天皇のペリリュー訪問に関して私はこれまで3本書いた。回り道ではあったが、私としては「最終回(4)」を含めてどうしても全部を書きたかったのである。是非、全4編をまとめて読んで頂きたい。
《天皇夫妻のペリリュー島慰霊訪問》
天皇夫妻は、2015年4月8日に羽田を立ち、同夜はペリリュー島沖に停泊中の海上保安庁巡視船に宿泊し翌9日に帰国した。その間にパラオ島(パラオ共和国)で、パラオ共和国大統領夫妻、同国の国民各層、マーシャル諸島共和国大統領夫妻、ミクロネシア連邦大統領夫妻、との親善交流を行いつつ、4月9日にペリリュー島で、村木厚子厚生労働事務次官の先導で戦争犠牲者慰霊碑への供花、慰霊の参拝を行った。前記の三国大統領夫妻、現地要人、日本遺族会関係者、戦闘に参加した旧日本軍兵士も共に慰霊に参じた。日本メディアは一斉に、天皇夫妻が「反戦平和」への熱い思いを示したと好意的な報道を行い、国民も大いに感動したと伝えた。当ブログでも、小澤俊夫さんが4月13日に懇到な文章を書かれた。管見の限りこの慰霊訪問に批判を示したのは「反天皇制運動連絡会」だけであった。
私自身は、小澤さんに共感する。現に私も最近2年内で天皇夫妻の発言や文章を知って、その歴史認識に対する肯定的な文章を書いた。しかし、村岡到氏の象徴天皇制論(季刊誌『探理夢到』、NO.13、2015年5月1日号)に触発されたこともあり、手放しの「両陛下礼賛」を再考して、新たな課題を意識するようになった。その課題は私の発見ではない。従来から多くの論者が発言してきた問題である。
《私の中に浮上した二つの問題―慰霊と天皇制》
問題とは何か。私なりの整理では次の二つである。
一つは、戦争犠牲者の慰霊・鎮魂の問題である。
二つは、天皇個人と天皇制の問題である。
天皇夫妻の言動は、戦争の原因や戦争の指導や戦争の責任には決して言及しない。天皇だけではない。それを報ずる人も論ずる人もだれ一人言及しない。それを言うと、戦争責任、とりわけ昭和天皇のそれに及ぶのを、皆が意識しているからである。「大東亜戦争」は、開戦権と停戦権を一人で保持していた裕仁天皇が、開戦を決め、戦争指導に深く介入し、停戦を決めて、敗戦となった戦争だからである。
戦争犠牲者の慰霊は、戦勝国と敗戦国とで異なる。
大義ある戦争と大義のない戦争。その死者をどう慰霊するか。そこに差異が生まれる。
悲しみと慰霊は共通する。そのなかで、大義ある戦死者に対して戦勝者は、併せて喜びと誇りと尊崇を感ずる。大義なき戦死者に対して、敗戦者には、悲しみだけがある。誇りがなく屈辱だけがある。尊崇がなく慰霊だけがある。
2015年5月20日、11ヶ月振りに行われた「党首討論」で、安倍晋三首相は、志位和夫日本共産党委員長の「あの戦争は間違った戦争なのか」という問いに答えることができなかった。「大東亜戦争」は、「ポツダム宣言」の受諾によって日本の敗戦に終わった。だから侵略戦争の敗北を認めたと同義であろうと迫った志位に、英霊に尊崇の念を抱いて靖国参拝する安倍がイエスと言えなかったのである。
断っておくが私は、大義なき戦争にせよ、敗戦は屈辱であり心地よいものではないと考えている。「負けて良かった」が、戦後の庶民感情だというのが通説である。私もそう思ったし、今でも思っている部分はある。しかし「負けて良かった」は「戦争はしたが負けて良かった」ということであり、戦争の起源には考えが及んでいない。そこで思考停止してはいけないのである。あの戦争で死んだ310万人の日本人が「負けて良かった」と聞いたら、笑いながら「その通り。負けて良かった」と同意するだろうか。
結論をいう。天皇は「負けて良かった」のか「悪かったのか」について一言も言わないのだから、我々が「負けたということはどういうことなのか」という課題に答えなくてはいけないのである。
《天皇個人と天皇制はちがう》
私は天皇夫妻の反戦平和への思いがウソだと思わない。二人には真剣な戦争の反省や平和への希求があると感ずる。しかしその事実と、天皇制の客観的な役割とは、誤解を恐れずにいえば、何の関係もないのである。
一つの現実的な仮説を立ててみる。
安倍政権が推進する戦争法案が国会を通れば、自衛隊(改憲後なら国防軍)は戦争のために派兵される。相手国と戦火を交えれば戦死者が出る。
現行憲法によれば、天皇のありようは「国民の総意」に基づく。戦争法案によって外交政策が変われば、天皇もその政策に従うことになるだろう。早い話、安倍内閣またはその後継者は「出征兵士壮行式典」や「戦没者慰霊式典」を開催するだろう。それへ天皇夫妻を呼んだときに天皇は拒否できるだろうか。天皇夫妻は、出陣兵士を激励し戦没兵士を顕彰するだろう。憲法の解釈によって「ペリリュー島での旧軍兵士慰霊」とは等価になる。平気でウソをつく安倍晋三にとってそんな解釈変更は些細な問題である。
出席せざるを得ないわけは、天皇家の唯一の使命は「皇統の維持」であり、その行動規範は、敗戦時に見るとおり何でもありだからである。安倍内閣はその戦争政策を「国民の総意」と言い募るであろう。2014年7月1日の「集団的自衛権行使容認」の閣議決定はその典型例である。象徴天皇制は、戦後版「天皇機関説」である。権力が、改憲後の「国防軍」の観兵式や観艦式での「機関としての天皇」の観兵を決めたら天皇は拒否できまい。
現在、天皇制を否定する政党は国会には一つもない。日本共産党も、将来的には共和制を展望しているようだが、現在の天皇制を認めており存否は国民が決めるといっている。
《天皇制への積極的発言が必要である》
天皇制は、敗戦直後にはイデオロギー闘争のなかで存在自体を問われたが、70年後のいまは定着している。中・長期的には、皇統の存続は可能かどうかという死活的な問題は厳存している。しかし明仁天皇夫妻に対しては、国民の大きな共感と相当程度の無関心が共存している。これが天皇制への今日の社会意識であろう。
天皇制の制度運用論などといえば、保守・リベラルの双方から、なにやら時代錯誤的と批判が出そうである。しかし、「戦後民主主義の嫡子たる天皇とその破壊者である安倍晋三」という構図は、制度運営の検証と改革なくしては持続不可能である。ペリリュー慰霊と戦争法案をみて私はそう考えるようになった。まだ思いつきのレベルである。しかし重要だと思っている。これで、長い「天皇夫妻のペリリュー訪問」は終わりである。(2015/05/21)
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