学術会議被推薦者6名の任命拒否は、それ自体が直ちに学問の自由の侵害である。

著者: 澤藤統一郎 さわふじとういちろう : 弁護士
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(2020年12月12日)
毎日新聞が、「菅語」を考えるというシリーズで12月6日に、 「国語学者・金田一秀穂さんが読む首相の「姑息な言葉」 すり替えと浅薄、政策にも」という記事を掲載している。
https://mainichi.jp/articles/20201205/k00/00m/040/216000c

「総合的・俯瞰的」「多様性」「バランス」「既得権益」……。日本学術会議の任命拒否問題を巡っては、菅義偉首相が抽象的なフレーズを繰り返す場面が目立つ。具体性を著しく欠いた国のトップの説明は、日本語の専門家にはどう映っているのだろうか。国語学者の金田一秀穂さんは「本来的な意味での『姑息』」と指摘し、政権が打ち出す政策にも相通ずるものがあるとみる。

金田一秀穂という人の本来の語り口は、もの柔らかく優しい。しかし、「菅語」に対する批判は、たとえば次のようにまことに厳しい。

 ――菅さんは抽象的な言葉が多い印象です。どう見ていますか。
 ◆あまり考えた発言とは思えないですね。その場その場をしのげればいいと思っているんでしょう。(学術会議について)「女性が少ない」とか「私立大所属が少ない」「既得権益」とか、思いついたことをとりあえず言っている感じですね。これらは中身を伴わない、何の意味もない言葉です。「何も考えていないんだろうな、この人は」と思いますね。ポリシーがあって言っているわけではないことが分かってしまう。

 つまりは姑息なんです。姑息は「ひきょう」という元々なかった意味で使われることが多いですが、本来の意味は「その場限り」。菅さんはその場限りの答弁を繰り返して当座をしのぎ、いずれ国民が飽きて聞く気がなくなるのを待っているんでしょう。

しかし、最後の設問に対する次の回答の一部にやや違和感がある。

――改めて、学術会議の任命拒否問題についてはどう考えていますか。
 ◆すぐに学問の自由を侵すことにはならないと思います。ただ、今回が最初の一歩で、これから同じようなことが続いていくかもしれない。「アカデミズムは政府が主導できる」なんて考えられたら、たまったものではない。その意味で、政府がアカデミズムに介入できてしまった今回の経験は非常に恐ろしい。将来的には国立大の教授人事とかにも関わってくるかもしれない。そうなったらもっと恐ろしいし、絶対にやめてほしい。
 国家権力がアカデミズムや芸術といったものに触っちゃうと、貧しい国になります。豊かさというのは、いろいろな考えがあって初めて成り立つものです。それは歴史的にも明らかです。だから今回の任命拒否を認めてはなりません。

「『アカデミズムは政府が主導できる』なんて考えられたら、たまったものではない。その意味で、政府がアカデミズムに介入できてしまった今回の経験は非常に恐ろしい。」「だから今回の任命拒否を認めてはなりません。」は、まことにもってそのとおりである。しかし、「すぐに学問の自由を侵すことにはならないと思います。」には、賛成しかねる。今回の任命拒否は、直ちに「日本学術会議法に違反」し、かつ「学問の自由を侵す」ことにもなるのだ。

日本国憲法は、人の精神活動の自由を、内面の「思想・良心」の自由(19条)と、自由に形成された「思想・良心」を外部へ表出する「表現の自由」(21条)の両面において保障している。「学問の自由」(23条)の保障が、19条と21条に重なる「研究の自由・研究結果発表の自由・教授の自由」だけであれば、日本国憲法が旧体制の反省の中から、大日本帝国憲法を克服して制定された意義を没却することになると考えねばならない。

19条と21条とは別に、「学問の自由の保障」(23条)を定めた憲法の趣旨は、19条と21条ではカバーしきれない、「学問研究機関の権力からの独立性」「学問研究者の自律性」をこそ憲法の保障として重視すべきであろう。

伝統的な憲法学は、「学問の自由の保障」(23条)規定を、その制度的保障としての「大学の自治」に重点を置いて解説する。「自由」よりは「自治」「自律」が客観的法規範として重要なのだ。これまで、「大学の自治」として論じられてきたのは、伝統的に大学が主たる学問研究機関であったからであり、ポポロ事件など判例が大学を舞台とするものであったからでもある。しかし、日本学術会議は、まぎれもなく学問・学術の専門家集団であり研究機関でもある。設立の趣旨からも、憲法23条にもとづく「自治」「自律」が保障されるべきことは明らかと言わねばならない。

だから、政権が日本学術会議の人事に介入することが、直ちに学術会議の自治・自律を侵すものとして、「学問の自由」(憲法23条)を侵害することになる。菅政権は、自らの憲法違反を認識しなければならない。

初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2020.12.12より許可を得て転載

http://article9.jp/wordpress/?p=16026

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/

〔opinion10360:201213〕