安倍首相が5月3日、突然「2020年改憲施行」をビデオ・メッセージで宣言した。
この改憲発言は、たくさんの謎を含んでおり、与野党ともにその真意を測りかねている。
衆参の憲法審査会は、これまで与野党合意の上で議事を進めてきたが、安倍発言でストップしてしまった。
2点に絞って、安倍氏の「2020年改憲施行」の謎解きに迫ってみよう。
第一の謎は、「2020年」と期限を切ったのはなぜか、である。「2020年施行」は、常識的にみて、無理だ。あまりに早すぎる。
「2020年施行」と急ぐ(焦る?)最大の理由は、「衆参で改憲勢力が2/3を超えているのは僥倖であり、次の選挙では2/3を維持できる見込がない」と考えているからであろう。
次の選挙で安倍自民党が議席を減らす理由は、山ほどある。現在の水ふくれした議席数は、民進党(民主党)のあまりにぶざまな政権運営失敗という敵失による。水ふくれした当選1回・2回議員には、議員としての最低の資質を欠く者が多数含まれており、スキャンダルによる議員辞職・離党が相次いでいる。自民党・安倍内閣の高支持率のおごりの中で、大臣・政務官の辞任も続発している。
安倍氏が急ぐ二つ目の理由は、自民党の「安倍一強」体制にかげりが見えてきたことだ。森友学園疑惑問題で「(疑惑が)事実なら総理も議員も辞める」と啖呵を切ってしまった安倍氏。「一強体制」は、周囲が口をつぐむ「裸の王様」体制でもある。崩れるときは早い。
安倍氏が急ぐ三つ目の理由は、公明党と維新の「改憲勢力」としての信頼度である。
まず、公明党。「憲法9条を残して加憲するのだからよいだろう」と言われた公明党も、面食らっている。公明党は「憲法第9条については、戦争放棄を定めた第1項、戦力の不保持等を定めた第2項を堅持した上で、自衛のための必要最小限度の実力組織としての自衛隊の存在の明記や、国際貢献の在り方について、「加憲」の論議の対象として慎重に検討していきます。」(公明党のウェブ・サイト)としているが、「自衛のための必要最小限度の実力組織としての自衛隊の存在の明記や、国際貢献の在り方」の論議が短時日でできるとは思われない。
東京都政では、公明党は小池都知事与党となって、自民党と対決する道を選んだ。小池氏の勢いは、国政レベルでも、安倍自民党を脅かしている。安倍氏は、公明党の安倍離れに焦っている。
次に、維新。安倍氏は「教育の無償化」を改憲内容に挙げて維新の抱き込みを図った。維新は安倍改憲発言に諸手を挙げて歓迎の声を上げているが、維新はほんとうに安倍「20年改憲施行」について行けるのか?
日本維新の会の憲法改正原案[2016年3月]には、①教育無償化、②統治機構改革(地域主権関係)、③憲法裁判所の3項目のみ書かれていて、9条の改正案は書かれていない。維新の9条についての見解は、松井代表(大阪府知事)によれば「9条の1項と2項を残したまま、3項で自衛隊を位置づけるというが、戦力不保持との関係でどう整合性をとるのかについては議論が必要だ。衆参両院の憲法審査会を早期に開いて議論すべきだ」(5月8日のNHK速報)にとどまり、党内が未調整だ。維新は「教育の無償化」だけで安倍「20年改憲施行」に乗れるのか?
9条改憲についてこのような不確定要素をはらんだ自民・公明・維新の頭数だけの「改憲勢力」を千載一遇の好機として「20年改憲施行」の大ばくちに打って出た。これが安倍氏の「20年改憲施行」の第一の謎の意味ではないか。
第二の謎は、「9条第1,2項はそのままにして(第3項として)自衛隊の存在を明記する」という「曲玉(くせだま)」だ。「9条第1,2項は残す」となると「戦争の放棄」だけでなく「戦力の不保持」も残すことになる。「戦力の不保持」と「自衛隊の存在の明記」--どうつじつまを合わせるつもりなのか?
「こんな議論は自民党にはこれまでなかった」と、早くも自民党の次期総裁を狙う石破氏から疑問が出されている。
安倍氏は「9条改憲に反対する人でも、自衛隊が違憲だという人はほとんどいない」と言う。安倍氏は「多くの人が反対しにくい自衛隊合憲論」を突破口に改憲の実績を作ることを狙っているのだろうか?
表面的には、そのように見える。が、そのように考えては、重要な事実を見落とすことになる。
「集団的自衛権」は、歴代自民党政府でさえも、憲法9条に抵触するものとして、その行使はできないとしてきた。これにたいして安倍政権は、内閣法制局長官をすげ替え、憲法学の論理を無視して「行使できる」とした。解釈改憲である。
安倍内閣は、解釈改憲にもとずいて「安保法制」を国会で強行採決した。
解釈改憲は、法制上の変化にとどまらず、自衛隊の実態的な変化をもたらしている。
中国・北朝鮮への軍事的対抗を想定する米日(韓豪)合同演習への参加、米艦による北朝鮮威嚇作戦への「護衛」という名の参加、中国を想定した尖閣諸島奪還演習。安倍政権は、敵基地を攻撃する巡航ミサイルの導入の検討も本格化させている[中日新聞2017年5月6日]。
これらは、専守防衛の枠を超えて、(9条1項の否定する)「国際紛争を解決する手段として」の「武力による威嚇」に、自衛隊がすでに使われていることを示している。
安倍内閣の安保法制と米日共同作戦によって、自衛隊の実態は、すでに憲法9条=戦争放棄・戦力不保持からはみだしている。
「自衛隊を(9条3項として)明記する」という安倍氏の「加憲」は、こうした「9条の制約からはみ出した自衛隊」を追認することにほかならない。これは「どの国にも自衛権はある」という「自衛隊合憲論」とはまったく異なる。「国際紛争を解決する手段としての武力」を担うものへと、つまり「国家の軍隊」へと自衛隊を格上げすることだからである。これが安倍氏の「9条加憲」の真意とみなければなるまい。
「裸の王様」の安倍氏は「9条加憲」を「9条を認めるふりをして9条を否定する」巧妙な手品と自賛し、これで国民を欺けると本気で考えているのだろうか。それとも「これしかない」と追いつめられた末の選択なのだろうか。
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