一部の国、地域では紛争解決への兆しがないではないが、全体としては発展途上国の紛争も飢餓も一向に解消に向かう気配がない。当事国の多くの人達が紛争の終結を望み、飢餓のない生活を切望している。先進国の人達も切実さに違いはあったとしても、同じように思っている。にもかかわらず、こっちでちょっと落ち着いてきたかなと思うと、思わぬところで新たな紛争が勃発する。なぜなんだろうとつらつら考えていたら、次にのように考えれば、大まか説明がつくということに気が付いた。とんでもない誤解をしているかもしれないが、何度反芻しても、こうでも考えないと情況を説明できない。
多くの発展途上国で、権力と富を支配しているのは軍だ。紛争当事国の軍は紛争がなければ、収束に向かえば、その存在理由が希薄になる。存在理由が希薄になったらどうなるか?握り締めていた権力も富も、たとえ一部であったとしても手放さざるを得なくなるだろう。今まで持っていた権力や富をはい、そうですかって手放す人も組織も希だろう。どんなことをしてでも手放すまいとするだろう。
これは、決して国のレベル、政治の世界のことだけではなく、企業組織にも個人にもあてはまることなのではないかと思っている。経営層や管理層が昔取った杵柄を振り回し、若い人達の新しいやり方、提案を権力で圧殺しているような企業も多いのではないかと想像している。例として適切かどうかちょっと心配だが、七十年代、八十年代の高度成長期に営業としての基本を叩き込まれた五十代の営業部長、役員が昔ながらの足で稼ぐ営業活動以外の営業活動もあるなどということをたとえ、ぼんやりとは理解していたとしても、実質拒否しているんじゃないかと想像している。 現場主義などという旗印のもとに、二十代、三十代の営業マンに“お客様の生の声を聞け、お客様に行かずしてなんの営業か?営業は最低でも週三日は表にでろ。”などという激をとばしているのではないか?
カタログやら販売資料を持参して客を訪問するのはいいが、一日に何社訪問できる?交通手段がよくなったといっても、多くても三社、四社が限界だろう。ホームページにカタログ、その他の販売資料からなにまで作り上げ、有望客に電話を入れて、客にもホームページを開いてもらって、電話で製品、サービスを紹介したら、一日何件の客に営業活動ができるか?少なくても三社、四社じゃないだろう。全ての業界でこんな方法がとれるとは思わないが、もし三十代の若い営業マンが、この手の方法で営業効率を上げたらどうでしょうっていう提案を五十を超えた部長に進言したら、どのような反応が返ってくるか?“横着するな、営業はお客さまを訪問して。。。”なんてのが多いんじゃないか?若い人達にインターネットを活用されたら、自分の存在価値である昔取った杵柄が無用の長物になりかねない、苦労してやっとたどり着いた営業部長、役員の立場すらあぶなくなる。政治生命を賭けて若い人達の進言をつぶしにかかるだろう。
発展途上国の軍と昔取った杵柄を振り回すしか能のない経営陣が同類に見えてならない。 国、政治のレベルでは下からの革命もあるが、企業においてはそのようなものはない。企業においては、不幸にして今権力を握っている経営陣自らが変えなければ変りようがない。金融機関からの圧力がなければ変えられないとしたら、いったいなんの経営陣なのか?
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
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