安倍政権が抱える二つの難問は解決できるだろうか

現在、安倍政権が抱えている最大の課題は財政再建と経済成長問題であるとみられていることはいうまでもないであろう。この二つの問題が解決されなければ日本の将来は危ういとさえ考える人さえ少なくない。しかし実際にはこの二つの問題の進展をみることはきわめて困難であるとみられよう。この二つの問題についてはさまざまな観点から議論されているが、私は本稿では少しおかしいと考えている議論をとり上げてみたいと思う。

 第一には財政再建問題から取上げてみよう。これは今日の日本政府と地方の財政の累積債務(累積赤字)が合計で1100兆円を超えてしまった点からいっても明らかなように、まことに危機的状況にあるといえる問題である。現在は国債金利がきわめて低位にあるが故に何とか日本財政はもちこたえているが、この先、国債市場において国債価格が下落し、国債金利が上昇するような状況が発生したならば、政府財政の赤字は火の車となり、財政破綻が生じることが危惧されるからである。

 だが、そうした危惧に反して、日本財政は現在破綻に陥るような危険な状況にはなく、まだまだ大丈夫であると主張する論者がいる。その主張の一つは日本財政の債務はたしかにかなりの規模に達してしまったとはいえ、日本の国家・地方は他方では巨額の資産(債権)を有しており、累積債務の半ばに達しているため、その点を考慮すれば、それ程不安定とはいえないだろうというのである。だが、それならその国家・地方の資産とは何かを問うならば、例えば道路、港湾、橋梁、教育施設のような公共建築物、公園のような公共財を指しているのである。なかには若干の金融資産も債権としてもっているかもしれないが、それは限られた額でしかないであろう。このような公共的な資産は、大部分日本が国家として存立する以上、これを民間の企業等に売却できるわけでは決してないかぎり、政府の借金(債務)に対応させうるものではないだろう。

 さらに日本の巨額の累積債務は、まだ心配する程の段階に至っていないといういま一つの議論に、日本の国債は大部分、民間企業、個人によって消化されており(日銀保有分以外は)、外国人投資家はごく僅かしか日本国債をもっていないから、という所説がある。この点が、外国人投資家に国債のかなりの部分を保有されているため国債市場で国債が売却されがちとなり、国債価格の下落、金利が上昇しがちとなり危機に陥るギリシャのような国とは決定的な違いがあると指摘されている。だが国債が国内の民間人に保有されていれば、安全で、外国人に保有されていれば危機となるということは本当にいえるのだろうか。日本国民が借金を負う場合について考えてみよう。例えば、私が日本の金融機関から借金を負う場合と、外国の金融機関から借金を負う場合とについて考えてみると、両者からの借金残高が並行して増えていく場合、金利が均等であるとすれば、金利負担額、返済負担額が重くなるということは感じても、日本の金融期間への負担も外国金融機関への負担もとくに区別できないであろう。いずれの場合も金利と返済を要求されれば支払わざるをえない。そのさい私がもし収入金額をこえて借金を行い、その借金の返済(利子を含む)のためにさらに借金をするようになってくと、いつかは私の家計は破綻するだろう。国家の場合も同じである。何らかの要因が契機となり、国債市場で国債価格の下落=国債金利の上昇が発生した場合、政府は国債費(返済と利子)を支払うためにさらに借金をくり返さざるをえなくなるから、財政破綻に陥らざるをえないであろう。それがいつになるかは分からないにせよ、近い将来必ず生ずることは予想される。

 第二には、安倍政権は経済成長を実現させるために、地方経済の活性化を図る目的で地方創世の実現を主張していることに触れたいと思う。その地方創成策の柱の一つにあげられるのは、地方自治体が住民に対して2万円程度の商品券を配布し、地方の商店から住民がその商品券で商品を購入することによって、商品の売却を促進しようとするものである。しかしこのような政策によって市場経済が活性化するであろうか。この方策は、過去においても地方振興券とか定額給付金の形で実施されたことがあるが、いずれもその効果は限定的なものであったと認識されている。それは何故であろうか。配給券を自治体から受けとる地域住民は、それで商品を購入し、配給券を入手した商店はその配給券を自治体に提供して貨幣を受けとるが、この場合商店はその商品券の金額だけよけいに商品を売却しえたかのように見える。だが地域住民の消費への欲望が増えるわけではないため、住民は商品よりも多く買おうとするわけではないので、所得として得ている金額から貯蓄しようとする金額がふえ、結果としては住民の貯蓄額(蓄蔵貨幣額・ないし資金額)が増大することにとどまるのではあるまいか。すなわち市場経済(ないし商品経済)はそれ程簡単に当局によって(商品券によって)コントロールされる商品過剰が解消されるものではありえないのである。安倍政権の地方創成策は全くこの点の無理解から提案されていると思われる。

 それでは、地方の活性化を実現するには、どうすればよいのだろうか。その点は以前にこのサイトでも里山資本主義論について論じたことであるが、マネーに依存しない共同体の構築―−それは経済成長には無関係であるが、人間生活を充実させる―−こそが肝要であると考えている。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion5188 :150218〕