4月21日
「主権回復式典」をめぐって、サンデーモーニングで寺島が、日米関係の強化をいいながら、日本の主権回復61年を祝おうとする安倍の本意がどこにあるかを危惧するアメリカの識者の声を伝えながら、同じ疑問をのべていた。これはもっともらしく聞こえながら、まったくボケた認識だ。
1952年4月28日とは、対日平和条約の発効した日であるとともに、日米安保条約と米軍の軍事基地使用をめぐる日米行政協定も発効した日である。日本の主権の回復は、アメリカへの軍事的従属と抱き合わせである。この日が屈辱の日であるのは、沖縄だけではない、本土のものにとってもそうなのだ。
あのころ誰が日本の主権の回復、日本の自立を信じたか。別の形の占領の継続、あるいは自立の名をもった従属の始まりを思っていただけである。52年の春、大学2年の私は破防法反対闘争に加わっていった。破壊活動防止法とは、占領軍に代わって国内の治安維持にあたる日本政府が必要とした立法である。
52年の私は破防法反対闘争に、やがて内灘や妙義山などの基地反対闘争、再軍備反対闘争にかかわっていく。主権を回復した日本とは、私たちには日米軍事関係のもとで、再軍備・改憲に向かう日本として認識されていたのだ。明白ではないか、主権回復61年を祝う安倍の本意とは。
1952年の日本の主権回復を、2013年に安倍はもう一度主権回復を祝うことを通じて成就させようとしているのである。一つは日本をアメリカの集団的自衛権を行使しうる軍事同盟国にすること、もう一つは解釈改憲的日本を明文改憲的日本にすることである。そのために天皇を利用することも辞さない
4月15日
先週土曜日「歎異抄の近代」講座で「暁烏敏」について話した後の居酒屋での雑談で、「よく嫌な男について書けますね」と皮肉めいた感想をいわれた。たしかにほとんどが嫌悪感をもつ怪物的な説教師について、挫折しかかりながらよく書くものだと自分ながら思う。だが嫌な奴だからこそ書くのではないか。
私は宣長について何冊も書いてきた。宣長が好きだからではない。同時代に生きていたらこんな嫌な奴はいないだろうと思う。だがこの「宣長」を、「宣長の古事記」を何とかしなければ、国学も、日本思想史も、日本・日本語も明らかでないと思われた。好きでない宣長と格闘した。私は方法的に鍛えられた
『宣長の古事記注釈とは何か」と格闘することで日本への、日本語への方法的視点を確立した。宣長が好きだったら私にこのような格闘は生じなかっただろう。私はいま嫌な暁烏と格闘している。ときどき投げ出したくなる。だがこの格闘によって「歎異抄」の近代が、「悪人正機」の近代が見え始めてきた。
4月10日
『文化大革命の遺制と闘う』(社会評論社)をいただいた。これは中国の「文革」の研究者で、民主活動家である徐友漁氏の北大におけるワークショップの記録を中心に編集されている。中国における政治的大惨劇「文革」は終えられていない、それは国家権力によって歴史から消され、隠されているだけだ。
「文革」を終えていない中国の問題は、重慶に毛沢東主義を再来させた薄熙来事件によって、昨年の毛沢東像を掲げた反日デモによって知ることが出来る。権力が腐敗し、社会的不均衡が増大する中国で「文革」というファッシズムが大衆的要求を吸収して共産党権力内部から引き起こされる可能性があるのだ。
中国の政治社会の帰趨は、直接に東アジアのわれわれの生活と存在にかかわる問題である。中国の民主化とはただ中国的課題としてあるのではない、それは東アジアのわれわれの課題としてもあることを認識すべきである。この問題に鈍感であることは、日本の戦後知識人の痼疾といってよい。
いま「文革」的ファッシズムを危惧するのは、中国においてだけではない。日本人はいま日銀をもまきこんだアベノミックスという国家主義的な大バクチ的経済政策に身をまかせてしまっている。だがやがてもたらされる社会的悲惨に直面したとき、何が待ち受けているのか。橋下的ファッシズムではないか
3月31日
人の厚意と配慮をえて『論語塾』の会場を決めることができた。市民講座「伊藤仁斎とともに『論語』を読もう」を4月27日から開講する。『論語』とは人生の折節にただ思い浮かべるだけの教訓書ではないし、あるいは儒教教義の重々しい経典として歴史の中に置き忘れてしまえばよいものでもない。
孔子以前に人間の「知」「学」「信」「徳」「政」などとは何かを問うたものはいない。孔子は少なくとも東アジアの漢字文化圏で始めてそれらの問いを立て、答えていったのである。『論語』のこうした原初的な問いと答えは、現代のわれわれにそれらの根底的な問い直しを迫る力をなおもっている。
伊藤仁斎の古義学とはそのような『論語』の本来の意義を読み取ろうとした学である。仁斎とは日本における最初の『論語』の体系的な解釈者として重要であるだけではない。江戸時代17世紀京都の市井の学者であった仁斎は、治者階級に属さない民の立場から『論語』を読み通したのである。
私がいま『論語塾』で「伊藤仁斎とともに『論語』を読もう」とするのは、仁斎の志を継いで『論語』を読むことが市民講座にもっとも相応しいと考えるからです。仁斎『論語古義』を私が現代語訳し、解説していきます。老若・男女・予備知識の有無にかかわりなく自由にご参会下さい。詳細は私のHP参照
http://homepage1.nifty.com/koyasu/lecture.html
3月27日
『imago』の「V.E.フランクル」の特集号(「それでも人生にイエスと言うために」)が出た。生きることの意味を見失いかけているわれわれに、いや人生に絶望するようにしか人生の意味を問うていないわれわれに、そのように人生を問うことの誤りをフランクルはいうのである。
フランクルはいう。「人生の意味を問うことは、私たちには許されていないのです。問いを出し、私たちに問いを向けるのが人生なのです。私たちは問われる存在なのです。答えなければならないのは私たちです。」
「生きること自体、問われることに他ならないということであり、私たちの存在はすべて、答えることに他なりません。そしてそれは生きていることに責任をもって答えることなのです。」人生にその意味を問うべきではない。現在の生を生きることによって意味への問いに人は答えねばならない。
〈人生問題〉のコペルニックス的転回ともいうべきフランクルの言葉は、生きることの意味を見失いかけている老人の私にとって、そして歎異抄と暁烏の〈人生問題〉を考えている私にとって貴重な教えであった。引用は同誌に載るフランクルの「実存分析と時代の問題」より。
子安宣邦氏のツイート https://twitter.com/Nobukuni_Koyasu
※本人の許可を得て転載。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion1254:130421〕