私は1967年から2002年まで35年間、原発の技術者として働き、そのうちの前半13年間は原子炉の安全を確保するための機械類(例えば、ポンプ、熱交換器、等)の耐震設計に携わった。事故を起した福島第一原発1号機や2号機用の機械類を設計する頃は、注文主の米国GE社から機器毎に示された最大地震加速度に耐えるように設計をした。その頃は日本独自の耐震設計の指針ができていなかったからだ。
日本の「原子力発電所耐震設計技術指針」(日本電気協会:電気技術指針;原子力編JEAG-4601)ができたのは1970年のことで、これがいわゆる「旧指針」だ。「旧指針」によっても機械類が耐えなければならない最大地震加速度が示されたことはそれ以前と同じだった。与えられた最大地震加速度に機械類が耐える目的は、地震の際にも壊れず、安全系(工学的安全施設=ECCS; Emergency Core Cooling System)が機能を維持することにより、原子炉の炉心に入れた「核燃料の損傷を防ぐ」ことであり、この判定基準を満足することこそ、安全審査に合格する条件と教えられた。
2002年に定年退職するまではそのような考え方で耐震設計が行われていた。しかし、2006年に原子力安全委員会が策定した「原子炉施設耐震設計審査指針」(いわゆる「新指針」)には、審査の基本思想に恐ろしい考え方の変化が取り込まれていた。それを私が知ったのは極く最近のことだ。
「新指針」では各原発に対して、その地点の地理的条件や過去の地震を参考に、原発直下の岩盤における「基準地震動」という大きさの地震を定め、それを基に原発内の機械類に対する「設計用加速度」を算出し、それに対して耐えるように設計をすることになった。そこまでは、「旧指針」と同じように見える。ところが「新指針」にはさらに「この基準地震動を超える地震が起きた場合の『残余のリスク』を評価し、それが許容できる範囲に収まるように事業者は対処せよ」という要求が追加されている。これはいったい何を意味するであろうか。即ち「基準地震動は今後起きうる最大の地震ではなく、それを超える地震も起きる可能性が残っているから、それにも対処せよ」と言っているわけだ。驚くべきは、その基準地震動を超える地震の大きさが示されていない。これでは、そのような地震に対して評価も対処もできるわけがない。つまり、「新指針」は、形ばかりのもので、実質的には耐震設計の指針として役に立つものではなかったのだ。
「新指針」ができた翌年の2007年7月16日中越沖地震が東電柏崎刈羽原発を襲い、同原発内の7基の原子炉建屋の地震加速度が設計時に与えられた加速度を超え、大きな被害が出てしまった。つまり、「新指針」による「基準地震動」の信頼性が事実によって否定されてしまった。このような新しい知見を得て、2009年2月24日に「安全研究フォーラム2009-原子力施設の耐震安全に関する最新知見と安全研究-」(主催=内閣府原子力安全委員会、文部科学省、経済産業省原子力安全保安院)が開かれた。柏崎刈羽原発第1号の機器の耐震設計にも携わったことのある私はこのフォーラムを最初から最後まで傍聴した。フォーラム会場では、権威ある地震学者たちが参加したパネルディスカッションを聴いて腰を抜かすほど驚いた。なぜなら、地震学者たちが、「今後起きうる最大の地震の大きさはわからない」、さらに「そのような地震が起きる確率も、既存のデータが少なすぎて算出できない」と述べたからだ。
「新指針」の文言の不備と以上のような地震学者たちの発言を合わせて考えると、地震に対する原発の安全規制の現状は「無規制状態」だと判断せざると得ない。「無規制状態」とは原発が将来起きる地震に対して安全か否かを判定する基準がないという意味だ。
そして、「安全研究フォーラム2009」のわずか2年後の3月11日に東日本大震災に伴う東電福島第一原発の大事故が起きてしまった。政府はこの「原発震災」の後から、新たに、「ストレステスト」と称する作業を始めたが、現状の無規制状態、即ち、判定基準が無い状況の下でいくら「ストレステスト」と称するものをやったところで、安全の確認などできるわけがない。にもかかわらず、政府は「ストレステストによって安全性が確認された」として、多くの国民の反対を押し切って大飯原発3号機と4号機の再稼動を強行してしまった。大飯であれ、どこであれ、1基でも原発を運転すれば福島第一と同じような大事故がいつでも起きる可能性があるのにである。
これまでの原子力安全委員会(内閣府)や原子力安全保安院(経済産業省)のダブルチェック体制がまったく機能しなかったことを「反省」して、事故後1年半経った2012年の秋、政府は原子力安全規制を一元的に行う組織として、原子力規制委員会を環境省の下に発足させた。現在、同委員会はまた新たな規制基準をつくるために、骨子案や正式条文案を公表し、パブリックコメントを募集したところだ。ところが、耐震設計に関しての基準骨子案文を見ると、2006年に「新指針」が策定された際の基本的考え方がそのまま引き継がれている。即ち、設計用の基準地震動が算出されたとしても、なお、それを超える地震により炉心が著しい損傷を受ける可能性があることを認める内容になっている。
この小文で知っていただきたい最大のポイントは次のようなことだ。2006年以前は、曲りなりにも原子炉本体、及び、その付属のシステム・機器の耐震設計の目的は、炉心に入れられた核燃料の健全性を保つことだった。しかし、2006年に策定された「新指針」では、「残余のリスク(*注)」という文言と共に炉心の核燃料の損傷を設計段階で容認する思想が紛れ込んでしまった。そして、今年の7月を期限として原子力規制委員会がつくろうとしている新しい「規制基準」にもこの思想が引き継がれつつあり、設計審査の段階で、著しい炉心の損傷を認める案文になっていることである。これでは、たとえ新しい「規制基準」が策定されたところで、2006年以来の規制は形だけで、実質的な「無規制」の状態は相変わらずということになる。とても恐ろしい状況だと思う。
*注:2006年に書かれた原子力安全保安院による定義によれば、「残余のリスク」とは、「策定された地震動を上回る地震動の影響が施設に及ぶことにより、施設に重大な損傷事象が発生すること、施設から大量の放射性物質が放散される事象が発生すること、あるいはそれらの結果として周辺公衆に対して放射線被ばくによる災害を及ぼすことのリスク」のことである。-以上-(2013年6月2日記)
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