唐突な質問ですが、読者の皆様は、「レーション」(Ration)と云う言葉を御存じでしょうか。
和訳では、「一定配給量,定量」等とありますが、軍事用語では、前線で兵士に配給される携帯食糧のセットを意味します。 例えば、現米国三軍(海兵隊を入れて四軍)では、
MRE(Meals Ready to Eat)と呼ばれるレトルト主体の一食パックです。 この携帯食糧は、第二次大戦時には、K-Ration と呼ばれた缶詰主体の一日分のパックでした。 英軍にも同様のものがあり、ドイツ軍、イタリア軍にも見劣りはするものの兵士用の携帯食糧は備わっていました。
ところが、日本の陸海軍にはそのようなものが備わっていませんでした。 勿論、兵士が食糧無で戦闘に従事出来る筈も無いので、一応の配給が必要との認識はありましたが、各地の戦線では、一兵士当たりの定量確保は不可能でした。 その結果は、銃弾に倒れた兵士の数より餓死した兵士が多かったのです。 また、最前線でも飯盒炊飯しなければ何も口に出来ない始末で前線の兵士を余計に苦しめることに繋がりました。
私が高校在学時の恩師は、戦争末期のインパール作戦に従事されたのですが、その当時のことを話すのに顔を歪めて、「飢えた兵隊は、死んだ兵隊の死肉を喰った。 また、食糧確保のために同士打ちもした。」と吐き出されたことがありました。 生徒は、皆、沈黙したままでした。 また、亡父は、フィリピン戦線で塹壕に居た折には、「何も口に出来ず、自分の頬がこけて行くのを感じた。」と当時を思い出して数十年後になっても悔しそうでした。
レーションについては些細なことでは無くて、一事が万事、この始末であったのが当時の日本と日本軍の有り様であったのです。 その結末として、非科学的で精神主義に過ぎた欠陥のある国とその軍隊の代表的な愚劣極まる行いを大規模に戦争末期に行ったのです。
神風特別攻撃隊に代表される日本軍の非常理的な組織的欠陥を厳しく指摘した著書「失敗の本質―日本軍の組織論的研究」を御存じでしょうか。 私には、本書に挙げられた欠陥の数々は、現在も日本と日本人に纏わりついているように思われます。
戦争は、敵戦力を無力化し、自軍が受ける損害を最小限にしなければ勝利出来ません。
それが最初から自軍の損害は計算出来るものの、敵戦力の無力化は未知数で精神力のみで突撃せよ、とは軍隊がすることでは無くて、自殺者の集団です。 連合軍が、国際法に則った交戦規則を守らない狂信的・偏執的な行動をとる軍隊と受け止めて、徹底的な掃討作戦を実施した由来です。
ドイツ軍でもイタリア軍でも、無駄な抵抗はせず、自軍が圧倒されたと認識すれば降伏するのが常でしたが、日本軍は、狂信的な抵抗を軍事的には無意味になった段階でも止めず、自殺的行動をするのが常でした。 南洋諸島や沖縄での日本軍の狂信的な抵抗を観た連合軍は、日本が8月に降伏しなければ、恐らく主要都市に原爆を投下し、昼夜を分かたない空襲で日本全体を焼き尽くしていたことでしょう。
ところで、神風ではありませんが、一見して無謀とも思える攻撃を実施する国は、他にもありました。 英国です。 特種な攻撃専門の部隊(コマンド:後のSASやSBS)の編成も行い、ドイツ軍や日本軍に攻撃を行ったのです。
名高いものでは、チャリオット作戦(Operation Chariot)です。 この作戦は、サン=ナゼール強襲(St Nazaire Raid)とも呼ばれます。 英海軍とコマンド部隊に依るドイツ占領下のフランスはサン=ナゼール港の乾ドックに駆逐艦で突っ込み積載した大量の爆薬で爆破するとともに、コマンド部隊が港湾施設を爆破する計画でした。 作戦は成功し港湾を使用不能になったドイツ軍は、海軍艦船をドイツ本土まで迂回させることを強いられました。
余談ですが、この作戦を題材にした映画があります。 「封鎖作戦」(Gift Horse)と云う古い英映画ですが、生還が難しい困難な任務を、如何にも英国風に淡々と熟す軍人たちを描いて秀逸でした。 古い映画なので最初は、テレビの名画座で観たのですが、当時は、まさか実際に有った作戦を題材にしたものと思いませんでした。
この種の映画では、他に、「生き残った二人」(The Cockleshell Heroes)がありました。 英海兵隊コマンド部隊(後のSBS)がカヌーで敵港湾に侵入し爆薬を船舶に固着させて爆破する作戦でした。 これも実際に行われた作戦で、作戦名は、フランクトン作戦(Operation Frankton)でした。
同種の作戦は、日本軍占領下のシンガポール湾でも英豪軍に依り実施されました。 ジェイウィック作戦(Operation Jaywick)とリマウ作戦(Operation Rimau)でした。 二回目の作戦では実施部隊が戦死又は捕虜になり、捕虜は日本軍が殺害しました。 英豪軍の作戦実施部隊員は、兵士として勇敢であり祖国では英雄です。 本来ならば、彼等を英雄として遇して当然のところ無残にも殺した日本軍の無情な行いには忸怩たる思いです。
英軍は、サハラ砂漠でもドイツ軍の後背地で特殊作戦を実施しました。 実施部隊は「砂漠の鼠」と呼ばれた後世のSAS(英陸軍特殊空挺連隊)で、ロンメル元帥の殺害を意図した作戦も実施しました。 作戦は失敗しましたが、ロンメルは、戦死した英軍兵士を自軍兵士と同様に葬ることを命じたのでした。 また、ヒトラーの命に反して特殊部隊員の殺害は命じませんでした。 敵味方ともにロンメルの評価が高い理由の一つとされています。
軍事作戦の結果が生還不可能に近くとも、作戦成功の確率が高く、成功すれば戦果が見込めるものに志願して戦死することと、始めから戦死が確実で、しかも戦果を挙げることは不明なものとでは大違いです。 冷静に彼我の戦力と作戦実施の結果を研究し、戦果を挙げて、且つ、少なくても生還した兵士が居る英軍の作戦とではその思想が相違します。
こうして観れば、自ずと神風の評価は定まると思われます。 参加された兵士にとっては無念なことながら、私情としては忍び難いものですが、他の多くの戦前日本の悪しき因子と同様に清算しなければならない事象の一つと云わねばなりません。
ところが、先の投稿で批判しました「里山資本主義」に観られる如く、科学的原理の分析もせずに、悪戯に精神主義に走り、時代の進展に反するような神がかりの御託を並べる輩に靡く人々が多い今の日本では、零戦神話も神風神話も未だ永らえる運命になるのでしょうか。 これでは無残な死を遂げた特攻隊員の命が無駄になります。 決して彼等の後を追う者をこの国から出してはならないのです。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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