奥平康弘さん(憲法研究者)を追悼します

著者: 大橋圭一郎 : 「10・8山﨑博昭プロジェクト」事務局
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 「10・8山﨑博昭プロジェクト」の賛同人になっていただいた憲法研究者の奥平康弘さん(東大名誉教授)が2015年1月26日に急性心筋梗塞のため85歳で逝去されました。とても残念です。心からお悔やみ申し上げます。

 「10・8山﨑博昭プロジェクト」は、1967年10月8日の佐藤栄作首相の南ベトナム訪問を阻止しようとして展開された闘争の過程で、機動隊員の警棒の乱打によって死亡した山﨑博昭君(18歳)を偲び、その死から50周年となる2017年10月に追悼碑を建立し記念誌を刊行するという二つの目標のもと、昨年の7月に発足しました。

 この10・8羽田闘争は1960年代後半から1970年代にかけての反戦闘争の歴史においてとても重要な意味をもっています。闘争スタイルの激しさからいっても、日本人として自らの加害性を問うという思想的な面からいっても、そのご激しく展開された70年安保・沖縄闘争、全共闘運動(学園闘争)の嚆矢となる闘いでした。

 追悼碑は戦いの現場であり、山﨑君が落命した「弁天橋」(東京都大田区にあり、羽田空港に通じる橋です)の近くに建てたいと計画しています。土地の取得には多額の資金が必要になります。すでに多くの方からご賛同いただき、なかには極めて多額の賛同金を寄せていただいた方もいらっしゃいますが、これだけではまだまだ足りません。

 このプロジェクトの存在をさらに多くの方々に知っていただき、賛同していただくために昨年の秋にWebサイトを開設しました。未見の方はぜひ一度覗いてみてください。今月の中旬を目処にさらなるリニューアルも準備していますので、すでにご存じの方も時々チェックしていただければ幸いです。

 このWebサイトにはプロジェクトの「趣意書」、発起人(18人)の氏名、賛同人の氏名などが掲げられています。また、山本義隆さん(科学史家、元東大全共闘議長)が昨年の10月に行った「私の1960年代」と題する講演の動画もアップしました。山本さんは山﨑君と同じ高校(大阪府立大手前高校)の出身であり、このプロジェクトの発起人のおひとりです。

Webサイト http://yamazakiproject.com/

 賛同者はこの1月にようやく200人を超えましたが、奥平さんもそのうちのおひとりでした。

 昨年の7月に10・8山﨑博昭プロジェクトを立ち上げ、賛同人を募る活動のなかで奥平さんとお話する機会があったことが思い出されます。まず当プロジェクトへの賛同人依頼書をお送りした上で、事務局として9月10日にお電話しました。

 奥平さんは「夏の間は家にいなかったので依頼書は見ていない。溜まった手紙類が多いので、とり急ぎ趣旨を言ってください」とのことでした。趣旨をお話しすると、静かに聴いておられ、「ベトナム反戦の羽田闘争のこと、山崎君のことは憶えています。大きな事件でしたからね。趣旨は了解しましたが、賛同金を入れるということなら、文面をきちんと読まないといけないので、依頼書を再送してください」と言われました。

 そこですぐに賛同人依頼書を郵送したところ、ほどなく賛同金が振り込まれました。賛同人になってくださった方の中でも時期が早かったので、発起人の方たちもとても喜びました。

 奥平さんは憲法研究、とりわけ表現の自由と知る権利の研究における第一人者として多くの著作を発表されてきました。故加藤周一さんらと共に「九条の会」(2004年)の呼びかけ人に名を連ねるなど、護憲の立場から様ざまな活動を重ねて来られました。わたしたちとしても当プロジェクト賛同人としてのメッセージをお願いしようと計画していた矢先でもあり、なんとも残念でなりません。

 賛同してくださったことに感謝申し上げるとともに、改めて心からお悔やみ申し上げます。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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