天皇はどこへ行く、なぜインドネシアだったのか

 4月以降、メディアにおける皇室情報氾濫の予兆を、以下の当ブログ記事はつぎのような書き出しで指摘していた。その皇室情報の実例を一覧にしていたが、6月中旬の天皇夫妻のインドネシア訪問を経て、さらに拍車をかけたようである。
「新年度4月以降、宮内庁に広報室が新設されたのと、Coronaが2類から5類に移行し、感染対策の緩和がなされたことが重なり、一気に皇室報道が目立ち始めた。」

宮内庁広報室全開?!天皇家、その笑顔の先は(2023年6月12日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2023/06/post-9183da.html

 印象だけに頼っていてはいけないので、数量的に示せないものかと、思案していた。最良の方法とは思えないが、いつもの悪いクセで、天皇記事大好きな?『朝日新聞』のデジタル配信記事とNHKの配信記事との統計を取ってみたところ、当初の予想とはかなり違っていた。その概略を、以下の表にまとめた。けっこう手間ヒマかかってしまったのだが、1・2の読み違いはご容赦ください。ここから見えてくるものは何か考えてみたい。

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 6月に、二つのメディアにおいて天皇家の記事が突出しているのは、6月中旬に天皇夫妻がインドネシアを訪問したからであり、天皇にとっては即位後初めての外国訪問であり、皇后にとって二人揃っての外国訪問は21年ぶりのであることが喧伝された。また5月に秋篠宮家の記事がやや多めなのは、秋篠宮夫妻が英国チャールズ国王の戴冠式に参列したためである。

 なぜ、インドネシアだったのか

 政府は、天皇夫妻のインドネシア訪問を6月中旬以降に予定していると、4月6日に発表していた。6月17日から23日までのインドネシア訪問が、正式に閣議決定されたのは6月9日であった。なぜ、インドネシアなのかは、日本との外交関係樹立65周年に当たり、ASEANN友好協力50周年に当たるからというものであった。「グローバルサウス」の主要国であるインドネシアとの関係強化、中国との関係での軍事的な連携などを強めたい政府の意図は明らかであろう。経済的にも、インドネシアには、日本からは多大の投資や技術援助がなされ、自動車や電気機器の市場であり、インドネシアからは、ゴム、液化ガス、パルプ、魚介などの天然資源を輸入している上、現地の安い労働力を利用する多数の日本の工場が進出している。我が家でもインドネシア産のエビが食卓にのぼるし、メイド・イン・インドネシアの下着なども見かける。セブンイレブンなどのコンビニ、吉野家や丸亀製麺などのレストランチェーンなどの進出も著しいという。

 そんな両国の関係を十分理解した上だと思うが、天皇は訪問前の記者会見で、室町時代にゾウがやってきたことや近くはニシキゴイの交配による交流についてはともかく、都市高速鉄道や排水事業、砂防事業などへの日本の技術援助や東日本大震災時のインドネシアからの支援などによる交流を強調していた(「戦後生まれの陛下 模索の旅」『朝日新聞』6月18日、「両陛下、あすインドネシアへ」『毎日新聞』6月16日)。

 しかし、私がもっとも関心を持ったのは、太平洋戦争下の1942年から、日本が占領していた時期、現地で強制動員された“労務者”や食料の強制供出などによる犠牲者とオランダ軍の捕虜4万人、オランダ系民間人9万人の強制収容による犠牲者たちに、天皇はどう向き合うかであった。太平洋戦争にかかわる歴史を記者から問われ、つぎのように答えている。
先の大戦では世界各国で多くの尊い命が失われ、多くの方々が苦しく悲しい思いをしたことを大変痛ましく思う。インドネシアとの関係でも難しい時期があった。過去の歴史に対する理解を深め、平和を愛する心を育んでいくことが大切ではないかと思う」

 「先の大戦では世界各国で多くの尊い命が失われ」と、問題を普遍化し、インドネシアとの関係では「難しい時期があった」とさらりとかわし、「痛ましく思う」「理解を深め」「平和を愛する心を育んで」・・・と、反省もなく「未来志向」へと“安全に”着地するのである。訪問先の日程を見ても、日本の占領下から脱し、再びオランダからの独立戦争による犠牲者たち、インドネシア人とともに闘った残留日本兵たちが埋葬されている「英雄墓地」には参拝するが、日本の占領下での犠牲者たちへの慰霊の言葉もなく、姿も見えない。ここには、日本政府の強い意図が感じられ、所詮、天皇は、時の政府の見えずらい籠の中の存在でしかないのではないか。

上皇夫妻報道と佳子さん報道は何を意味するか

 私がこれらの作業する中で、つぎに着目したのは、上皇夫妻のメディアへの登場とその頻度であった。いまの憲法上、天皇に格別の権威があるとは認めがたいが、平成期の天皇の生前退位表明以降、退位後の旧天皇「上皇」と現天皇の二重権威への懸念が取りざたされた。それを払しょくするために、なるべくひそやかに暮らすかに思えたが、どうだろう。上記の表で、天皇・秋篠宮関連以外の皇族たちの報道の半分、朝日の18件中9件、NHKの12件中6件が、上皇夫妻の記事であった。その大半は、5月中旬の奈良・京都訪問の記事であった。7月24日から28日までの那須御用邸での静養報道に先だって、上皇夫妻は、「お忍び」で7月6日正田邸跡地の公園、19日には、東京都美術館のマチス展・東京都写真美術館の田沼武能作品展に出かけているのを、朝日は報じている。「お忍び」と言いながら。宮内庁と朝日の見識を疑ってしまう。主催者の美術館にしてみたら、これとない宣伝効果が期待されるに違いないが、利用されていて良いものか。また奈良・京都訪問も、いわば後期高齢者のセンチメンタル・ジャニーかもしれないが、出迎える側の警備や準備の負担を考えてしまう。「葵祭」の際は、街中にテントまでしつらえての見学であった。
つぎに、全般的に、皇嗣秋篠宮関連報道に熱心なのがNHKだったと言える。次期天皇家を見据えてのことなのか、佳子さんの仕事ぶりをこまめに報じているのもNHKであった。若年層の視聴者を意識してのことなのか、とも思うが、皇室への関心がもはや薄れてしまっているなかで、どれほどの視聴効果があるのかは疑問である。

 週刊誌では、しばらく下火になったといえ、小室圭・眞子夫妻に関する記事は、いまだに続いている。ことしの3月、秋篠宮家は改修された住まいに移ったが、次女佳子さんが、仮住まいに住み続けているという別居問題がたびたび報じられ、宮内庁の対応の混乱も重なって、関連記事が増えた。朝日やNHKでも小さい記事となって報じられた。巨額を投じて改修した住まいに、自分の部屋がないから移る・移らない、工事費を節約したために生じた問題だとか、いまの若者たちの現実との乖離の大きさに気づかないのだろうか。
 なお、朝日新聞は、インドネシア訪問後の6月24日の社説で「天皇外国訪問 政府の姿勢が試される」が掲載され、「国益」を掲げて天皇や皇族を利用して疑念を持たれることのないようにという「警告」をするにとどめ、NHKは、この4か月間、社説とも言うべき「時論公論」や「視点論点」に、天皇に関する記事は見当たらなかった。

 憲法に定められた「国事行為」を超えて、「公務」をとめどなく拡大し、「私的」な活動も国費で賄われていることを知った国民は、やがて、天皇や皇室自体への疑問は増すばかりだろう。

 「国民に寄り添う」の名のもとに、国民の暮らしに何ら寄与しない、いや、差別や分断の根源というべき天皇や皇室自体の存在こそ、今こそ問われなければならないと思う。

 なお、昨年の同じ時期、2022年4月~7月の朝日新聞の皇室情報も調べていたので参考までに。まだコロナが2類の時期であったため総数は少ない。秋篠宮家が多いのは、4月の「立皇嗣の礼」関連の記事が多かったためである。
 記事総数70+総合記事9,天皇家24件、秋篠宮家26件、他の皇族20件であった。

初出:「内野光子のブログ」2023.7.28より許可を得て転載
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2023/07/post-1eb3c3.html

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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