学問の道を歩む―2―

 むかし、マルクスがもてはやされていたころ、マルクスはいつマルクスになったか、という問題が真剣に議論された。①或る人は、経済学哲学草稿のとき(1844年)と言い、②或る人はドイツ・イデオロギーのとき(1845~46年)と言い、また③或る人は資本論第一巻のとき(1867年前後)と言った。さらには④ヴェーラ・ザスーリッチへの手紙(草稿)からラボック著作摘要のころ(1881~1882年)と言う人もあった。しかし、その最後のは、マルクスが亡くなる1年前である。それはおかしいでしょ、もう老衰状態で判断力を失っているころでしょ、という感想が聞こえていた。

 1818年生まれのマルクスは1883年に没する。それは60歳代半ばである。さて、私はどうか。そろそろ60歳代半ばにさしかかる。耄碌したか、いやしていない。よって、マルクスがいつマルクスになったか、の選択肢から④を削除してはならないと、いまにして実感することになった。私は、2004年からJ・G・フレイザー『金枝篇』(全10巻中、ただいま6巻目を校正)の完訳版を監修しているが、その際に参考とする資料に、わが学問人生の揺籃期(1970年前後)に執ったモーガン・エンゲルス摘要などがリアルに存在している。その筆跡は若々しい。しかし、摘要のモチーフで判断すると、それはつい昨日のメモと勘違いするほどである。老いと学問(修養)は単純な比例関係にはないようである。身体の老いは隠せるものではないが、精神の若々しさも隠せるものではない。

 ところで、先般「学問の道を歩む」で述べた事の繰返しだが、マックス・ウェーバーは、『職業としての学問』の中で、学問する意義に触れてつぎのような発言をおこなっている。学者は、全力を尽くして一つの学問上のErfuellung(達成・成就)を為すことを使命としているが、しかしそのエァフュールンクは、つねに、彼のあとに続く研究者への「問題提出」となり、後継者による乗り越えの目標ともなる。したがって学者の仕事は事実上終わりというものをもたない、と。ウェーバーのこの言葉は実に含蓄がある。学問研究に携わる者は、自己の仕事の完成に意を払いつつ、同時にそれがいつしか他者に乗り越えられ時代遅れになることを覚悟し、時にはそれを切望さえする。真摯な学問研究には、そのようなパラドキシカルな姿勢が要求される。

 数人いる私の恩師は、いまではすべて亡くなっているが、いずれも、意識なくなるまで研究を続行していた。私の場合も、加齢のみで学問探究心がなえるとは、考えられない。

 〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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