塚本邦雄は、私にとっては、縁遠い歌人である。戦後短歌史を語る上で重要な足跡を残した歌人であったことは理解しているつもりだが、いわば<敬遠>しつつ、アンソロジーなどで読んでいたにすぎない。それでも、若い頃、『塚本邦雄歌集』(白玉書房 1970年12月)を入手、今も手元にはある。今般、林和清『塚本邦雄の百首』(ふらんす堂 2025年6月)を読む機会を得た。折から、『現代短歌』110号(2025年7月)は、没後20年ということで<塚本邦雄的生活>という特集を組んでいた。「百首」の方は、他の百首シリーズと同じように、楽しみながら読んだ。とくに、私の関心から、天皇制にかかるつぎの二首は、不勉強ながら初めて知った。
・おどろくばかり月日がたちて葉櫻の夜の壁に若きすめらみこと
(『詩歌變』不識書院1986年9月)
・迦陵頻伽のごとくほそりてあゆみますあれはたまぼこのみちこ皇后
(『黄金律』花曜社 1991年4月)
つとに有名な「日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係りも(『日本人靈歌』四季書房 1958年10月)も「皇帝ペンギンその後の日々の行状を告げよ帝國死者興信所」(『献身』湯川書房 1994年11月)と併せて読むと、菱川善夫が「皇帝ペンギン」を「天皇」と解釈していたの思い起こす。(マーカーの文字は、正しくは旧漢字)。『献身』の出版は、1994年、政田岑生が亡くなった年である。私が、『短歌と天皇制』(風媒社)を出版したのが1988年10月、昭和天皇重病報道のさなかであったが、政田さんから、塚本が『短歌と天皇制』を読みたいと言っているので、分けてもらえないか、という主旨の葉書をいただいたのは、出版から数年経っていたような気がする。私には、想定外のことであったが、慌ててお送りしたのだった。折り返し、礼状と共に『玲瓏』の最新号の2冊が届いたのだが、塚本邦雄が拙著を読んだか否かは不明であった。
話は飛ぶが、2016年5月の連休前に東日本大震災の被災地の石巻と女川を訪ねる機会があった。北上市の日本現代詩歌文学館にはぜひと思って立ち寄ったところ、なんと「塚本邦雄展」が開催中だったのである。思いがけないことだったが、会場には見学者もおらず、丁寧な展示には、少し緊張気味でみてまわったのであった。入手したカタログには、当時『ポトナム』の代表だった安森敏隆さんが『幻想派』のことを執筆していたのも初めて知った。この程度の関心であったのだが、今、そのカタログの塚本青史さんの「百首選」と先の林和清さんの「百首選」が微妙に異なったり、そして『現代短歌』の特集で、若い歌人たちがテーマごとに選んだ20首がときどき重なったりするのを楽しみながら読んでいる。


初出:「内野光子のブログ」2025.7.26より許可を得て転載
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〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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