学術会議会員任命拒否撤回を求める4つの文章

著者: 青木茂雄 あおきしげお : 元高校教員
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A.新聞投書

「憲法15条を首相による任命権の根拠としてはならない」

 

その下書き

6名の学術会議会員の任命拒否が大きな問題となっている。11月8日に続いて、14日にも東京新聞がスクープした。

学術会議会員の首相による任命権に関して菅首相は、その憲法上の根拠として、憲法15条をあげている。しかし、15条は国民主権の原則に基づく公務員の選定罷免の国民の権利を定めたものであり、首相は特別職の公務員として選定罷免される側であり、どう考えてもおかしい。しかし、詳しく見るとどうもそれだけではないようだ。

内部文書によれば、憲法15条の原則により、国民から付託されて任命の権限と責任を負うという趣旨のようである。

つまり、任命権を国民から委任(権限を授けられ)されており、その委任を根拠に任命権を行使しているという論理構成である。

驚くべき解釈である。これは、かのナチドイツの“授権法”と同じ論理である。

 

朝日新聞に投書(採用されず)

“国民による公務員の選定罷免の権利”にあるとしているが、どう考えても納得できない。15条は、国民主権の原則に基づく国民の権利を定めたものである。特別職公務員の内閣総理大臣は「選定罷免」される側であって、「選定罷免」する側ではない。「選定罷免」する権利があるとしたら、それは内閣総理大臣という立場を離れた一国民としての立場以外にはあり得ない。

もし、この理屈を認めたとするならば、内閣総理大臣が国民から付託を受けたとして、特別職を含む全公務員の「選定罷免」の権限をも得ているという理屈も成立してしまう。こういうことが日常的に行われるようなれば、それはもうほとんど独裁国家である。三権分立も危うい。かつてのドイツで猛威を振るった「授権法」が想起される。

内閣法制局は、憲法15条の、このように危険な曲解を即刻撤回すべきである。

 

 

B  「学術会議会員任命拒否に断固抗議し、学問と教育の自由を守るアピール」

11月19日に都庁前集会で個人アピールを行った。

 

菅政権の危険な本性が日増しにあからさまになりつつある。学術会議会員任命拒否は、権力の行使を究極の目的とするこの政権の本質を白日のもとにさらけ出した。この暴挙に断固抗議し、撤回を求める。

学問や教育、およそすべての文化活動はそれ自身の価値に基づいて行われるべきものであり、政治権力なかんづく国家権力からは独立していなければならない。これが自由で民主主義的な社会の根本原則である。行政が行うべきは、活動に対する条件整備であって、内容にあれこれと干渉し支配することではない。

しかし安倍・菅政権は、この根本原則を破壊し、教育など様々な文化活動を、自分たちの野望実現のための手足とすることに、この8年間、血道をあげてきた。国家主義的・復古主義的外観が看板であった安倍政権から譲り受けた菅政権は、加えて「力で脅す」という権力の行使を、躊躇せず、より一層の「スピード感」をもって実行しつつある。

学術会議会員の任命拒否の「理由」も説明できず、苦し紛れの「言い訳」も至るところで破綻しているにもかかわらず、学術を権力で支配しようという野望と強い意志だけは一貫している。

「内閣人事局」で官僚を人事面で縛りあげ、中教審など既存の審議機関を、内閣直属の「実行会議」の下部に置くことによって骨抜きにし、教育に対する支配を完成させた。また、NHKを報道機関から政府の広報機関に変え、民間放送局の放送内容や中枢スタッフに介入し、そして仕上げとしての憲法改悪策動。そういう安倍の権力政治の中枢にはこの人物、菅義偉(よしひで)がいた。

安倍・菅政権は日本銀行や内閣法制局などのような独立性の高い機関を人事面から支配し、政権の野望の手足とした。そして、現在は司法にまで及んでいる。

そして、最後の「聖域」が彼らの及ぶことのできなかった「学術」であったのである。学術会議会員任命拒否は、このような安倍・菅政権の一連の野望の到達点である。しかし、と同時に次なる策動の出発点でもあるということを見なければならない。

ひとつは、来年の通常国会で争点となることが間違いない「デジタル庁」である。利便性という言葉に惑わされてはならない。これが、マイナンバーを使った国民総管理を目的としていることは明らかである。まだ構想の全容は明らかになっていないが、国家権力によるインターネット社会の統制や国内外の軍事的対応とも密接に関連してくると見なければならない。学術会議の骨抜き、改編はそういう中で行われようとしているのである。技術面でも、イデオロギー面でも、この国の《学術》全体が大きな転換点に直面させられているのである。

そして、もうひとつが、憲法15条の解釈改憲による「全権委任」の策動である。国民主権の原則に基づく公務員の選定罷免の国民の権利を定めたこの条文を逆用して、“国民から付託された”首相に特別職を含めた全公務員の任命・監督権があるという驚くべき「解釈」をしているのである。この考えは、かのナチ・ドイツのもとで猛威を振るった「全権委任法」すなわち「授権法」と同根のものである。

「憲法15条を根拠に」、というのは国会で「任命拒否」の理由を追及された菅が、苦し紛れの思いつきで言い出したのではない。2018年にすでに政府部内で確認され、内閣法制局の公式見解となっているのである。このような「見解」を追認した内閣法制局を断固糾弾する。

学問や文化の自由という、これまで広く認められてきた当然のことが、安倍・菅政権なかんづくこの菅政権のもとで危機に瀕している。

しかし、ここが正念場である。我々は、菅政権に断固抗議し、我々の生命や教育の自由とともに、学問・文化の自由をも最後まで守り抜くことを決意し、ここにアピールする。

2020年 11月19日  青木茂雄

 

C.東京新聞の記事への意見

11月末頃から、学術会議の「見直し」論が盛んに新聞に載るようになる。「任命拒否」から目をそらす目的だが、それ以上に一気に学術会議解体の攻撃をしかけてきた。

しかも、「独立」という名目で、一気に行ってしまおうとしている。危険な動きだ。大手マスコミも乗せられてしまっている。

 

「学術会議会議 独立検討を」の記事について    FAX送信

11月27日付け東京新聞朝刊の一面の「学術会議会議 独立検討を」の記事を読みました。この見出しを見て、最初のに頭をかすめたのは「学術会議独立」良いのではないのか、という印象でした。

そして、次に東京新聞ともあろうものが、学術会議会議問題で政府側に加担するようになったのか、と思って、東京新聞までもが、とびっくりました。何しろ、産経新聞を始め、保守系メディアは「学術会議の問題点をえぐる」のオンパレードですから。その論調のひとつが、「学術会議を政府機関から外して民営化しろ」というものです。

しかし、読んでみるとまったく逆の内容ですので一安心しました。

とは言え、この記事の取り上げ方には不満というよりも問題を感じます。

第一に、井上科学技術担当大臣が学術会議の梶田会長と秘密裏に会談し、学術会議の組織上の問題を検討するように要請した、という点です。これは、学術に対する政治的圧力意外のなにものでもありません。秘密裏に会合をもち、非公開にする一方で、一方的に記者団に語ったのです。私は、この場面を想像して怒りが込み上げてきました。東京新聞の記者さんは、そのように感じなかったでしょうか。担当大臣の「学術会議の独立」を選択肢のひとつとして検討するように迫った、とのことですが、これは体の良い“最後通告”ではないですか。

言うことを聞かなければ学術会議を潰すぞ、と言っているに等しいのです。担当大臣側はすでに学術会議側に「軍事研究に踏み込むこと」を執拗に要求しています。朝日新聞の社説でもその問題点をとりあげています。このこと、今回の「独立検討」記事とをつなぎ合わせてみると、政権側の意図がありありと解るではないですか。

梶田会長の記者会見の内容も最後に載せていますが、もの足りません。「教え子云々」の問題以上に、学問の独立性が今危機に瀕していることを何よりも訴えなければならないのではないでしょうか。

もちろん、新聞記事であるからには、客観性が何よりも要求されます。しかし、どんな客観的記事も、取り上げ方ひとつで、如何様にもに転ずるとは、取材のプロである記者さんたちには百も承知の上とは思いますが。

青木茂雄

 

D.学術会議事務局(FAX03-3403-1260)への意見。

 

学術会議会員任命拒否に抗議し、学問の自治と自由を強く求めます。

 

12月4日の菅首相による記者会見のテレビ中継を見て怒りがこみあげてきました。

6人の会員任命拒否については、例の通り「人事に関すること」を理由に一切答えず、そして学術会議が閉鎖的な既得権益の集団であるかのような言辞を吐いて、会議を誹謗中傷しました。暴言です。

このような暴言に対して、学術会議は断固抗議をすべきです。

このように事実を正確に把握せず、歪曲して伝えることを一国の首相が平然と行っていることに、私は怒りと同時に大変な危機感を覚えました。

さらに、任命拒否に「反発があることは予想していた」と笑みを浮かべながら述べました。

任命拒否は、あらかじめ仕組まれたものと考えざるをえません。それは学術会議の解体・再編をねらったものにほかなりません。案の定、自民党のプロジェクトチームがほどなくして発足しました。民営化を含んだ学術会議の改編を2023年度発足という時期を定めて提起しました。一部マスコミでは学術会議の「独立」ということで、好意的に報道していますが、しかし、これは学術会議の解体をねらったものであり、「学術」の主力を政府の監督下に置かれた各種の「審議会」の中に吸収しようとするものです。

また、井上科技担当大臣は、学術会議会長に対して、今年中に「学術会議のあり方」について検討するように迫っています。これはまさに学術会議に対する脅迫であり、最後通告ではありませんか。

 

学問や教育、およそすべての文化活動はそれ自身の価値に基づいて行われるべきものであります。政治権力なかんづく国家権力からは独立していなければならなりません。これが自由で民主主義的な社会において自明な根本原則です。行政が行うべきは、活動に対する条件整備であって、内容にあれこれと干渉し支配することではありません。

今が正念場です。

学術会議のみなさん。この国の学問の自由と自治を守り通すことができるか、それとも戦争やその他の国策遂行の手足として学問が使われるようになるのか、重大な岐路にさしかかっています。

学術会議は一部のエリート集団ではありません。この国の理性と見識を支えている重要な組織であると認識しています。

憲法15条を根拠に首相に会員任命権があるなどというのはとんでもない暴論です。これを許したらまさに過去のナチスの“授権法”の再現です。現在の会員による推薦制も、政治権力による支配から学術を守るための自治の原則により行われている、ギリギリの形態です。

学術会議会員のみなさん、頑張ってください。背後で、多くの良識のある国民が応援しています。

2020年12月5日

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion10355:201211〕