天皇の被災地訪問って?

 4月12日、天皇夫妻は、能登地震被災地へ、二度目の訪問である。今回は穴水町と能登町であったが、被災地や被災者にとって、皇族たちの訪問に、いったいどんな意味があるのか。いつも考えてしまう。

 避難所で、天皇夫妻がひざを折って、被災者の何人かに声をかけている様子、その被災者たちの「うれしかった」「やさしかった」などの感想が伝えられた。犠牲者追悼の拝礼をし、避難所関係者・消防団員らを労ったという。二人のためにチャーター機を用意し、能登空港からは、マイクロバスや自衛隊のヘリコプターを乗り継いでの移動であり、能登町には臨時のヘリポートが作られた。それでなくとも、遅れがちな復旧や復興にブレーキがかからなかったのだろうか。ただでさえ、人手不足の折、警備や準備のための行政への負担を思うとなおさらである。皇族たち自身、宮内庁や石川県庁にそうした想像力はないのだろうか。

 天皇夫妻はじめ皇族たちが、被災地や被災者を心配し、早く立ち直って欲しいと願う気持ちは、理解できる。だからと言って、あたかも“災害出動”であるかのようなこのような訪問をあらためて考え直す時期に来ているのではないか。

 メデイアも、このような被災地・被災者見舞いの訪問報道は、いわばワンパターン化し、代表撮影の動画や画像のなかで、天皇夫妻は、おそらく、あらかじめ“選ばれた”被災者に、「腰をかがめて」「膝をついて」「目線を合わせて」声をかける。そして被災者たちに応答の一部を語らせ、感激ぶりが報道されるのである。

 こんなことが、皇室とメデイアの間で繰り返されるが、現実の復旧や復興が早められるわけでもない。多くの国民はどう見ているのだろうか。岸田首相が、支持率最低記録から逃げるようにして訪米しているさなか、あえてこの時期に実施されたことをも記憶にとどめておきたい。

<宮の杜公園のサクラ>

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スーパーの買い物前に、ときどき足を延ばしてのウォーキングコースの公園、なんとサクラは満開、ときは夕ぐれ。広場でキャッチボールをしている子供たちの声がするくらいで、出会う人もいない。もともと調整池だった公園の直ぐ際には、200戸ほどの中高層のマンションが建っている。地元の不動産会社によって区画整理組合方式の開発がなされたところで、工区に置かれていた廃棄物の処理、盛り土の安全性、隣接の住宅への日照権、工事車両の交通安全、工事中の騒音・振動などについて、自治会内の対策協議会は、不動産会社、工事会社と連日連夜?、ときには、市役所の都市計画課や市長を巻き込んで交渉したことなどを思い出す。あの頃は、住民も若かったし、サクラもまだ若かった。

初出:「内野光子のブログ」2024.4.14より許可を得て転載
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2024/04/post-811203.html

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座  https://chikyuza.net/
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