横山昭雄の『真説 経済・金融のしくみ』を読んだことがある。横山は元日銀マンだが、この本で次のように言っている(258頁)。
「日本国民はこの国難の時、現政権に近来稀なほどの安定を与えた。文字通り、政権が盛んに揚言する“期待”を、政権に寄せたのである」。
これを読んでいて、やっとなぜあんなどうしようもない安倍政権の支持率が高水準のままなのかが分かった気がした。国民は保守=安定とし、安倍政権こそがその安定を体現すると考えている。安倍政権が安定するためには高支持率が必要不可欠である。だから安倍政権は高い支持率を得ているのだ。トートロジーではないか、という気もしないではないが、この国の国民はとにかく安定した政治を望んでいるのだ。昔、公明党の選挙ポスターに「安定は希望です」とあるのを見て、「こいつらはバカか」と思ったが、日本人の多くが「安定は希望だ」と考えているのだ。公明党は国民の多くが安定を望んでいるのを見透かして、「安定は希望です」とスローガンを掲げ、安倍=安定として安倍にすり寄ったのだ。バカだったのは私の方だった。
しかし、安定についてのこうした期待を国民から得たというのは、安倍の大勝利であり、一旦得た安定はその崩壊に対する恐れがある以上、つまり安倍が不人気になったら政治がまた不安定になると思われている以上、容易には崩れない。安倍がどんなに危険なことをやっても、どんなに居丈高に挑発しても、国民は安倍を見放さない。国民には安倍が安定政権であることが必要なのであり、安定政権ということに関しては安倍以外には選択肢はない。ここに安倍の強みがある。
確かに安倍の支持率は高止まりしている。しかも長期間それは続いている。理由なくしてこんなことが起きるわけがない。問題はその支持される「理由」が私には良く分からないということにあった。しかし「良く分からない」とした理由がおぼろげながら見えてきた気がする。「国民の多くが安定を望むから安定している」という実にふざけた「理由」ではあるが(それが「理由」と呼べれば、だが)、こういうふざけた構造にはどこかに穴があるはずだ。それを探さなければならない。切り口は恐らく、「なぜ国民は安倍に安定した政権であってほしいと望んでいるか」ということだ。数日間、それを考えた。共同体が崩壊し、個人がバラバラになると、かえって国家依存を招くという樋口陽一(『自由と国家』160頁)の指摘もその一つだ。これも、この国の国民の多くが、あのしようもない安倍政権を「安定」という理由から支えている大きな理由であろう。しかし、こうした支持は、結果として国家(それがブルジョア国家であれ、福祉国家であれ)への従属に繋がる。そのことを考えている国民がどれくらいいるか分からないが、こういう政権を支持するメディアは「強権的国家」の誕生に手を貸すという意味で、いわば緩慢な自殺をしているようなものである。ここには80数年前のファッシズムの腐臭さえ漂っている。
安定した政権が維持できれば、それに尻尾を振っても構わないとするとのが、安倍首相が支持されている理由と考えていい。これは、一種の奴隷根性だが、もともと日本人は奴隷根性に流されやすい国民でもあった。したがって、問題の解決のためにはこの奴隷根性を振り払うことが必要になる。どうやってそれをやるか。残念ながら、簡単な解決策は思い浮かばない。
横山昭雄『真説 経済・金融のしくみ』(日本評論社、2015)
樋口陽一『自由と国家』(岩波新書、1989)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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