「学ぶってなんと素晴らしいことだろう」。その映画を見終わった時、私の心を満たしたのは、そんな感慨だった。その映画とは、通信制中学校で学ぶ高齢者たちを追ったドキュメンタリー映画『まなぶ 通信制中学 60年の空白を越えて』(92分)で、11月16、18の両日、東京都千代田区の日比谷コンベンションホールで有料試写会があった。
『まなぶ 通信制中学 60年の空白を越えて』をつくったのは、映像ディレクターの太田直子さん(埼玉県蕨市)である。
太田さんは、2010年に埼玉県立浦和商業高校定時制の授業と生徒たちを記録した『月あかりの下で~ある定時制高校の記憶』(製作著作・グループ現代)を発表、文化庁文化記録映画優秀賞、平和・協同ジャーナリスト基金賞荒井なみ子賞などを受賞したほか、日本映画ペンクラブ文化映画部門で 第1位に選ばれた。
それに次ぐ作品がこんどの映画で、東京都千代田区立神田一橋中学校の通信教育課程に学ぶ高齢の生徒たちの姿を、2009年から5年かけて記録したものだ。太田さんは監督、撮影、語りを務めた。
私は、夜間中学があることは知っていた。それを舞台とした劇映画やドキュメンタリー映画を観たことがあったし、それに誘発されて都内の夜間中学を訪れたこともあった。が、通信制中学という学校があるとは知らなかった。だから、大いに興味をそそられ、試写会場に出かけた。
第2次世界大戦後、日本の学校制度は大きく変わった。1947年4月に始まった新しい学校制度では、義務教育は9年になった。小学校6年、中学校3年である。
太田さんによると、敗戦直後は社会が混乱していたため、さまざまな事情で中学に進学できなかったり、進学しても途中で辞めざるを得なかった子どもがいた。このため、そうした子どもたちのためにつくられたのが、中学校の通信教育課程だった。当時は全国各地に設けられたが、その後、対象者が激減し、現在では、神田一橋中学校を含め全国で2校だけという。
神田一橋中学校の通信課程の生徒は、月に2回の登校、つまり年間20回程度の面接授業(スクーリング)と、与えられた課題にレポートを提出するための自宅学習を通じて学ぶ。
太田さんは、戦争直後の混乱や家庭の事情により学齢期に中学校を卒業できなかった60代から80代の男女6人の学習ぶりと家庭生活をカメラで追い続けた。
映画は、都心の千代田区一ツ橋にある神田一橋中の校舎に登校してくる高齢者たちの登場で幕を開ける。喜々とした高齢者たちの明るい表情。高らかにあいさつを交わし、談笑する高齢者たち。その後、映画は、教室で先生を相手に英語や、国語、理科、習字、体育などを学ぶ少人数の高齢者たちの様子を映し出してゆく。太田さんは、彼らにカメラを向けながら、学齢期に中学を卒業できなかった理由を語らせる。
家が貧しかったので、家計を助けるために小学校卒業と同時に奉公に出された人。やはり、家がまずしかったので、家事や育児を手伝わなければならず、そのせいで学校に通うのが難しくなった人。障害が理解されないことから孤立し、60歳になるまで自宅に引きこもっていた女性・・・
中学校で学べなかった悲しみもまた深かった。「学校に行かずに子守りをしていた時、学生服をきた集団とすれ違い、思わず隠れた」と話す女性。「制服の生徒や修学旅行生を見ると惨めな気持ちになった」と語る人。国民学校初等科を終えた後、職人として50年働いた男性は、中学校に通えなかったのに、学生服を着て撮った写真を大事に保管していた。「憧れていたんですよ」。学生服を着て映画を観にいったこともあったという。「その方が安かったし」
中学で学べなかったことを残念に思う気持ちが強ければ強いほど、「歳とってからでもいい。何としても中学で学びたい」という気持ちが募るようだ。そうした高齢者の思いが、ひたひたと画面から伝わってくる。それとともに、「何としても中学を卒業したい」という願いの奥には「学歴がないために世間から差別された」という思いもあることが、画面から伝わってくる。
映画の後半は、同中学校で学ぶ2人の生徒の追跡が中心となる。
その1人、12歳で奉公に出され、他人と関わることが苦手だった70代の男性は、学習の甲斐あって卒業証書を手にする。監督のインタビューに「これまでは、自分の考えしかなかった。教育を受けていないから世界が狭かった。分からないとだらけ、知らないことだらけだった。しかし、ここで学ぶことで、自分が豊になった。これまで見えなかったことが見えてきた」と語る。
もう1人の、病に倒れた夫の介護を続けるかたわら、自身もうつ病を患いながらスクーリングに通って卒業証書を手にした女性は「学校にいると、青春になっちゃうの」「とにかく楽しかったわ」と笑う。
この2人は卒業後、都立高校を受験し、ともに合格する。
2人の発言は、まことに感動的だった。「学ぶこと」の意味を観客に示してくれたように思えた。2人が言いたかったのは「教育は人間を豊にする」ということではなかったか、と思った。
太田さんも、会場で配られた「監督のことば」の中で、こう語っている。
「カメラを向けながら、けらけら笑うおばあさんたちが、そのまま十代の少女のようにみえることがありました。自分の子どものような年齢の先生に注意されて小さくなったり。そんな姿をみてあらためて思うのは、『学校』という場の大切さです。教える人がいて、学ぶ人たちがいて、学ぶ何かがあって。そこでは、学ぶ人はみな自分なりに、自分を磨くためだけに学ぶ。その場所の意味を通っていた頃は感じませんでしたけど、『学校』って自分を育てるために行く場所なんだ、と」
それにしても、映画を見終わった後、映画に登場していた高齢者が学齢期に中学校に通えなかったことの背景に「戦争」と「貧困」が濃い影を落としていたことが、強く印象に残った。
例えば、ある女性は、人並みの生活をしていた家庭に育ったが、37歳で召集された父親が南太平洋の島で死亡(餓死)したため、残された一家は貧窮に陥った。彼女は家計を助けるために働かざるをえなくなり、国民学校高等科を中退、子守奉公に出た。「同級生の多くが新制中学に編入して行ったのに、自分は勉強できず悔しかった」
戦争が、多くの子どもたちから「学ぶ機会」を奪ったという事実に胸が痛んだ。決して戦争を繰り返してはならない。改めてそう思った。
『まなぶ 通信制中学 60年の空白を越えて』のモーニングロードショーが2017年3月25日(土)午前10時30分から、東京・新宿の「K’s cinema」(03-3352-2471)で行われる。問い合わせはグループ現代(03-3341-2863)へ。
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