女・母・家族を問う(3) ハリボテだった?! 日本の戦後の「恋愛結婚」  ―改めて、「結婚」って何だろう?

戦後の「恋愛結婚」の舞台裏
 前回、宗像充氏の『結婚がヤバい』を紹介した後、私は、これまた友人から牛窪恵氏の『恋愛結婚の終焉』(光文社新書、2023年)を「読んでみたら?」と勧められた。
 
 今さらではあるが、戦前の「家」制度の下では、「結婚」とは「嫁取り」であり、要するに「家の跡取り」を産むことが一番の目的であった。したがって、結婚しても子どもが授からなければ、それは「嫁のせい!」とされ「石女(うまずめ)」としてサッサと離縁された。
 それに対して、戦後の結婚制度は、表向き!「家制度」は廃止されたことになり、「個人と個人の結婚」とされ、「男と女の恋愛」による結婚(ロマンティック・ラブ・イデオロギー)が一般化した。そして、この「恋愛結婚型」(自称)が、1965年から1970年前後、数的にもかつての「見合い結婚型」を凌駕するのである。
 しかし、一方で、戦後の結婚制度も、「夫婦同姓」という型を残し、「氏を同じくする家族」という最小の「家」制度であったことが周知されていく。そのため、「男女平等」のスローガン通りの、対等な二人(多くは男女)の「生活の場づくり」という「結婚」の実態とは程遠く、戦前と同様、結婚する際は、大半の女が男の姓を名乗る(結局は、男の「家(氏)」に嫁ぐ)ことがごく当たり前に継承されたのである。
 さらに、二人の結婚による「二人の生活」なのだから、そこはまさにそれぞれに応じて多様であって当然のはずだったのに、ここでもまた(農業・自営業などの縮小もあり)、「男は外で稼ぎ」「女は家で家政を司る」という社会的「性役割」を余儀なくされ(あるいは当然のように受け入れ)、人々はそれを律儀にこなしたのである。そのため、そのような「結婚」を念頭に置く時、男が女に求めたものは、実質的な「家政や育児の能力」であった。そして、「一目ぼれ」あるいは何度目かのデイトの後、結婚に至れば、それは人生の一つの大きな「ゴール」であり、その後の「二人」の関係づくりは殆ど無視されるか問題にもならなかった。
 実際、男たちの目も関心も「外」に向けられ、男たちは、ごくごく当たり前に「釣った魚に餌はやらない!」と嘯(うそぶ)いてさえいた。
 他方、女の方は、結婚後の家庭生活の経済基盤が男の「稼ぎ」に左右される以上、男の「経済力」こそ、結婚相手の第一条件とせざるを得ない。そして、家庭内では、ほとんど存在感もなく役にも立たない男たちは、ただただ律儀な「働きバチ」あるいは「月給の運び屋」を続けてくれさえすればよく、その内には、「亭主、元気で留守がいい!」と女同士、囁き合い頷き合ってもいたのである。
 ただ、未だ若くエネルギーに満ち溢れていた女たちは、結婚後は当然のように「子づくり」を望み、子どもが生まれるや、その子を「社会的にも認められる」=「良い子」に育て上げようと、これまたひたすらに「母」役割に没頭した。
 こうして、戦後の高度経済成長期には、「性役割」に忠実な日本の家族は、外に出て働く男たちによって企業を支え、明日の労働力としての子どもたちの育ちを、「母」たる女たちが、ほぼ無償で支え続けてきたのは周知のことである。
 しかし、男女とも、社会的役割に忠実だっただけの「(恋愛)結婚」の只中で、男性たちの過労死や、妻たちの「思秋期」、母の「育児ノイローゼ」、「育児放棄」、さらには「児童虐待」など、1980年、1990年、2000年と、年を追うごとに目立ち始め、ついに重大な社会問題と化して現在に続いている。
 もちろん例外はありながら、私たちの多くは、戦後の「恋愛結婚」の虚構を、虚構と知りつつも律儀に生きて来て、いま、その「親密なはずの人間の繋がり」の空虚さに、改めて呆然としているのかもしれない。
 そして、私たちは、「恋愛結婚」という戦後の「幻想」を、もう一度「恋愛」と「結婚」とを切り離し、それぞれの正体を可能な限り問い続け、本当に必要なものは何か?・・・改めて探り出す時期なのではないだろうか。

『恋愛結婚の終焉』(牛窪恵)の統計から見えるもの
 本書では、これまでの「恋愛結婚」を改めて問うことはせずに、それがいかに虚構であったのか、そして実際にも「社会的終焉」を迎えている事実を明らかにしている。
 さらに本書では、カッコつき「恋愛結婚」の現実を取り出す手段として、総務省の「国勢調査」や、国立社会保障・人口問題研究所の「基本調査」、または政府各省の「白書」や民間の各種調査に基づく統計等々を積極的に取り上げている。
 その中で主だったものをいくつか紹介しておこう。
・ 「いずれ結婚するつもり」の回答割合・推移(18~34歳・未婚者)
 (2021年国立社会保障・人口問題研究所「第⒗回出生動向基本調査」より)
1982    男性 95.9%    女性 94.2%
1992    男性 90.0%    女性 90.2%
1997    男性 85.9%    女性 89.1%
2002    男性 87.0%    女性 88.3%
2005    男性 87.0%    女性 90.0%
2015    男性 85.7%    女性 89.3%
2021    男性 81.4%    女性 84.3%
 この調査の対象年齢が「18~34歳」と、「晩婚化」や「年齢にはこだわらない」時代としては、やや「若年世代」に対象が限定されている嫌いはあるが、それでも、「いずれ結婚するつもり」という前向きな結婚意志は、1982年の「皆結婚社会」を想像させる90%半ばから、2021年には、80%ギリギリにまで低下している。ただし、逆に言えば、いまだ「8割」あまりの若い未婚者の「結婚願望」を知ることができる。そして、「ナンダナンダ、まだまだみんな結婚を望んでいるのだ・・・」と、どこかで「心配するには及ばない・・・」と脱力するのかもしれない。
 しかし、この同じ調査を、「一生結婚するつもりはない」という回答に焦点を当てれば、次のような数値となる。
・ 「一生結婚するつもりはない」の回答割合(18~34歳・未婚者)
1982    男性  2.3%    女性  4.1%
1997    男性  6.3%    女性  4.9%
2002    男性  5.4%    女性  5.0%
2005    男性  7.1%    女性  5.6%
2015    男性  12.0%    女性  8.0%
2021    男性  17.3%    女性  14.6%   
 以上二つの回答は、「結婚」に関して、前向き意見と否定的意見、プラスとマイナスとなっているが、ただ、「いずれ結婚するつもり」という意見は、どこか茫洋とした希望も含まれ、それに対して、「一生結婚するつもりはない」の方は、かなりかっちりとした意志を感じさせられる意見である。とりわけ2000年代半ばからの増加は顕著であり、この「結婚消極派・無用派」の動きには要注意だろう。
 
 ところで、上記二つの調査は、18~34歳の未婚男女を対象としたものであるが、さらに、45~49歳および50~54歳の、「実際の未婚率」の推移も参考に挙げてみよう。
・ 生涯未婚率(45~49歳、50~54歳の未婚率の平均値)
 (2020年総務省「国勢調査」より)
 1960    男性  1.3%    女性  1.9%
 1970    男性  1.7%    女性  3.3%
 1990    男性  5.6%    女性  4.3%
 2000    男性  12.6%    女性  5.8%
 2010    男性  20.1%     女性  10.6%
 2020    男性  28.3%    女性  17.8%       
 もっとも、人生90年、あるいは100年とまで言われている今日、50歳半ばは未だ壮年である。「未婚率」を50歳半ばで切り取るのは異論があるやもしれない。しかし、参考までに次の調査を上げてみよう。
・ 未婚の男女(18~34歳)の「恋人ナシ」(「第16回出生動向基本調査」)
  1982~92 平均    男性 44.2%    女性 36.2%
  2021        男性 72.2%    女性 64.2%
 考えてみれば、「恋人が居るか否か」という調査自体が、ある意味「立ち入り過ぎ」でもあり、疑問でもある。そのような調査に、なぜ答えなければならない?とソッポ向く男女が居てもおかしくはないだろう。ただ、そのような疑問を抱えながらも、若い未婚の男女の「恋人ナシ」の6割強から7割を超える直近の数値は、やはり衝撃的である。
 「人」と「人」との関わりの中で、好ましい人、頼りになる人、気になる人、放っておけない人、心配な人、近づきたい人、一緒に活動したい人・・・etc.そのような「近しい友達」がいつしか「親友」になったり「恋人」になったり、あるいは何度も悲しく苦しい「失恋」をも経験したり・・・それが「青春」ではなかったのか。
 しかし、戦後の「恋愛結婚」という社会イデオロギーは、実際は、丸ごとの人間との付き合いを導くのではなく、「役割・条件」を判断する「選択」であり「生活の方便」だった。だとすれば、これからの「結婚」希望者は、迷うことなく、「条件」=家族構成、身長・体重、血液型(?)、学歴、職業、年収、趣味・・・を盛り込み、さらに膨大なデータを蓄積可能なAIによる「婚活アプリ」や「マッチングアプリ」を利用するようになっていくだろう。そのような方法で「マッチング」され「組み合わされる」「二人」とは・・・?さらにその後営まれる「結婚生活」とは?
 戦後の「恋愛結婚」の「終焉」の後に、私たちは、果たしてどのような「人間と人間の関わり合い」を築こうとしているのだろうか。あるいは、そのような問題意識や悩みや苦労などは捨て去って、「アプリ」による組み合わせの妙に感激し、それを単純に楽しんでいくのだろうか。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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