《国民学校生徒の実践した教育勅語》
私的な回想をご海容願いたい。
1941年から47年まで、私は「国民学校」の生徒であった。「国民学校」とは今の小学校の戦時名称である。本郷区立元町国民学校に入学してから、疎開先の栃木県を経て都下八王子市での卒業まで、教育勅語を暗唱した記憶は私にはない。同年代の識者発言に暗唱したとあるのに違和感をもっている。万世一系の天皇名はスラスラと暗唱できた。国民の祝日や戦争に関する記念日には、国旗掲揚があり、国歌君が代斉唱があり、教頭が教育勅語を読んだ。生徒は頭を下げて聞いた。寒い冬は鼻水をすすり上げる音が聞こえた。
元町での3年生までの記憶は鮮明だが、疎開後の記憶は曖昧である。荘重な儀式は形骸化する。私の関心は勅語から「戦局」と「食糧」へ移った。食糧難を書くのはやめる。止まらなくなるからである。戦局については、敗戦は頭になかったが、同時に、戦争に勝てそうもないとも思っていた。なにせ帝都上空にB29数百機が跳梁しても数機落とすのがやっとだったからである。その場合、大人は連合艦隊と邀撃戦闘機は、彼らを一挙に殲滅する機会を待っているのだと解説した。信じたといえばウソになるが、バカにしていたというのも私の場合はウソになる。
支配層にとって教育勅語の効用は何であったろうか。
それは長期にわたり臣民思想の基軸として機能した。国民の主権意識を阻止し、思考停止に追い込んだ。日本における「洗脳」の原点として大きな効果があった。大きな効果とは大きな悲惨をもたらしたという意味である。
《大宅映子のいう饅頭の「アンコ」論》
評論家の大宅映子は、TBSのラジオ・テレビの番組で、教育勅語問題に関して珍しく批判的な発言をしていた。しかし「饅頭のアンコは良いが皮がいけない」とも言った。防衛相稲田朋美も、大宅のいう「アンコ」に関して、似たようなことを言っている。
想像するに、彼らが言う「アンコ(良い部分)」とは、勅語の「父母ニ孝ニ、兄弟ニ友 ニ、夫婦相和シ、朋友相信ジ」の辺りなのであろう。人間の守るべき普遍的な道義であると言いたいのであろう。私の友人、知人も同じことをいう。
しかし、これが躓きの石なのである。結論を先に言えば、教育勅語がダメな理由は、その「アンコ」が、天皇の戦争を臣民が命令通りに戦うべしという目的の―当然特攻も玉砕もある―手段となっていたことにある。その結果が大東亜戦争の惨敗だったからである。
《言説としての教育勅語を評価すること》
教育勅語は一つの言説である。
「言説」とは「コトバ」である。思想の表現である「テキスト」である。
言説の評価は、歴史的文脈のなかに置かないと無意味となる。
大宅映子風にいえば、聖書・コーラン・仏典に書いてある「人間のあるべき姿」は、全てアンコである。しかしそのアンコは、キリスト教徒の十字軍、イスラム教徒の版図拡大、仏教徒たる日本軍の大東亜戦争の、戦争正当化のイデオロギーとなったのである。このイデオロギーは非人道的な行動を正当化した。南京事件を描いた小説が発禁、作者は逮捕されたことがある。1938年、石川達三の『生きている兵隊』である。しかしそこには、戦死者追悼のために部隊に同行している従軍僧が、凄惨な戦いの中で平常心をなくし、僧の役割を喪失場面が書かれている。
アンコの意味は、外皮を含む全体像とその評価で決まる。アンコは従属変数である。
1943年の「大東亜共同宣言」すらテキストだけ読めば、アンコがある。だがその役割は帝国によるアジア植民地化の正当化であった。アウシュビッツの「労働は自由をもたらす」すらも同様といえるであろう。
《イデオロギー闘争を仕掛けている安倍政権》
「イデオロギー」というと、人は政治的なもの危険なものという意識をもつ。
しかしそれを「ある行動を正当化する理屈」とみれば分かり易い。
教育勅語が失効して、戦後民主主義の海中に没したのは、戦後の常識であった。森喜朗首相の「日本は天皇を中心とする神の国」という発言は辞任の一理由となった。2000年のことである。17年前まではこうだったのである。
安倍政権は、「神の国」イデオロギー闘争を、公然と仕掛けているのである。
現政権は「教育勅語は教材として使用可能」と閣議決定した。それどころか、籠池問題では、安倍総理夫妻は教育勅語を暗唱させる児童教育を素晴らしいと言っている。
与党からこの発言に一言も批判が出ていない。束ねることをファッスンという。ファシズムの語源である。
この変わりようは何なのか。どうして変わったのか。言説の背景にある歴史的文脈とは何なのか。残念ながら「安倍内閣の支持率はなぜ高いのか」解明の旅は、まだ道半ば、いや始まったばかりである。(2017/04/03)
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