子安宣邦 on Twitter 10月6日─領土問題、東アジアの新たな〈平和〉、戦後的体制の転換

10月6日

TBSのサンデーモーニングをわりあいよく見ている。国際問題などについての自分の考えをまとめる上で参考になる。領土問題をめぐる今朝の議論は、緊迫的停滞といった現状通りに議論も停滞していた。諸論家も匙を投げたというのか、様子見というのか、積極的な言葉をもたないというようであった。

たしかに領土問題の推移について人はコメントしえても、この見通しをいうことはできない。ただ私は領土問題は2012年の今、殊更に引き起こされているという感を強くしている。歴史問題に結びつけて領土問題を声高にアメリカで宣伝したりすることは、領土問題が殊更であることを自ら証明している。

ではこの殊更な領土問題をどう読むか。私は東アジア世界の変動の始まりとして読むべきだと思う。いかなる変動か。それは日(経済力)米(政治力・軍事力)関係を軸に保たれてきた東アジアの〈平和〉の変動として。だから領土問題の見通しは東アジアの新たな〈平和〉をどう築くかという方向にしかない。

次期政権を担うかも知れない安倍ら5人の自民党総裁候補が、いずれも領土問題への対応として日米関係の再構築をいっていたが、この後ろ向きの、逆行的な姿勢に恐ろしくなる。東アジアの平和はその方向にはもうない。われわれが直面する危機はそのことを教えているのではないか。

日米関係を軸とした戦後的体制の転換という問題に、領土問題を通して迫られているのではないか。領土問題だけではない、沖縄の問題も、そして原発問題も、その終局的な解決の見通しは、あの戦後的な体制の変換なくしてはないことが、問題の累積の中から明らかになってきたように思う。

だからオスプレイ配置に反対する沖縄の声も、反原発の声も、領土問題の平和的解決を要求する声も大きく重ねていかなければならないはずなのだ。そこからすれば「シングル・イッシュ」としての反原発運動は、原発体制という既存の体制の中に逃げ込もうとする政権を追い詰めることはできないのだ。

原発体制とは既存の日米体制(安保体制)である。領土問題が生じた時、多くの人が原発問題を隠すためだといった。今の事態を見れば、その危惧通りになってしまっているようだ。それは原発問題、沖縄問題、そして領土問題の背後にあるのは一つの問題だということを見抜けなかった我々の責任だろう。

<子安宣邦氏より許可を得て転載>

子安宣邦氏のツイート https://twitter.com/Nobukuni_Koyasu

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion1029:1201009〕