日を西暦で表記して交付した県内54校の県立高等学校及び養護・ろう学校の学校長に対し処分を行つたという。この問題は、憲法上及び法令上の重大な内容を含んでいると考えられるので、以下のとおり質問する。
質問一 広島県教育委員会が行つた処分の具体的内容等について以下の事項(略)を調査し、その結果を明示されたい。

政府答弁「一について」
 広島県教育委員会からの説明によれば、次のとおりである。
 広島県教育委員会においては、昭和三十七年から広島県教育委員会の公用文に関する規程で元号表示による書式を一般的に定め、事務処理を行つてきたところであるが、元号の使用は同和教育の推進を阻害するという理由から県立学校の卒業証書における年の表示について西暦を使用するよう教職員が校長に迫るという動きがあり、他方、教育委員会規則等で定められた個々の公用文の様式においては、必ずしもすべての公用文の年の表示方法が明確にはされていなかつたため、昭和六十二年一月、教育職員免許状に関する規則、広島県立高等学校学則施行細則など教育委員会規則等の一部改正を行い、個々の公用文の年の表示方法を元号表示とすることを明確にし、関係機関に対し周知を図るとともに、同年二月、県立学校長に対し、卒業証書における年の表示について前記規則等に基づく様式を遵守するよう指示文書を発した。
 しかしながら、同年三月の県立学校の卒業式において、五十四校で前記規則等に定められた様式に反する卒業証書が交付された。
 このため、広島県教育委員会は同年三月三十日付けで右五十四校の校長に対し、今後は法令等にのつとつた適正な職務の遂行に努めるよう文書訓告を行うとともに、監督責任者である教育長に対し戒告、教育部長及び高校教育課長に対し文書訓告を行つた。

質問三 公的機関における元号使用の義務の有無と強制力について
1 一般に、国・地方公共団体またはその他の公的機関が元号を使用すべき憲法上の義務は存在せず、また元号使用を強制する法令は存在しないと考えるが、政府の見解を伺いたい。
2 政府は、元号法案の国会審議に際して、「公的な機関の手続なりあるいは届け出等に対しましては、行政の統一的な事務処理上ひとつ元号でお届けを願いたいという協力方はお願いをいたします。しかし、たつて自分は西暦でいきたいという方につきましては、今日までと同様に、併用で、自由な立場で届け出を願つてもこれを受理すると、そういう考えでおるわけでございます。」(一九七九年四月二七日、参議院本会議における三原朝雄国務大臣の答弁)、また、「従来、戸籍などの諸届けの用紙に、不動文字で「昭和」と、こういうことを刷り込んでおることは事実でございます。これは申請者に便宜を与える、便宜を図るというだけの趣旨のものでございまして、強制するとか拘束するとかという趣旨ではございません。……この辺につきましては誤解が起こらぬように、強制する、拘束するものではないという趣旨を十分徹底して、行き違いがないようにいたしたいと思つております。」(同、古井喜實国務大臣の答弁)、また、「現在の住民基本台帳、それから印鑑登録のそれらの様式は、いずれもこれは市町村が自主的な判断で定めておるわけでございますが、一般に元号が使用されておりますけれども、これはもう御承知のように従来からの慣行によつて行われ、協力を求めておる、強制するというものでないことは言うまでもございません。」(同、澁谷直藏国務大臣の答弁)、さらに「教科書検定における元号の取り扱いについても、従来から、年代の表示については、教科の目標、内容等に照らし、適切な方法がとられるよう指導している……。」(同、内藤誉三郎国務大臣の答弁)など、公的機関における元号の使用は、あくまで「便宜的」「慣行的」なものであり、したがつて「協力を求める」ことはあつても「強制するとか拘束する」ものではないと、繰り返し答弁している。今日もその立場、見解は不動であると解するが政府の見解を示されたい。
3 右の政府見解によつたとしても、卒業証書は卒業生本人に手渡されるものであつて、公的機関内に保存される一般の公的文書に比べ、年号表示の特定の様式が便宜上求められる度合いは極めて小さいはずである。また、卒業証書が西暦で記載されたとしても、教育上特別に、混乱や問題を惹起するとは考えられない。したがつて、卒業証書に元号の使用を義務づけあるいは強制する合理的理由、法的根拠は存在しないと考えるが、政府の見解を示されたい。
4 卒業証書の年号表示の様式について、たまたま学校長、教師、父母、生徒などの意見、思想、信条等が、教育委員会の期待するところと異なり、西暦が使用されたからといつて、それを強権の発動たる行政処分でもつて処罰するがごときは妥当でなく、元号に関する政府見解の趣旨にも反し、かえつて教育的効果を損なう措置であると考える。したがつて、年号表示について、かかる処分発令を許容するがごとき規則や指導は不適切であり、改廃されるべきだと考えるが、政府の見解を示されたい。

答弁「三について」
1 国・地方公共団体等の公的機関が元号を使用すべき憲法上の義務はない。
 また、現在、国・地方公共団体等の公的機関の内部において事務の統一的な処理のため元号の使用を義務づけるような規則等は別として、国民又は国・地方公共団体等の公的機関に対し、一般に元号の使用を強制する法令は存在しないと考える。
2 国・地方公共団体等の公的機関の事務については、従来から年の表示には原則として元号を使用することを慣行としてきている。したがつて、一般国民から公的機関への届出等においては、公務の統一的な処理のために、書類の年の表示には元号を用いるよう一般国民の協力を求めてきているが、このような考え方は今日においても変わりがない。

3及び4 公立学校の卒業証書は、当該学校の全課程を修了したことを公に証明する公文書であるが、教育委員会がその所管に属する公立学校の卒業証書に関し、年の表示方法を含めその様式を定めることについては、当該教育委員会の権限の範囲に属するものと考える。
 また、教育委員会の規則等にその所管する学校の教職員が従うべきことは当然である。

以上のとおり、国・地方公共団体等の公的機関が元号を使用すべき憲法上の義務はなく、法律上の義務もない。また、「官公署は、書類の年の表示には元号を用いるよう一般国民の協力を求めてきている」に過ぎず、国民がこれに従うべき義務はない。不便な元号の使用を拒否しよう。この代替わりに伴う、元号切り替えがチャンスだ。元号使用をやめよう。官公署からの元号使用協力を拒否しよう。
(2019年4月26日)

初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2019.4.26より許可を得て転載

http://article9.jp/wordpress/?p=12506

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/

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